丹波周辺の野山歩き


富田部落〜行者山(402m) 往復
丹波市山南町<’06.5.3>地形図1/2.5万 丹波和田

<富田の部落を出発>                 <猪垣のゲートを開けて作業道を行く>
富田公民館の前に集合して8時30分出発。今日は学校の参観日で子供の参加は無し。ほら貝を吹きながら
猪垣のゲートを開けて作業道を行く。植林地内あちこちに墓地が点在している。2月に登ったときは作業道を
最後まで詰めて、滝のところで道がなくなり右手の斜面を強引に藪をつかんで尾根の踏み跡に上がったが、今
回は途中から左に折れて尾根の踏み跡に取り付く。

<共同アンテナ>                    <女人結界の石碑>
急な山道をひと登りするとテレビの共同アンテナがあり。左手から踏み跡が合流する。この道が前回に下山に
使った道であることがわかった。合流点から少し上に登ると女人結界の石碑がある。さっそく枯れた榊を刈って
きた新しい榊に取り替えたり、お供え、ローソク、線香、お神酒と手際よく進めて準備完了。年配の人が導師に
なってお経をあげてから頂上に向かう。木曽の御岳や大峰山で時々見る風景でした。

<広場の行者像(右)と前鬼像(左)>            <行者山直下の広場の後鬼像(矢印)>
そこからさらに急登すると行者山直下の広場に着く。登りついたところは前回に下山した所より広場に
近かった。広場の落葉を掃除して、お神酒やサカキを供えたり、ローソク、線香と各行者さん、前鬼さん
後鬼さんと各像ごとに行い。そのあと下と同じように皆んなでお経をあげて正式行事は無事に終了する。

<広場のお祈り>                      <お祈りのあとの会>
皆で分担して持ち上げた酒、ビール、ジュースなどで簡単なご苦労さん会をして話しに花が咲く。参加者の
中に建築関係の人がいたりして、柱などを担ぎ上げて、広場の礎石の上に休み堂を建てる話も有りました。


像を拡大すると

<前鬼さん>              <行者さん>             <後鬼さん>


歴史をとどめる塚

<富田の明智光秀の丹波攻め当時の塚>          <五ケ野部落の赤井の五郎塚>
同じ部落にこのあたりの歴史に詳しい方が居られるらしいので、お話が聞けたらここにUPします。


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