iraq (イラク)
ヒツラ病院で手当てを受ける男性
空爆で足を奪われた幼い子どもを心配そうに見守る父親
追悼と抗議の為キャンドルを持って米軍戦車を取り囲む
爆弾で破壊されたコミュニケーションセンター
道路を封鎖する米軍狙撃兵
  若い兵士ばかりだった。
パレスチナ・ホテルの前で各国の
「人間の盾」が反戦をアピール
黒焦げになってバス
カメラを向けると笑顔をつくしてくれるのが、つらい。
ヨルダン国境近く(イラク側)のクルド人難民キャンプ
ガソリンスタンドには行列ができている。
街中にあるフセインの写真はどれも潰されている
市場の中の店。ここの壁も弾痕だらけだった
市場の中のゲームセンター
食料はパンと野菜はよく見かけた
路上でティーを売る少年
小学校。この日から学校が再開された。まだ生徒は少ない。
ドーラの町にでると、すぐに子ども達が集まってくる
道路を封鎖する米軍狙撃兵、若い兵士ばかりだった
タンクローリーはまだ燃えている
パレスチナホテルを、散弾銃を持って制圧する米兵(散弾銃は、民衆制圧用と思われる)
戦争下でもにぎわっていた市内の八百屋さん
占領直後、バクダット内は米軍とメディアしか入れない
米軍が街中を巡回している
爆撃に備えて、窓をレンガで封鎖している
「何のためにイラクに来たのか」と、戦車の米兵に抗議。
                  「来たくなかったが、仕事だから」などと答えていた。
露天が立ち並ぶ市場のテーブルの下で老人が考え深そうに座っていた
聞いてみると「暑いのじゃよ、お前もここで休んでいくといい・・・」
2時間後再びこの店の前を通ると老人はまったく同じ体勢で座っていた。
老人の手招きでテーブルの下に潜ってみると確かに暑さはしのげる。
しかし、
それでも40℃ぐらいはあったであろう
滞在先のホテルの近くに住んでいた少女
会うたびに痩せていくように感じられた。
もっとも、ほとんどの子どもたちがそうである
ように栄養がしっかりと取れていないのだろう。
とても5歳とは思えぬ眼差しをしているが
やっぱり子ども、泣いたり、笑ったり、怒ったり
時にはダダをこねたりしたい筈である。
少女の住んでいた隣の建物が空爆を受けたり
した中で少女の目には現在の状況がどのように
映っているのだろうか?
秘密警察があったこの場所はひどい空爆状態であった。
爆撃を受けた場所に2つの大きな穴が開きそこには
人工的な泉が沸きあがっていた。
しかし、カウンターで針測してみるとわずかではあるが
針が振れた。
しかし、この敷地内で住む人はこの水を大切な
生活用水として使用していた。
次のページへ。