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関西青年経営者会議は自動車補修部品をを専門とする阪神地域の経営、研鑽の切磋琢磨の会です。

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大阪都


      後継者問題
                                                  平成24年5月3日

 青経会の皆様が、60才前後になってお悩みになる問題の一つに「後継者」問題があると思います。
 中小企業の経営者に課せられた重要な課題の一つは、“事業の継承”と言っても過言ではありません。 “事業の継承”は、‘自分の会社を身内に引き継ぐ’と言うことだけではなく、仕入れ先、販売先、社員とその家族、同業者等々の会社を取り巻く多くの方々に対する「社会的責任も引き継ぐ義務もあります。
 こうした方々への責任をキチンと果たすためには単に事業を継続するだけではなく、よりよく健全に発展しながら継続させねばならないと言えます。

 青経会の皆様が事業を引き継がれた頃は、戦後の経済発展の頂点とも言うべきバブル経済の真っ直中からバブルが崩壊して下り坂に入る頃ではなかったかと思います。
 日本経済が急速に冷え込んで行く途中であり、自動車業界も販売台数が減少し始め、メーカーが海外に生産拠点を移し始めて頃ではなかったかと思います。 とは言え、皆様の“事業の継承”は、今ほどハッキリと社会や経済の変化が見えなかったからことから、先代の事業スタイルを踏襲することが基本だったのではないでしょうか。

 そして多少の変化はあるものの、部品商としてのスタイルを継続しながら今日に至っておられるのだと推察いたします。
しかし、バブル崩壊後日本経済は、単に冷え込むだけではなく産業の各分野で形態そのものが変化して来ています。

 例えば、自動車修理業界を取ってみても、例えば車検の実施方法の変化によって車検時の部品交換は、ユーザーへの説明と了解が必要になり、結果交換部品が減少しました。 加えて部品の品質向上、走行距離の減少、道路整備の向上や、トラックについても過積載が激減した事等によって部品の耐用年数が延びて交換のサイクルが伸びています。
 こうした様々な条件が変化することで、部品販売にも出荷数量、種類の減少と言った事が進行しました。
 修理工場のように“工賃売り上げ”がない部品商にとって、従来の流れの延長線上では生存がかなり厳しくなって来ていると言えるでしょう。

 こうした変化は、「じっと我慢をすればいつかまた戻ってくる」というものではなく、むしろハイブリド、電気自動車への流れは自動車アフターマーケット全体に大きな変化をもたらすと共に業界全体の縮小といった問題も起きています。 「我慢をして待つ」事は、自然死を待つことになるかもしれません。

 自然死をしないための方策は色々あると思います。

 例えば、業態、業種の転換を図る。企業規模を縮小して生き残るetc etc。 今回は、こうした問題の以前に“事業の継承”に際しての基本となるべき問題について考えてみます。

 冒頭に“事業の継承”は、「社会的責任」も引き継ぐ義務があると申しあげました。“事業”を実行する主体は、“会社”でありこの会社を運営して行くのが社長・・事業の継承者・・であると規定します。
 どんな会社でも創業時から設立経緯が有り、その経緯から設立の目的、運営方法と言った、言うなれば“会社の基本理念”が形成されています。 この“会社の基本理念”は、創業者の人間性や考え方が色濃く反映されて特徴付けられてゆきます。
 会社が成長発展しても、周りの環境が変化しても“基本理念”はそんなに簡単に変わらないでしょうし、変わってはならないものだと思うのです。

 それは、社長が交代しても会社を取り巻く環境が大きく変化しても変わらない、むしろ変えてはならないものだと思うのです。
時代の変化が早く、激しい現代だからこそ会社としての指針を明確にする為に“基本理念”が大切になっているのではないでしょうか。 明確な“基本理念”を持ち、それを前社長から現社長へ、現社長が次期社長へとキチンと継承して行く事が“事業の継承”であり、そのための次期社長への教育が非常に大切だと言えます。
 
 “教育”と一口に言ってもなかなか一筋縄で出来ることではありませんし、その方法もそれぞれの社長の個性によって千差万別といえます。 そこで、それぞれの会社の創業時からの設立の目的、運営方針と言ったバックボーンをなす考え方を明文化したも、つまり「社是」社訓」「運営信条」「経営理念」と言われるものについて考えてみたいと思います。 皆様の会社にもこうしたものを掲げておられるのを拝見します。
 素晴らしいことですが、その文章の本質的な考え方、信念が本当に理解され継承されているのかとなると少々心許ない会社もあるように感ずるのです。 折角創業者が、高邁な理念を実現すべく掲げた「社是」「経営理念」といったものが、ただの壁の飾りだけで忘れられてしまっては何にもなりません。
 
 そこで、「社是」「経営理念」と言った観念的なものと実際の経営との関わりを実例によって考えてみたいと思います。
最近不祥事で有名になった2社を、取り上げてみたいと思います。


 
大王製紙の三代目のぼんが、カジノで数十億円という金を使い込んだという事件がありました。
 大王製紙株式会社は、1928年井川伊勢吉氏の製紙原料商をスタートとして、1943年に大王製紙株式会社が設立されたと言う歴史のある会社です。
 大王製紙株式会社には、経営理念、企業行動憲章、企業行動規範、環境憲章と、素晴らしい理念を明文化したものがあります。
 しかし、これとは別に創業家当主が残した「井川家ノ心」という家訓があります。
そこには、「大王製紙あっての井川家、井川の家はすべてにおいて大王製紙の利益を優先せよ」とあります。
 この家訓が創業家出身の経営者、大株主として名実共に支配をしている井川家の根本的な考え方として、大王製紙株式会社の経営理念を超えて企業運営に大きな影響を与えている事が推察出来ます。

 特に不祥事発覚以後にも井川家が、どんなことがあっても大王製紙を手放さない為の闘争をしている理由が解る気がします。 株主であり社長である井川家は、大王製紙への並々ならぬ愛着を持って経営をしてきたことは疑うべきも有りませんが、しかし会社の社会的責任より井川家の利益が優先してしまった事が、今回の不祥事の根底にあると思うのは考えすぎでしょうか。
 もう一つの不祥事、オリンパス株式会社を見てみます。

 オリンパス株式会社は、1919年創業の老舗企業です。
 社会と共に未来をはぐくむ・・・「生活者として社会と融合し、価値観を共有しながら事業を通して新しい価値観を提案し、人々の健康と幸せな生活を実現する」という経営理念を掲げています。
 この経営理念からは、社長や一部の役員がデリバティブ等の投機にのめり込み、しかもその損失を隠すため違法行為を繰り返すと言う行動をとった事は想像できないのです。 違法行為に走った社長、役員達は、「経営理念」をキチンと継承しようとせず、経営本来の目的まで見失ってしまったのでしょう。

 この二つの例から社長として学ぶべきは、1 会社の社会的役割を明確にして、その責務を果たすべく経営をするべき。 2 社是、社訓、経営理念と言った会社のバックボーンとも言うべき考え方をキチンと実践する。3 社是、社訓と言ったバックボーンの考え方を、社長だけではなく社員にも共有させるべきだと考えます。

 上記2社は、上場されているいわば大会社です。
 そこで、
私の友人の会社のご紹介をしましょう。
 その会社は、社員総数30人足らずの会社で、作っている物も大変ニッチな商品です。
但し、創業は江戸時代で、友人が18代目だったと思います。

 会社としては歴史がありますから、かなりの資産があり且つ堅実に利益を上げている会社です。 友人は、先代が早世したため40代前半で社長になりましたが、彼は全く奢ることなく華美になることもありませんでした。 バブルの頃も、特に工場や社屋を建て替えたり拡張したりしませんでした。 ましてや投機的な投資やゴルフ場を買うと言ったこともしていません。

 そこで彼に「君の会社なら、銀行が幾らでも融資するだろう。何故色々やらないのだ?」と聞きました。 彼の答えは「私には先代から与えられた責任がある。それは、私の次の代に少しでも良い会社にして引き継ぐことだ。そのために何をすべきかを考え実行する事が、私の仕事であり責任だ。」とのことでした。
 彼が、当時銀行から融資を受けてやったことは、「優秀な職人がいなくなる。それを補うために機械を開発せねばならない。」と言って2〜3年がかりで新しい機械を開発し、設置したことくらいでしょう。 なるほどと感心させられた一例です。 この会社には「社訓」がありますが、それ以上に「家訓」とも言うべき理念が脈々と受け継がれて居ました。

全くこの事例と反対の友人の例をご紹介します。 彼は、社員50人ぐらいの文具メーカーでした。
 彼の父親が創業して、大変苦労をして文具の一分野では有名ブランドにしました。 彼の父親は、社員教育を自分の自宅に住み込ませて、家事からたたき込むと言う方法をとっていました。 そのため私の友人は、子供の頃から社員の背中に負ぶわれて育った様なものでした。
 彼が社長になったのは、ちょうどバブル期で何に投資しても儲かるという頃でした。 彼は、10数億を銀行から借り入れて株式投資をやっていました。 一日に電話一本で数億円を稼ぐことも珍しくありませんでした。
 私は、彼の会社の販売会議にオブザーバーとして何回か参加しましたが、彼の会議の最後の社員への言葉は「俺は、電話一本で今日も数億円儲けた。お前達は、何十人も掛かって1か月数億円、それも利益ではなく売り上げだろう。よってたかって何をしている。アホー」というものでした。
 一つは、彼は社長でしたが番頭格以下に古参が多く、人によっては「おしめまで替えた」という社員が居たことへの照れ隠しや背伸びがあったのかもしれません。 しかし、彼が社長になって数年で会社の事情をよく知る古参の社員はほとんど止めてしまい、バブル崩壊と共に立て直しも出来ず消えてゆきました。
 この会社は、先代が丁稚奉公で社員教育をしましたが、後継者教育まで手が回っていなかったといえるかもしれません。 また、彼自身が、社長としての責任、役割、強いては「会社の社会的責任」を理解していなかったと言えるのではないでしょうか。

 今でも私の回りでは、「後継者問題」で頭を抱えている友人達がたくさんいます。
 そしてこの問題の解決策として、必ずしも息子に継がせるのではなく、娘婿や能力のある社員に継がせる。詰まり資本と経営の分離をすると言う方法を取っています。
 更に会社ごと売却すると言った話しも増えています。
また、先代からの「経営理念」と言ったものをキチンと守りながら、上手に方向転換を成功させている社長もいます。


 何れにせよ、創業の理念の継承と言った社内の問題、取引先等に対する社会的責任を継承して行かねばなりません。
 こうしたことは一朝一夕に出来ることではないだけに、皆様も60才代を迎えるに当たり早く方針を考え、具体的に実行して行く必要があるようです。



参考  大王製紙(株)、オリンパス(株)のホームページ