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関西青年経営者会議は自動車補修部品をを専門とする阪神地域の経営、研鑽の切磋琢磨の会です。

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大阪都

ラスベガス滞在記
1997年11月
有川 寛應

自分にとって初めての海外体験が、今回の「青経会アメリカ市場視察」という形で
ロスアンジェルスからスタートし、4日目にはラスベガスへと舞台を移しました。
 とにかく、目に映るもの、肌で感じるもの、ちょっとした買い物までが新鮮で、ほぼ常に驚きにさらされていたものの、ロスアンジェルスを発つ頃には、ほんの僅かではあったが、当初と比較すると随分気持ちにゆとりが持てるようになっていた。

ロスアンジェルスにて、漠然と“アメリカ”について感じたことを挙げていくと、「巨大」、「広大」、「雑多(特に人種的に)」、「貧富の差」、等々であった。
さてラスベガスであるが、結果から述べると上記項目と同じ順であったのだ、がまるで規模が違ったのである。作り物の映画の中にでも入り込んでしまったかの様な、巨大なホテル・カジノが軒を連ね、昼夜を問わず無数のネオンが輝き続ける。これが普段の友人たちと訪れた旅行であったら、果たしてどんな状態になっていたのか、考えただけでも恐ろしくなる。人間が持つ“楽しみたい”、“儲けたい”、といった欲望が、とんでもないスケールの大きさとディテールの細かさの両刃でもって脳を刺激し続けてくる。そんな都市に感じられた。まぁ、スケールという概念は、ほんの数日後に見事に覆えされるのだが・・・・。
 
人生経験も乏しく、ビジネスの経験も無い自分のような人間にとっては、仕事を意識するのが非常に困難な(笑)都市、ラスベガスでの私達一行の目的は、’97 A・A・I・W Auto Showを見に行く事であった。会場として設定されていたコンベンションセンターは2つ。だが、そのうちの1つ目に到着後、小1時間程で、はっきりと分かったことがあった。会場は想像を遥かに上回る大きさで、与えられた時間内に、(何に於いても言語的に)制約された条件の下、各ブースをつぶさに見て回るのは不可能であった。その様な認識をいきなり抱えてしまいながらも、気を持ち直して約2日間会場を見て回り、数々の部品・用品メーカーのブースを訪ねて行きました。

 自分自信、専門的の知識が貧弱なので、突っ込んだ所でのレポートが書けないことが大変恐縮ではあるが、印象深かったのが各メーカーの担当者達の攻撃的とも取れなくもない、強烈な『売り込みの姿勢』だった。
全てがそうであったかと言うと、そうでもないが、そのような空気で会場が包まれていたといっても、決して過言ではないと思う。明らかに意志の疎通が困難であるにも関わらず、〈何とか話を聞いてもらおう〉・〈何とか興味を持ってもらおう〉・〈何とか魅力を感じてもらおう〉といった姿勢が直感的に感じられ、見て取る事ができた。単なる“発表会”程度の甘い認識しか無かった自分にとっては、驚きであったと共に、これから後に迎える会社人としての生活、そしてその姿勢を意識した場合、非常に重要かつリアルな体験ではなかっただろうか。
 
ラスベガス滞在、更には今回の渡米における最後のイベントとして、グランド・キャニオンへも足を運びました。ラスベガス郊外の小さな空港から、出発直前に操縦席の座席が外れて急遽修理された。不安指数200%のセスナ機に乗って、まず上空からの圧倒的な眺めに我を忘れ、バスに乗り換えて最も美しいスポットを目指しました。
そこから見た景観は、あまりに雄大、そして冷厳。ついさっきまで体感していたラスベガス・ロスアンジェルスのスケールの大きさが、嘘のように小さくなっていく。

そこに存在しているのは、『峡谷=むき出しの地球』と『空=地球の外』と地球に生息するほんの一生物としてしか捉えられない、実に細々と暮らしているインディアンの集落だけでした。自分は地球人である、とあれほど痛感した事は、未だかつて無かったし、これからもそうそうは無かろうと断言できる。
 旅も終わりが近付いてきたせいか、急に〈日本へ帰るのか・・〉と思い始めた。
  
もう少し居たい、と思った。
また来よう、とも思った。お世話になりっ放しだった青経会の皆様へ
失礼だらけであったにも関わらず、滞在中の貴重な時間を共に送らせて頂きまして、誠に有難うございました。

空港若尾氏と出会い

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