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マイ・フェア・レディ 2010/10−11月





マイ・フェア・レデイ卒業@

 投稿者:  投稿日:2010年11月24日(水)19時26分51秒
  2010/11/19(金)13:00と11/20(土)大千秋楽を観劇。

頭痛(なし)、肩こり(なし)、風邪ひかず、
お腹も痛くなければ、
目の痛みや、トラブルもなく、
真央さんが20年間演じてこられたイライザ卒業という
歴史的瞬間に立ち会うことができて、本当に良かったです。

今回の公演は短い上に土曜日が千秋楽という事で、
金曜日の観劇を組み込まざるえなかった私のために、
夫がわざわざ会社を休んでくれるという。

理由?…我が家の猫(メル)がいつもより長く、一人ぼっちになるから(笑)。
ただそれだけの為。

タイミングよく、約1ヶ月前に姪の結婚式があり家族で出席していたので、
それを理由に、夫も私も早々と休みを申請しておきました。

ペットの猫がかわいそうなので…休みます。
なんて口が避けても言えません(笑)。

嘘までついてでも(大した嘘じゃないけど…笑)
この真央さんの、歴史的瞬間に、絶対!絶対!絶対!立ち会いたかった。

その日の感覚は、丁度、娘の卒業式に立ち会う母親のような心境かな。
私の生涯の中でも、貴重で意味のある、大事な大事な一日でした。

初めて行くJCBホールは水道橋にありました。
嵐のコンサートが東京ドームであるらしく周辺は、ごった返しておりました。

<プロローグ>
聞きなれた音楽と共に、真央さんイライザ見納めの幕があがる。
もう何十回と観た、歌も台詞も「これで見納めかぁ」と感傷的になるのかと思いきや
意外や意外、冷静な自分がいた。

当の真央さんも、もっと遊んじゃうのかなぁ?と思っていましたが、
いつも通りに、きちんとイライザの役を全うされていて…。プロだなぁ。
最後だからと変に気負う事なく(多少のアドリブはありましたが)、
最後だからこその、イライザを、心を込めて勉めていらっしゃるようにもみえました。
真央さんは、本当に「マイ・フェア・レデイ」という作品を愛していらっしゃったんですね。

キャストの皆様も誠実に舞台を努めていて、この作品を本当に大事に思っているのが伝わってきました。

始まる前、今日は最後だからと、出演者の過剰なアドリブを期待していた自分を反省。

「イライザかい?僕のスリッパいったいどこにあるんだい?」の
ヒギンズ教授の名台詞で大エンデイング。
万雷の拍手と共に真央さん615回のマイフェアレデイ公演は無事幕が降ろされました。
…つづく


マイ・フェア・レデイ卒業A

 投稿者:  投稿日:2010年11月24日(水)19時28分57秒
  <カーテンコール>

あ〜遂に終わってしまった〜

間もなくいつもの軽快な音楽にのって全出演者のご挨拶。
何度かのカーテンコール。スタンデイング、オベーション。
そして何度目かに幕が上がったとき、

「皆様」という司会進行の岡智さんの一声が静寂を呼びます。
厳粛な中にも熱気を帯びたセレモニーの始まりです。

※ これから書いていく文章は、曖昧な記憶と、私の拙い文章力の中で書いていきますので
たぶん間違った表現や、順序、言葉の間違い等、多々あろうかとは思いますが、
こんな感じだったという事でどうぞお許しください※

まずは司会進行の岡さんが、作品と真央さんとの歴史を簡単に紹介。
そして真央さんと同じくこの公演をもって卒業される上条さんの紹介も。

始まった時から感極まっていらっしゃったと思われる岡さんは、
上条さんの「アルフレッド・ピー・ドゥリトル」という役名を
何度も何度も噛んでいらっしゃて(笑)…結局最後まで正確には言えませんでした…。(笑)
でもその笑いが、客席や舞台上の出演者の緊張をいい意味で解いていました。

まだ、立ったままの私達に
「どうぞ皆様、ご着席ください」と促し(もしかしたら最初に言ったかも知れません)
先ずは、この日の為にお祝いに駆けつけてくださった、
歴代の出演者、福井貴一さん、尾藤イサオさん、藤木孝さんのご紹介。

それぞれが、それぞれのはなむけの言葉とお花で、
真央さんを祝福してくださいました。
でも、何を仰ったか殆ど覚えてません(笑)。皆さんあたたかいお言葉でした。

次に、出演者を代表して
上条さんと、石井さんが、順番にお言葉をくださいました。
印象に残った言葉を思いだして書いてみたいと思います。

…つづく
 



マイ・フェア・レデイ卒業B

 投稿者:  投稿日:2010年11月24日(水)19時31分27秒
  <上条恒彦さん>

この2010年版ツアーが始まってからは、公演場所が変わるたびに
場当たり(舞台稽古?)というものをするそうなのですが
真央さんのラブリーのシーンを毎回客席に座って観ていたそうです。
その度に涙が出たと仰っていました。

舞台では、あまり感傷的になると芝居が成り立たないので、
敢えて考えないようにしていたそうです。

そして、このJCBホールは、普段はプロレスやボクシングが行われるところで、
お芝居用のホールではないため、出演者やスタッフも大変だったそうです。
うっかりすると迷子になってしまいそうなほど袖や後ろが広かったと。

上条さんたら・・・JCB関係者も見守る中、
「こんなホールと言ったら失礼なんですが」みたいな事を何度も仰って
笑いを誘っていました。
でも不思議と嫌な言い方に聞こえないのは上条さんのお人柄ですね。
JCBホールの方も決して嫌な気分にはならなかったと思います。

<初JCBホールの印象>

JCBホールの広さは私も感じていましたが、やはり舞台裏もそうだったんですね。
アリーナ席に行くのにエスカレーターで下へ下へと沢山降りました。
客席が、何層にもなっている作りだからでしょうが、でも全然嫌じゃなかったです。
どの階にも係りの方が立っていて迷わないように誘導してくださいましたから。

近代的且つ機能的なホールで、その上きれいで、働いているスタッフの方々の対応が本当に気持ち良かった。
係員全員がこの公演の「マイ・フェア・レデイ」の成功を手助けしてくださっているのを、
ビンビン感じましたし、
観る前に心配していた不安は消え、想像以上の素晴らしいホールでした。
ロッカーの数やトイレの数も充実していて、一部の劇場にも採用して欲しいくらい充実していましたね。

話がそれました。すいません。

<上条さんのスピーチの続きです>

そんな素晴らしいホールでも、構造上からすれば、やはりお芝居する構造にはなっていないと上条さんは仰います。

目的が違うホールだから、当然オーケストラピットはない。
なのでオーケストラの方達は舞台の熱気も感じられない、
舞台の奥に追いやられていた…と。

プロレスやボクシング観戦が主だから、アリーナ席の椅子はパイプ椅子に近いものがあり、
座ってる皆さんも大変な思いで観てくださっていましたよね…と。

「でも僕は…真央ちゃんの最後がここJCBホールで良かったと思ってる」
「こんなホールだからこそ、真央ちゃんの素晴らしさをより分かることができた」
「こんな悪条件は、みんなが協力しないと成り立たない」
「真央ちゃんだからみんなが成功させようと頑張ったんだよ」
「真央ちゃんだから!」みたいな事をあったかい眼差しと共に熱く語りかけて…くださり。
それを聞いていたら、胸に熱いものがこみ上げてきて…涙。
上条さんの愛あふれるお言葉に、真央さんも思わず大粒の涙。
いや見えたわけじゃないんですが、でも分かります。泣いていました。
舞台も客席も涙涙の大洪水。

…つづく

次は2005年よりヒギンズ教授をされている石井一孝さん



マイ・フェア・レデイ卒業C

 投稿者:  投稿日:2010年11月24日(水)19時33分35秒
  <石井さんスピーチ>

石井さんは最初から涙声。途中真央さんからハンカチを渡され拭く場面も。
涙を拭きながら「僕は、涙をよく汗と間違われるんです」なんて、おどけていらっしゃいました。
1995年「アイリーン」で初共演させていただいてから今日まで、
真央さんとのお付き合いも15年になります。
その間いろんな真央さんを見てきました。
笑い転げる真央さん、泣いている真央さん、お稽古場でお菓子をほおばる真央さん
色んな真央さんを見てきました(このあたりでだいぶ涙声に…。そして真央さんからハンカチ)

(色々仰ったのに思い出せない………)

「真央さんの素晴らしいところは、共演者やスタッフに本当に気配りなさる方でした」

「20年間615回という偉業はこの先誰も成し遂げられないほど、素晴らしい事です」
「この歴史的瞬間の皆様は目撃者になったんです」(とか何とか…あ〜曖昧でごめんなさい))

「そしてこの先、何十年何百年経った時、僕は死んでいますが、真央さんはたぶん生きていらっしゃると思うので」(大爆笑)
「…(笑)それだけ真央さんは健康な方ですから…(ボソ)」
「何十年、何百年経った時、2010.11.20の今日と言うこの日は伝説になるんです」
「皆様はその伝説の日の、伝説のお客様です」
これ以上ない石井さんのお言葉の数々に真央さん、またまた涙まみれ。

拍手と涙と笑顔を入り混じった幸せな空間と一体感。幸せでした。

そんな優しい言葉をかけてくださる石井さんには
私からも、是非感謝の言葉を伝えたい!!

…つづく



マイ・フェア・レデイ卒業D

 投稿者:  投稿日:2010年11月24日(水)19時35分21秒
  <石井一孝さんへ>

真央さんイライザが、歳を重ねても尚、可愛く、愛らしく、魅力的に見えたのは
石井さんのヒギンズ教授があったからです。

石井さんヒギンズには、
大人の男の色気が、ありました。
男の力強さが、ありました。
男の可愛さが、ありました。
そして何より、イライザへの愛をすごく感じました。

このイライザを愛する演技、石井さんヒギンズにしか表現できていなかった!!
と言ったら歴代のヒギンズ教授に失礼でしょうか…。

でも本当にそう思うのです。イライザとのバランスといい
いい意味での互角の愛を表現できていたのは石井さん、あなただけです。
脚本に書かれた台詞だけでは生まれない、何か…。
それが石井さんと、真央さんの信頼関係から生まれるものなのかはわかりませんが、
それらが相乗効果を生んで、マイ・フェア・レデイという作品が
より完成度の高いものになっていったように思います。

日本人離れした容姿、振る舞い、石井さんのヒギンズは本当に完璧に近いものがありました。
真央さんの、見た目の美しさへのこだわり、役へのこだわり、
マイ・フェア・レデイへの思い入れ、
そういったものを石井さんは間違いなく継承していってくださる方だと確信します。

石井さんご自身も、確かそんなような事を仰っていましたよね。

石井さん素敵なヒギンズ像を作り上げて下さって、本当にありがとうございました。
石井さんのお陰で、真央さんがより素敵に見えました。


石井さんのヒギンズはまだまだ、あと20年はできると思います。

でも石井さん…ひとつお願いがあります。

石井さんがあと20年もヒギンズをされると通算25年になって
真央さんの20年を抜いてしまいます。おそらく615回も抜いてしまうでしょう。

なので…できればここは【師匠】真央さんの顔をたてて(笑)、
通算19年、614回くらいで止めておいてくだされば嬉しく思います(笑)。

…つづく



マイ・フェア・レデイ卒業E

 投稿者:  投稿日:2010年11月24日(水)19時43分23秒
  <本日の主役、我らが真央さん>

「皆様、本日は歌舞伎座でも、明治座でもなく、このイライ座にお越しくださいまして
本当にありがとうございました」
「素晴らしいキャスト、スタッフ、そして何よりこうして劇場に足をお運びくださったお客様おひとりお一人の応援のお陰で、無事幕を降ろせましたこと本当に嬉しくおもいます。感!!無量です!!」(涙)
(ニュアンスだけ汲み取ってください)

「公演では、615個のりんごと、615個のチョコレート、615個のビー玉を食べた事になります」

「今日で、私のイライザは卒業しますが、
これからもこの素晴らしい「マイ・フェア・レデイ」が
長く長く続けていかれることを願ってやみません」

割れるような万雷の拍手と掛け声。
そして
「協会へ連れて行け」のナンバーをみんなで大合唱。
歌の後、何度目かのカーテンコールのあとオーケストラの面々も
真央さんの手招きで舞台前面に出てみんなで労をねぎらっていました。
本当にひとつにまとまった最高のカンパニーでした。

興奮のなか、ホールの両サイドから巨大クラッカーが鳴り響き、
そこから銀のテープ状のキラキラが、派手に飛び出す演出。
「わぁーーーキャー!!」と歓声があがりました。
天井近くに上がったキラキラがひらひらと舞い降りほんとうにきれいでした。
盛大にして感動的な2010年版「マイ・フェア・レデイ」はこうして幕を閉じました。

真央さん!!イライザご卒業本当におめでとうございます。
そしてお疲れ様でした。

真央さんの最高のイライザは、生涯忘れません。

これからはイライザを卒業して少し大人になった真央さんを期待しています。