目覚し時計みたいに正確な獄寺君の声が聞こえなくて。
今日もまた、いつもより長くベッドにこもる。
獄寺君、早く迎えに来ないと、遅刻しちゃうよ。
12:銘柄
ベッドからようやく体を起こして、のろのろと台所へ向かう。
時計の針は8時ちょうど。
いつもなら獄寺君が迎えにくる時間だ。
それなのに、玄関にも台所にも獄寺君の姿はなく、
今日もまだ日本に帰ってきていないことを知る。
「おはよう」
「おはようツナ。もうごはんできてるから、早く食べて学校行きなさい」
自分の席に座ると、目の前には母さんの言葉通り朝ごはんが並んでる。
「いただきます」
あいさつしてからこんがり焼けたトーストに手を伸ばす。
「今日はお父さんが早く帰ってくるのよ。
勉強で分からないところがあったら、教えてもらいなさい」
「うーーーん」
寝起きで頭の働かないオレは、
口の中でもそもそとパンを噛み砕きながら、あいまいな返事を返した。
「ちょっくら留守にします」と、獄寺君がイタリアに帰ったのはいつのことだろうか。
・・・確かあれは金曜日の下校の途中。
今日は火曜日だから、まだ4日しか経っていない。
あの声が聞こえないだけで、あの笑顔が見れないだけで、
心の中にぽっかり穴が空いた開いたみたいだ。
前からさっぱり分からなかった授業は、今では先生の声が耳を通り抜けるだけ。
獄寺君は今頃何をしているんだろう。
ダイナマイトやアクセサリーなんかを見て回ってるのかな。
それとも友達と遊んでたりするんだろうか。
こんなにもやもやするくらいなら、いつ帰ってくるのか聞けばよかった。
でもあの時のオレは「気をつけてね」なんてことしか言えなくて。
気が付けば獄寺君のことを考えていて、
獄寺君のことを考えると心の中がもやもやする。
オレがこんな変な気持ちになるのは、
いつもオレについて回ってたのに、急にいなくなる獄寺君のせいだ。
最初の1日は良かった。
いつもべったりくっついてくる人がいなくなって、ちょっとすっきりしたから。
次の日は何だか変な気分だった。
日曜日といえば休みだから学校の友達に会わないのが普通なのに、
ここのところは毎週獄寺君が遊びに来ていたから、
ブドウなんかを手土産にして、「10代目、一緒に食べましょう」なんて、
いつもの調子で遊びに来るんじゃないかってソワソワしてた。
上の空でランボが話し掛けるのに気づかずにいたら、
泣きつかれて鼻水と涙がシャツに染み込んだのは、ちょっと思い出したくない出来事だ。
昨日は月曜日で。
毎朝獄寺君が迎えに来ていたから、ごはんを食べながらぼんやりと待ってしまった。
しかもぼんやりしすぎて遅刻しそうになるし。
学校に着いても獄寺君は来ていなくて、授業の途中に登校してきて挨拶しに来るんじゃないかって落ち着かなかった。
早く傍に来て欲しいっていう気持ちと、来て欲しくないっていういじけた気持ちが顔を出し合って、1日中、心の中がもやもやしていた。
今朝もやっぱり獄寺君は迎えに来なくて、遅刻ギリギリで教室に入った。
授業が始まってからは、もちろん生徒は誰も入ってこない。
でも、今にも獄寺君が校門から入って来て4階のオレに向かって笑って手を振ってくれるんじゃないかって、
窓の外を眺めてたら、先生に怒られた。
胸の中がもやもやするのも、先生に怒られたのも、みんなみんな、獄寺君のせいだ。
今日のオレはいつも以上にダメだった。
授業なんて全然意味が分からないし、昼ごはんを食べてる時は箸を落とすし、帰りは階段を踏み外してこけた。
心も体もボロボロになって一人でとぼとぼ家に帰る。
前までだったら普通のことなのに、獄寺君と一緒に帰るのに慣れてしまったから、
何だか、すごく、寂しい。
獄寺君がいなかった頃に戻っただけなのに、
獄寺君がいる時のことを知っているから余計に寂しくなる。
「・・・早く帰ってこいよ・・・」
一人きりでつぶやいた言葉には、何も返ってこなくて。
自分でも分からない何かを振り切るように、走って帰った。
家に着いて、ドアを開けて、靴を脱いで。
弁当箱を渡すために台所に向かった。
かばんから弁当箱を取り出しながら歩いていたけど、ハッとして足を止めた。
かすかに、タバコのにおいがする。
考えるよりも先に走ってた。
家に帰ってくる時にも走ったから、ほんとはしんどいはずなのに。
そんなことも考えずに、わずかな距離を走って、台所に駆け込んだ。
「お帰りなさい、ツナ」
母さんに返事もせずに、台所を一周見回した。
そこに母さん以外の姿はなく、
だけど、テーブルの上に置かれた灰皿と、もみ消されたタバコを見つける。
慌てて母さんに向き直って、テーブルを指差して声を出した。
「母さん、このタバコって・・・!」
言い終える前に、後ろから肩に手を置かれて、びっくりして後ろを振り返った。
そこにはオレが探していた人じゃなくて、父さんの姿があった。
「ドタバタいってたけど、何かあったのか?」
一瞬、すごく期待してしまった後の落胆っていうのは、計り知れない。
力なく首を横に振って、父さんが中に入れるように体をずらした。
「そのタバコはね、父さんが会社の人からもらったんだって」
「ん?これか?」
灰皿のある位置に座った父さんが、少し興味なさげにタバコの箱を手に取った。
「1回くらい吸ってみろって部長に押し付けられたんだ」
「でもひとくち吸ったら父さんすごいむせこんじゃって。今うがいしに行ってたのよね」
「母さん!」
父さんはごほん、とひとつ咳払いをして、手にしたタバコを捨てるために席を立った。
「あ・・・」
「うん?」
「それ・・・捨てるなら欲しいんだけど・・・」
「「!?」」
オレが不良になったんじゃないかって顔をする父さんと母さんに一気に作り話をまくし立てた。
「っ・・・あ、オレが吸うとかじゃないんだっ
保健の授業でタバコについて調べることになって!
ほら、ニコチンの量とか見たいから・・・」
「あー何だ。そういうことか」
二人とも、その嘘をあっさりと信じてくれて。
はい、とやけに簡単に、それは手に入った。
手の中の箱の感触を確かめて、ありがとうと言うと、
でも吸っちゃ駄目だからな、と釘を刺された。
それに首を縦に振ることで返事をして、自分の部屋に上がった。
パタン、とドアを閉めて、肩から下げていたかばんを床に置き、手にしたタバコの箱を机の上に置いた。
教科書やマンガに混ざったそれは、自分の日常とはかけ離れているように感じた。
イタリアっていう国も、マフィアっていう集団も、
銃やバズーカやダイナマイトだって、今までの生活にはまったく関係のないものだった。
それが今はどうだろう。
いつマフィアのボス呼ばわりされるだろうってソワソワしたり、
ダイナマイトの音が聞こえなくて寂しく思ったり、
タバコのにおいがしなくて物足りない、なんて。
何だか、おかしい。
今までだったらそんなこと思いもしなかった。
だってそういうのって、オレとは無縁の、むしろ関わりたくない部類のものだったから。
この机の上に置いたタバコが、誰かが吸ってるものと同じ銘柄だなんて、
家族の中で誰もタバコを吸わないから、においだけで気づくなんてこと、昔だったら絶対になかったことなのに。
体の力を抜いて、ベッドの上に倒れこむ。
顔だけを机に向けて、タバコの箱を眺めた。
どれだけ手を伸ばしても、ここからじゃ届かなくて。
この距離が、オレと獄寺君の距離みたいだなんて思うのがイヤで、
目を閉じてぱたりと腕を下ろした。
ねえ獄寺君、早く帰ってきて。
その声で10代目って呼んで。
ダイナマイトを取り出したら、慌ててオレが止めるから。
だからお願い。
いつもみたいにタバコのにおいがするくらいの、
オレの側から離れないで。
End
................
ツナも獄寺が好きなんだ、ってこと。
このちょっと後に獄寺が帰ってきて、このまま眠っちゃったツナに挨拶しに来るんだと思います。
より強くなったタバコのにおいに、目を覚まして「おかえり」とか言ってくれたら嬉しいなと。
最初は獄寺が帰ってくるところまで書く予定だったんですが。
こんな感じに収まりました。
(2004.10.15)
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