「今ウチで出前頼んでくれた人に配ってんだ」

山本がオレと10代目に手渡してきたのはハンドソープだった。
竹寿司のロゴが大きく描かれており、後ろを見れば
「ボリーン博士と共同開発!汚れのよく落ちるハンドソープで家族そろって楽しく手洗い!」
と書いてある。
無駄に金がかかっているようだ。

「なんか親父がボリーン博士と知り合いだったらしくて、おもしろ半分で作ったみたいなんだ。今はやりのコーポレーションってやつ?」
「コラボレーションだ筋肉バカ」
「そーそー、コングラチュレーションな!」
「どんな耳してんだこのバカ!」

バカと言われても笑ったままの完全バカは、それじゃあと手を挙げた。

「オレは早いとこ出前に戻るな。ツナと獄寺も今日家帰ったらそれ使ってくれよな」
「うん、ありがと、山本!」

素直に礼を述べる10代目は素晴らしい。
こんなもの、山本が勝手に押しつけてきたものなのに。
去っていく山本の後姿を眺めながら、
手に提げていたコンビニの袋の中に渡されたハンドソープを突っ込んだ。


「おじゃましまーす」

部下の家に上がるときにも挨拶を欠かさない、
折り目正しい10代目に感動しながら靴を脱ぐ。

「あ、そうだ」

廊下を歩きながら10代目は肩からかけたかばんを探り、
商店街を歩いているときに山本に押しつけられたものを取り出した。

「これ使ってみようか」

それを使うと野球バカの言いなりになったことになるから
今日は絶対に使ってやらねえと思っていたが、
10代目が手洗いの重要性をしっかりと認識している方だから、
その言葉に従うのは部下として当然のことだ。
そのためにうちにある市販のものよりも殺菌性の高いと思われる
ボリーン博士が開発に加わったハンドソープを使うのは至極もっともなことだ。
・・・実のところ、最近各界で名を知られ始めたボリーン博士の名前に少し興味を引かれていたのだ。

「ボリーン博士といえば最近エノコログサ定理を提唱して次期ノーベル賞候補に躍り出ましたよね。いろんな学会に引っ張りだこのようですよ。あのボリーン博士の考えた殺菌作用って、ちょっと気になってたんです」
「あいつ最近出かけることが多かったけどそんなことしてたのか・・・」
「10代目?」
「いや、なんでもない」

ちらりと聞こえた言葉からは10代目はボリーン博士と面識があるように窺い知れた。
さすが10代目、人脈はマフィア界だけでなく学界にもあるのだろう。
やはりそこら辺のザコボスどもとはひと味もふた味も違う。
浮かんでくるザコボス共の顔に×印をつけて10代目への尊敬の念をさらに深めた。

10代目と一緒に洗面所に入り、並んで洗面台の前に立つ。
二人並ぶと少し窮屈だけど、なんの建前も言い訳も必要とせずに10代目とくっつけるのは嬉しい。
先に10代目が軽く水で手を洗い、水に濡れた手のひらにハンドソープを絞り出す。
それに倣ってオレも同じようにした。
手のひらの中のハンドソープを揉むように、擦るようにしていくと、水分を吸って泡立ってくる。

「・・・ん、んんん・・・?」

訝しげな声を出す10代目に視線を移して手を止めると、
合わせたままにしていた両手の中で手のひらを押し返すように動くものがあった。

「・・・ん?」

再び手元に視線を戻すと、手の中で育っていた泡が、さらにもこもこと際限なく増殖している。
手を泡で包むというよりは、弾力性のある綿菓子を持っているようだ。
むしろグミのような感触に近いか。ハンドソープのくせに泡が切れない。

「なんだあ・・・?」

泡のような雲のような綿菓子のようなグミのような掴みどころのあるようなないような
よく分からないそれを手のひらでもこもこと揉みながら呟いた。

「でもなんかこれ、おもしろいね」

10代目はご自身の手に収まり切らなくなったそれをもこもことやりながら言った。

「ランボとかイーピンとか、好きそう」
「山本の配るものです、しょせん子ども騙しっスよ」

言ってから、その言葉がこれをおもしろいと言った10代目までけなしてしまうことに慌てたが、
10代目は笑っていてあまり気にしている風ではなかった。
ガキにまで嫉妬しているオレのことを理解して笑ってくださってるんだろうけど、
自分の狭量さが際立つようで少し居心地が悪かった。

「でもこれじゃあうまく手が洗えないよね。この泡持ってこするのかな?」
「あ、ちょっと確認しますね」

10代目の言うとおり、これは普通のものと使い方が違うようだ。
片手で膨らんだ泡を持ち、もう片方の手でハンドソープの容器を持って裏を見ると、
小さな文字で使い方が書いてあった。

使用方法
 1 水分を含ませると泡が膨らみます


「おっ、これ浮くよ!すごいなぁ」

ぽわん、ぽわんと上下する泡と楽しそうに遊ぶ10代目の笑顔に心の中がほわほわする。
泡と戯れる10代目の姿もシブイ。

「あれっ?」

 2 泡は膨らむと浮き上がるので、両手でしっかり捕まえてください

ぽわぽわと、それまでよりも高くまで泡が浮かび上がる。
その泡は勢いよく落ちてきて、10代目の頭にぶつかった。

「ぎゃあ!」
「10代目!!?」

 3 衝撃を与えると泡が割れ、包み込んだ水分がはじけて手や体をきれいにします

それまでいくら触っても壊れなかった泡が、びしゃり、10代目の頭に当たって壊れた。
泡に含まれていた水が弾け、10代目の体をずぶ濡れにする。
慌てたオレの手からも泡が浮き上がり、同じように頭上でバウンドし、弾けた。

「ギャア!」
「獄寺君!!」

使用上の注意
 ・水が飛び散りますので風呂場など濡れても平気な場所で使用してください


被害は頭から肩にかけてだが、泡混じりの水をかぶってしまったため、乾かすだけでは済まない。

「山本め・・・」

ぎゅ、と握りつぶした容器から勢いよくハンドソープがはみ出した。

 ・このハンドソープは保水力が高く空気中の水分を吸収してどんどんふくらみますので、一度につき米粒ほどの量をご使用ください

はみ出たハンドソープは空気中の水分を取り込んで、勝手にもくもくと膨れだした。

「おわっ・・・!」
「あ、だめだよ獄寺君!!」

洗面所を満たすほどに膨らんで迫りくる泡を避けようとしてとっさに手を振れば、
バシンと腕が巨大な泡を打ちつけた。
大きく膨れ上がった泡は先ほどのものとは比べ物にならない勢いでバシャンと水音を響かせながら弾け飛んだ。

「ぎゃああああ!!!」

頭といわず肩といわず、オレと10代目は全身をずぶ濡れにしてしまった。

「・・・すみません、10代目・・・」

ずぶ濡れの上に泡まみれ。
自分の失態にしょぼんと肩を落とすオレに10代目は怒らずにこにこと笑っている。

「いや、びっくりしたけど冷たくて気持ちよかったよ」
「ですが・・・」
「水とハンドソープだからきれいになってるよ。ちゃんと泡洗い流してタオルで拭いたら終わり!そんな落ち込むことじゃないって」
「じゅうだいめえええ」

情けない声を出して優しい10代目にすがりつく。
互いの服がびしょびしょで抱きつくとぐっちょりと嫌な感触がした。
それでも10代目にくっついていたかったが
夏とはいえこのままでは10代目が風邪をひいてしまう。

「10代目、先風呂入って洗い流してきてください」

洟をすすりながら10代目から離れると、きょとんと目を丸くして見上げられた。

「一緒に入らないの?」
「いいいい一緒ですか・・・!?」
「だってオレが出るの待ってたら獄寺君が風邪ひいちゃうよ」
「オレはいいですっ、10代目がお先に・・・!」
「さっきの泡、楽しかったし。ほんとは風呂で使うもんなんだよね?一緒に遊ぼ?」

上目遣いにそんなことを言われてしまったら。
思春期真っ盛りの中二男子はひとたまりもない。
駄目な部分が熱くなるのを感じながら情けない自己申告をして過ちを防ぐ。

「10代目の言う遊びでは済まなくなりますので・・・どうかお一人で入ってください」

視線を逸らしてごにょごにょと歯切れ悪く言えば、
10代目はなにも言わずに濡れたシャツを脱ぎ始めた。

「じゅっ・・・!」

濡れた布の擦れる官能的な音が聞こえてくる。
視界の端になめらかな腹と愛らしいへそが見えて意識が赤く点滅する。

「体洗ったあとならいいよ」

耳に届いた言葉に思わず10代目の顔を凝視すれば、頬を赤く染めてにこりと笑う。
その艶かしさに息を呑んだ。

「一緒に入ろ?」

その言葉に体温は一気に上昇し、濡れた服が生ぬるくなっていく。
10代目の言葉に従うようにしてふらふらと服を脱いでいった。
床に放り出したハンドソープを10代目が拾い上げる。
使い方の上部にボリーン博士のシルエットが書かれていた。

 『家族そろって楽しく手洗い!』


End


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