『明日の試験で合格点を取らないと今度の祝日は休み返上で補習だぞ!』
 そんなことを言われてしまっては、どう考えてもオレの祝日の予定は補習で決定ってことになってしまう。この時代にそんな横暴を働く先生が居るなんて考えたくもないけれど、実際に居るんだから仕方ない。校長先生、この先生こんなこと言ってます。告げ口をしてやりたい気持ちは山々だけど、世の中の先生というものは全員オレの敵なわけで、校長先生まで「先生は君のやる気を出そうとしてそう言っているんだ」とか言って二人がかりでオレに勉強をさせようとするんだろう。このままいけばオレの休みはおろか、先生の休みだってなくなってしまうだろうに、迷惑なほどに教育熱心だ。
 あーもういっそのこと学校なんてなくなっちゃえばいいのになー!と、大声で言えるものなら言ってみたい。前に一度そんなことをぼやいたら、今隣で勉強を教えてくれている自称右腕の彼が本当に学校を吹っ飛ばそうとしたことがある。彼の使う武器は建物だって簡単に壊せてしまうシロモノなので、そういう半分以上本気の混じった冗談は、危険なので心の中でしか叫ぶことができない。
「10代目、分からないところがありましたか?」
 勉強にも飽きてきてぼんやりどうでもいいことに思考を巡らせていると、隣から声がかかった。自称右腕の獄寺君だ。
「ううん。ちょっと疲れただけ」
「そうですね…もう勉強を始めて三時間になりますから…そろそろ休憩を入れましょうか?」
「うん、じゃあ…問五まで終わったら休憩することにするよ」
 オレは解きかけの問題を見ながらその下の問題をシャーペンで突く。
「はい。この問題は今の問題と同じ解き方ですね」
「……うん、たぶん分かると思う」
 これまでに十枚近いプリントをこなして、嫌と言うほど似たような問題を解いてきた。新しいプリント、新しい数字の配列だけど、その構成はほとんど同じ。頭で考えるというより、指が勝手にシャープペンシルを走らせるようになっている。ここまでくれば明日の試験もうまくいきそうだ。これも数式の意味からして全く分からないオレの面倒を根気良く見てくれた獄寺君のおかげだ。
「飲み物でも用意してきますね」
「ありがとう」
 しばらく問題を解き進めるオレの手元を眺めていた獄寺君は、そう言うと立ち上がって台所へ向かう。たぶんゆっくりながらもつまずかずに数式を書いていくオレの様子を見て、付いてなくても大丈夫だと思ったんだろう。
 獄寺君の姿が扉の向こうに消えてからそう時間もかからないうちに、目標の問五まで解き終わる。それまでずっと持ち続けていたシャープペンシルをプリントの横に置き、握った形に固まってしまった指を開いて大きく伸びをする。ゴキゴキと背中を鳴らしてからプリントの上に顔を置いた。
 それにしても疲れた。獄寺君も文句一つ言わずオレの面倒を見てくれてたけど、他に何をするでもなくずっと人に勉強を教えるって、絶対教えてもらってるオレ以上に疲れてるはずだ。オレには真似できそうもない。(そもそもオレは人に勉強を教えることができない)それなのに飲み物の用意までさせてしまって、悪いなぁ、と思う。けれど押し付けがましくせずに自然と行われるその行為に、オレの方も甘えてしまう。勉強ができて、かっこよくて、優しくて、リボーンとは大違いだ。
 そこでふと、ここに来る前に見た家庭教師の顔を思い出す。リボーンだって勉強ができるしかっこいいけれど、最後の優しいという項目に疑問あり、というのは、オレにとってはとても重要なことだった。優しくない。本当に、あの小さな家庭教師はとても厳しい。
 今回の試験で合格点が取れなくても、一日の補習だけで先生の気が済むのなら、それでもいいかなーなんてあきらめかけたとき、リボーンはぎらりと底冷えのする視線でオレを射抜いた。
『オレの生徒が補習を受けるなんてこと、許されると思ってんのか』
 なんて、傲慢に言う。もちろん手には銃を持って、オレに無条件に言うことを聞かせるのを忘れない。
 かと思えば、しばらく出来の悪いオレに勉強を教えたあと、
『同じ事を何回教えても理解しない奴に教えるのは飽きた』
 と、至極もっともな理由で家庭教師の任を放棄した。オレだって一回で理解できるようになりたいよ。だけどそれが無理だから困ってるんじゃないか。ぐちぐちと言えば言うほどリボーンのイライラが募り、最後には銃口を向けられた。
『黙るか死ぬ気になるか、どっちがいい』
『……黙ります』
 一人で勉強をしていても問題が解けるはずがなく、一応愛情のこもっているらしいリボーンお手製のプリントは、ほとんど白紙のまま最後の問題に行き着いてしまった。一度愛情をかけたのなら、最後までかけ続けて欲しいと思う。中途半端な愛情をかけられた方は、途中で放っておかれてもどうしたらいいのか分からない。
『……獄寺君に教えてもらいに行ってくる』
『そうしろ』
 分からないから他の人に頼るしかない。オレの勉強を見もせずに銃の手入れをしていたリボーンは、やはりオレになど目を向けずに一言返した。それももういつものことになってしまっているのでオレの方も大してショックも受けずに出かける準備をし始める。
『それからツナ』
『なに?』
 引き寄せた鞄の中に畳んだプリントと教科書、ノートを入れているところで名前を呼ばれる。振り返ってみると相変わらずリボーンは銃の手入れをしていた。
『お前がすることに対してオレは何も言うつもりはないけどな』
『うん』
『いちゃつくんなら勉強済ませてからにしろよ』
 鞄に入れようとして掴んでいた筆箱を取り落とす。カシャン、と布の内側でペンが互いにぶつかり合う音がした。
『いいいいちゃつくとかそんなことしないよ!勉強しに行くんだから!!』
 急激に上る血を意識する。たぶん赤くなっているだろう顔のまま、それでもリボーンを睨みつけると、やっぱりオレのことなんて見ていなくて、涼しい顔をして銃を懐に仕舞っていた。
『分かってんならいいんだ。さっさと行ってこい』
 やっとこっちを向いたかと思えばそんな言い方。赤ん坊のくせに生意気だ。
『…やっぱり死ぬ気になりてーのか?』
『っ…行ってきます!』
 仕舞ったはずの銃をいつの間にか手にして、オレの額を狙っている。リボーンの奴、読心術でオレの考えてること読んだんだ。綺麗に磨かれて光を反射する銃口と見つめ合いながら後ずさりする。リボーンがその引き金を引いてしまう前に、オレは慌てて部屋を出たのだった。





 ここに来るまでの出来事をぼんやりと思い出していると、ふと甘い香りが漂ってきた。かちゃりと扉が閉まる音を聞いて、獄寺君が戻ってきたことに気付く。扉が開く音に気付かなかったから、もしかしたら少し眠っていたのかもしれない。
「お疲れ様です」
 そう言って目の前に置かれたマグカップからは、あたたかい湯気と甘い香りが流れてくる。獄寺君の淹れてくれた、あったかくて甘いココアだ。机に頬をつけて獄寺君の顔を見上げる。
「ありがとう」
 ほかほかとあたたかい空気にまた眠気を誘われる。
「10代目、もう十分勉強されましたし、明日に備えてお休みになりますか?」
「うん……?泊めてくれるの?」
 獄寺君のやわらかい声も心地いい。とろとろと溶ける思考の中でぼんやり返すと獄寺君がわたわたとおもしろい動きをし始めた。
「だ、だめですよ、きちんとご自宅に戻って休んでください」
 慌てる獄寺君の様子を眺めながら少しずつ覚醒する頭の隅で、悪いことを考える。一人で獄寺君を待ってる間は少し眠かったけれど、今はあまり眠くない。獄寺君にこんな表情を見せられて、寝ていられる訳がない。困った顔を見せる獄寺君を、もっと困らせてみたいなんて、そんな気持ちは初めて感じる。すごく、おもしろい。
「獄寺君は眠くて仕方ないオレを歩かせようっていうんだ?」
 頬を机につけたままで言うと、獄寺君の顔はみるみる渋い顔に変わっていく。「うー」とか「あー」とか意味の成さない声を上げながら、がばっと音が立ちそうな勢いで顔を下に向け、がりがりと頭の後ろを掻いた。とても困っているらしい。
「オレは、10代目はご自宅に戻られた方がいいと思います」
「なんで?」
 だいぶしっかりしてきた声で聞き返すと、さらに渋くなる顔。
「………10代目と一緒に寝てたら、自分を抑える自信がありません。明日は大切な試験があるのに、無理をさせてしまいそうです」
 獄寺君ちに泊まったら一緒に寝てくれるんだ、なんてちょっと嬉しい情報を仕入れながら、その所為で表情に笑みが溢れてしまう。
「獄寺君ならオレに手を出さないで寝かせてくれると思うよ?」
 そう言ったときの獄寺君の顔は、どう表現したらいいだろう。困ったような嬉しいような拗ねたような喜んでいるような、それとも怒っているような?ただひとつ確かなのは、その顔を見るとオレは嬉しくて楽しくて心の中がほんわりとあたたかくなるってこと。
「10代目…オレのこと試してるんですか?」
 その声は拗ねた色と甘えた色を湛えていて。こんな、ダイナマイトを体中に隠し持ってる人のこと、かわいいなんて思う日が来るなんて誰が想像しただろう?自分よりも強くて大きい男の子のことを、かわいいと思うなんて。どうやらオレは、獄寺君に相当参っているらしい。
「違うよ、信じてるんだよ」
 オレの言葉ひとつでくるくると表情を変える獄寺君が愛しくてたまらない。ふんわりと微笑んだ獄寺君の表情は、あたたかな幸せと心地よい眠気を運んでくる。こんな幸せ、手放せそうにない。
 あたたかい湯気の向こう、あたたかな笑顔。ねえ、獄寺君。今夜はどこで眠ろうか?





End





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昔の話すぎて恥ずかしいので手をつけられません。
せめてサイト用のレイアウト(文章ごとの改行)した方がいいのかなと思いつつ、
これはこれで、と、そのままで。
決して手抜きだとか時間がないからとかそんな理由じゃあ・・・。

(2008.06.22)

(2006.11.19発行 『おまけ本』より再録)


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