昔の山仲間に誘われて約半月ぶりの大山です。今回は大勢の人が麓の別荘地に建つロッジに集りました。
我々は後発組で12日の早朝に車2台で尼崎を出発する。渋滞にも逢わずに9時前にロッジに到着する。
前日から来ているグループがすでに山に向かったので後を追う。下界組の車で大山寺まで送ってもらって10時出発する。
前日に大山寺の下山野営場に着き、佐陀川の河原を散策する。北壁はガスの中、蒸し暑いのでテントに戻る
夕方になり標高800mの涼しさになってきた。
翌7月26日の朝4時過ぎにタープを叩く雨の音。無理して雨の中を登っても面白くないし、でもせっかく来た
のだから登ろうかと迷ったが、いける所まで行ってみようと少し出遅れたが6時25分に野営場を出発する。
雨は止んでいるがガスが濃いくて視界は悪い。大山寺橋で登山届けを書いて提出する。人の動きは見えない。
濡れて滑り易く歩き難い日本一長い「自然石の石畳の参道」を大神山神社奥宮に向かう。朝の参道に人影はない。
大神山神社奥宮の山門の写真を撮っている登山者が一人いました。(この人とは後にユートピア小屋で一緒になり、
九州から来て、一昨日は弥山に登られた、私と生れ年が同じ方でした。)大神山神社奥宮の裏手から山道を
少し行くと元谷と下宝珠越との分岐に着く。
下宝珠越に向かう。早朝のこの道は天気の良い日でも薄暗くて一人では寂しい感じがするのに今朝はガスが深いので
なおさらです。途中で元谷の治水用の作業道を横切って谷の道を登る、だんだん傾斜も増してきて巨木の根っ子の梯子
登りの連続で高度を稼ぐ、途中で松江から来られた年配の女性の単独登山者が追い越して行かれた。
やっと下宝珠越に到着。先ほどの女性も休んでいて、すぐに九州の登山者も合流。今後の予定を聞くと皆さん行ける所
までといってました。私もそのつもりでまづは中宝珠越を目指して出発する。
中宝珠越まではきつい登りはなく歩きやすい。肩口あたりにかぶさる水滴をつけた藪でTシャツの袖はびしょ濡れになる。
ガスが晴れず展望はまったく無くて気持ちは帰りたいが足は前に進みます。昨年は見なかったツツジもガスの中にある。
下を見て歩いていたら背の高い中宝珠越の標識を見過ごしてしまいそうになる。積雪時の為なのか仰ぎ見る。先行した
女性も引き返してこないようなので、さらに上宝珠越に向かう。すぐに2000年秋の地震で崩壊した所を行く。ロープも
有るし年々登山者に踏まれて道らしくなっている。ここからはだんだん登りもきつくなり何箇所か足場の悪い所がある。
今年も花の写真を楽しみにしてきたのにこの天気、暗いのでストロボが発光するし、高い木の葉から強風で滴が雨のように
落ちて来るし、風で花が揺れてピンぼけばかり、私のショボいデジカメではうまく撮れないので、写真はほぼ諦める。
ここからCa1330への登りが急で滑りやすい岩のところがあったり、暗く陰気な所もあるが花も多いところです。
崩れやすそうな崩壊地の通過もあるがいずれもロープもあり、弥山に登るより変化があって面白いコースです。
天気がよければ北壁や三鈷峰西壁の素晴らしい展望が楽しめるコースですが残念です。Ca1350を越えて下ると
上宝珠越に着く。ここから下山路に有利な砂走りがあるが、下ってきた登山者に尋ねるとガスで見通しが悪いので
落石の対応が出来ないので今日はピストンで来た道を下ると言うので参考にする。ここから山鼻を越えて2,3のガレ
を横切ってトラバース気味に登る、所々、冬の雪に押さえつけられた枝や幹が道を這って横切っており、さながら
ハ−ドル競技のように越えて行く。稜線の標識が見えたところで風除けに雨具の上着を着る。
何やかや言いながらここまで来てしまった。ガスと強風で花の写真は無理、分岐から先に三鈷峰をタッチだけでもしよう
と向かう、雲の中を歩いているみたい、頂上手前の崩壊地のコブを注意して慎重に越えて行くと目の前にケルンが現われた。
写真だけ撮って来た道をユートピア避難小屋に向かう。途中で出会った地元の登山者に花のことを尋ねると
クガイソウが今年は元気が無いように言っていた。例年はあと1週間位あとの8月始めが見頃のようです。
避難小屋に入ると朝に逢った九州からの登山者と他に2名がいた、簡単に食事をしてからお互いに写真を撮りあって
下山開始。九州の人は三鈷峰に行くと言うので、簡単にルートの説明をして別れる。
下山を始めると登山者が次々と登って来る、10人以上の3グループとすれ違うのは大変です。中宝珠越(AM11:35)
一瞬だけ三鈷峰西壁の下部が見えたがまた深いガスに閉ざされた。下宝珠越(PM12:04)。元谷と下宝珠越との分岐
(PM12:30)。テント場(PM13:02)。テント撤収出発(PM14:26)。工房着(PM18:45)。
鳥取県の赤碕へ出て国道9号線を、蒲生トンネルで兵庫県に入り、和田山〜氷上〜山南町、往復440km。
昨年の天気の良いときのレポートはこの下に続きます。
前日に大山寺の下山野営場に着き、夏道沿いの阿弥陀堂などを散策して1泊する。
大神山神社奥宮の先で元谷への道と別れ下宝珠越へ向かう。道は沢状の石のゴロゴロしたところを登り、途中で工事用
これからは尾根歩き。歩きやすい道をどこが頂上か分らない中宝珠を行くと右手の樹間を通して北壁が見える。
道の脇にも花が咲いている。夏道登山道に比べて静かな山歩きが出来る。
中宝珠越から元谷へは通行止め。上宝珠に向かう。すぐに地震で崩壊したところを通過。上宝珠への登りは急で
はじめて見る展望に元気つけられて進む。北壁も目の前に迫ってきた。小屋までのルートを眼で追うが判らない。
ここからは地図上はやや登りのトラバース道。稜線を歩く人影も見えてきた小屋もだんだん大きくなってきた。
翌8月1日の朝6時に野営場を出発。早朝の日本一長い「自然石の石畳の参道」を大神山神社奥宮に向かう。
<下山キャンプ場> <大神山神社奥宮より朝日に輝く大山北壁>
道路を横切り、急坂を木の根を掴んだりして登る。早朝の日陰の道は薄暗くて一人では寂しい。峠に出る手前であとから
登って来た単独の男性が追い越していく。突然朝日がまぶしく差し込むところが下宝珠越であった。(7:30)
<下宝珠越> <中宝珠に向かう尾根道のソバナ>
<宝珠尾根から三鈷峰の崩壊壁> <中宝珠から上宝珠方面>
もっと先に行くと展望の良いところがある思い、気はあせるが足がついてこない。まもなく中宝珠越に着く(8:00)
<中宝珠越に向かう尾根道から大山北壁> <中宝珠越の標識>
<ホソバノヤマホオコ> <シモツケソウ> <シシウド>
崩壊したところもロープが有り注意して歩けば問題ない。だんだん展望も良くなり大山夏道の6合目の避難小屋も
見える。大山北壁も圧倒的な迫力である。そしてついにユートピア避難小屋が見えた(8:30)。でもまだ遠い先です。
<大山北壁> <夏道尾根の6合目避難小屋(矢印)>
<ユートピア避難小屋(矢印)> <大山北壁>
でも小屋は随分と近づいてきた。振り返ると歩いてきた宝珠尾根が見える。やっと上宝珠越に着く(9:00)。
<上宝珠越手前から宝珠尾根> <砂滑り分岐(上宝珠越)>
<上宝珠越の上から三鈷峰> <ユートピア避難小屋>
トラバース道はところどころで冬の雪で押さえつけられた幹が地面を這ってるために歩きづらい。最後のひと頑張りで
三鈷峰とユートピア避難小屋を結ぶ稜線に出た。そこから5分ほどでお花畑に囲まれた小屋に到着した(9:30)。
<三鈷峰とユートピア小屋の分岐直下> <ユートピア小屋と三鈷峰>
<ユートピア周辺のクガイソウのお花畑>
<オオバギボウシ> <シモツケソウのお花畑>
ユートピア周辺の私の知っている範囲の花たち。気が付けば主人公のクガイソウのアップ画像がありません。
<シモツケソウ> <シシウドに蜂> <コオニユリ>
<ホソバノヤマホオコと蜂> <ダイセンオトギリ> <シコクフウロ>
<ユートピア小屋から三鈷峰> <三鈷峰頂上(1516m)大山北壁をバックに。>
<三鈷峰から烏ケ山> <三鈷峰からユートピア小屋(○印)をみる>
来た道を「砂滑り」分岐(上宝珠越)まで下り、「砂滑り」を降りることにする。北壁の凄まじい崩壊地の下を歩くのは怖
かったが、小屋の傍で山馴れた人に聞くと気象状況から見てもコンデション良いようです。過去に富士山の砂走りを
下ったり、剣や穂高の雪渓をグリセードしたり、台風の白馬大雪渓の下りで怖い目にあったことなどあったが要は常
に注意深く行動することが大切。今回も小屋からもっと上部に登って見たい気はしたが今の体力から見ても、くだりに
体力を残すのがベターと判断していた。樹林の斜面を下り「砂滑り」ザレ場に降り立つ、左岸の壁からの落石に注意し
ながら下降を始める。幸い後続者もなく静かな涸れ谷を降り、元谷の登山道から大山寺に着き、売店で缶ビールを
買って飲みながらキャンプ場に帰り、テント撤収し14時出発。来た道を走り18時15分、218km走り工房に帰る。
前日に大山寺の下山野営場で1泊、駐車場料金が無料になっていた。
<弥山頂上より剣が峰>
去年は霧と雨と強風の中を、足元しか見えずに登ったが、今年は天候に恵まれた。
<弥山頂上より烏ケ山>
頂上が混んできた。下りは夏道の途中から元谷経由で下山野営場へ、行者谷あたりは
当日の朝6時に野営場を出発、きのうに比べて静かな夏道の登り口。
天候が良い為か、約2週間前に登った御岳の疲れが残っていたのか、八合目ぐらいから
失速して2時間40分で頂上着。昨年の木道工事による石室経由よりも10分遅かった。
何年か前に一人で鏡ヶ成でキャンプした時に登った山で懐かしい。
昨年の台風により大きなブナの木が沢山倒れていた。大山寺で生ビールを一人で乾杯する。
野営場で昼食に持って行った弁当を食べる。テント撤収して、海水浴客でにぎわう山陰海岸の
国道9号線を経由して一人で4時間半運転して夕方に工房に帰る(往復走行距離435km)。
少々強行軍で疲れたが、今年も何のトレーニングもせずに登れて、日々の自信にしたい。
*反省として、年齢と共に山の登り方も少しづづ変えていかねばと思った。*
上の写真は下山野営場。
悪天候で写真撮影なし。頂上の記念碑をタッチして下山。
下山野営場の管理事務所(上右)の下方のサイト(上左)に泊まって早朝に登山。びしょ濡れで
鏡ヶ成キャンプ場はしばらく来ないうちに様変わりして、以前の良い雰囲気が無くなっていた
<このテントは30年以上前に自作したもので昔は雪山でよく使っていたものです、最近は工房
下山してきてテント撤収して鏡ヶ成キャンプ場に移動して、国民休暇村の風呂に入りに行く。
キャンプ場から烏ケ山。頂上はピークの向うで見えない。このときは地震の影響で登山禁止。
建築の最初の頃にロフトに張って寝泊りしたものです。この先まだまだ使えそうです。3人用。>