春日町の製材所に所用で行った帰りに以前から気になっていた黒井城址に登りたくなった。
丹波に縁ができて5年、なにかにつけて明智光秀の丹波攻めのことに出会う機会があります。
工房からいつも眺める岩尾城址もそうです。黒井城址にも興味が湧いてきていました。国道175号
線から案内板に導かれ狭い道を折れ曲がり行くと、小学校の先に登山口の駐車場がありました。
お稲荷さんを横に見て出発。鹿柵の扉を開閉して谷沿いの道を往時を偲ぶ気分になって登る。
道は山腹を巻いて尾根に出る、よく踏まれた道だが当時の城の人たちもここを歩いたのでしょうか。
少し登ると視界が開けてシダの斜面の上の方に赤い山門のような建物が見える。山城らしい
雰囲気になってきました。岩尾城址よりも奥深くスケールの違いを感じさせてくれます。
※今回はデジカメの失敗で変な写真になりました。ご辛抱して見てください。※
シダの斜面の右側を登ると山中にしては広い平地の「石踏の段」跡に着く、その山門からは黒井の
町がよく見える。山門の後には「丹波の赤鬼」荻野悪右衛門(赤井)直正公の招魂碑が立っています。
本丸まであと200mの案内を過ぎて登ると東曲輪跡に着く。石垣の残る広場はワラビの草地で
であり展望も開ける。石垣の上は三の丸跡でここもワラビの草地でよく見ると食べられそうなのも。
三の丸跡から二の丸跡への虎口を通り登りつく。二の丸跡からはるか向うに本丸跡の石組が見える。
夫々の跡地が広く立派な要塞だったことをうかがわせて、明智光秀が攻略にてこずったのも分かる。
二の丸跡を横切って本丸跡に上がる手前に空堀があり、そこを渡って本丸跡に上がる。ここも広い。
一番奥に本丸(保月城址)跡の石碑がありその手前のベンチの傍に三等三角点356.8mがある。
西側の一段下に西の丸跡がある。展望は360度、敵の動きが手に取るように分かるようになっている。
福知山線を走る電車の音もよく聞こえる。城の東側を北から走ってきた電車が西にカーブして黒井の駅に
スローダウンして停車、再び線路の音を響かせながら西から南に方向を換えて石生駅の方へ消えていくの
をなぜか音と共にずっと見ていました。なにか箱庭の風景を見ているような気分になりました。
山の展望はどんよりとして良くないし、同定も出来ないので諦めて下山にかかる。その前に時間
もあるしワラビ狩をしょうと思い探し始める。細くて小さいが何とか食べられそう。二の丸、三の丸と
摘みながら下っていき、登山口で貰ったパンフに溢れるぐらい採ったので工房に持ち帰り、早速
重曹であく抜きをして、風子用のおかかを少し貰って晩酌のアテにしました。思わぬ収穫でした。