Scene 1 "Escape to the entrance"
初乗り分だけ買った切符と少な目の荷物、ありったけのお金。 改札を通って、一番近いホーム。 タイミングよく滑り込んできた列車に、行き先も確かめず乗り込む。 動き出す景色、座席に座る人もまばらな日曜朝の列車。 1年後、ここにまた戻ってくる自信はない。 ここでの日常に疲れて旅立つのだから。 見知った海や山が見える。 自分が知らない世界へは、まだまだ時間がかかりそうだ。 遠く、どこまでも遠くに行きたい。 住んでいた街を忘れるほど遠くへ。 程なくして景色の動きが止まる。 途中の停車駅だと思っていたが、車掌が声をかけてきた。 「あの…ここで終着なんで、降りていただけますか?」 聴きなれた音楽を鳴らすイヤホンを外し、車掌へ向き直る。 正直、あまり自発的に動きたくなかった。 心躍るような旅行ではない。 車掌が早く降りてくれと言わんばかりに、困った顔をする。 「すみません。ここから一番遠くへ出ている列車はどれですか?」 俺の問いに、車掌が少し不思議そうな顔をする。 確かにこんな質問をする乗客は、そういないだろう。 それでも、早く降りてもらいたいのか、即座に答えが返ってくる。 「それなら、6番ホームの快速に乗ってもらえれば」 どこへ行くのかさえ問われずに、淡々と答えを返してくる。 別に俺がどこへ行くのかなんてことに興味はないだろうし 早く無駄な仕事は済ませたかったのだろう。 「ありがと。すみません」 形ばかりの感謝と謝罪の言葉を述べ、指示されたホームに向かう。 1車両に2人ほどしか乗っていない快速列車に乗り込む。 少し遠くに来たのかもしれない。 じわっと内から滲み出る不安を消し去ろうと、聴く音楽のボリュームを上げ 普段あまり聴かない歌の詞に、不自然に耳を傾けた。 何度か乗換えを繰り返し、ディーゼル音が鳴り響く列車の中。 どれくらいの時が経っただろう。 外は暗くなり、景色はまばらな光の群れ。 列車の速度が落ち、アナウンスは次が終着駅だと告げる。 「どこだ、ここは……」 ふとそんな言葉が漏れる。 程なくして、列車のドアが開く。 そして今までと同じように、降りるでもなく座席にずっと居座る。 今までと同じように、見回りに来る車掌。 「すみません、終着駅ですよ?」 これまでと同じように、車掌が不思議そうに俺の顔を覗き込む。 「本当に何も無いような場所にいく列車はありますか?」 なんかやたらと誤解されそうな言葉で車掌に尋ねる。 車掌は不思議そうな感じの中に、少しやわらかさを持った顔で返してくる。 「えっと…どこに行くというわけでもないようですが、なぜそういう場所に行かれるのですか?」 「まぁ……どうしてでしょうね」 「何か……そうですね。何かが見つかると良いですね」 どう解釈したのかわからないが、笑顔で言葉を返してくれる。 その言葉に、なぜか少しだけ心が落ち着く。 「そうですね。でしたら、このホームの中ほどの階段を上られまして……」 黙ったままでいると、その車掌は姿勢を低くし 細かく丁寧に知らない場所への列車を案内してくれた。 「ありがとう。お手数をかけました」 「いえいえ。それでは、良い旅を」 笑顔で見送る車掌を背に、列車を降りる。 何だったんだろう、あの車掌は……。 ただ、たどり着く場所にはあんな人がいたら良いな。 そう思った。 1両きりの列車。 1人きりの車内。 駅に停車しても、扉が自動的に開くことはない。 停車駅を出発し、程なく車掌が切符の精算にやってくる。 「すみません。乗り越しを精算したいんですが」 「あ、はい。失礼ですが、切符を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」 ポケットを探り、取り出した切符と精算書を車掌に手渡す。 「お客さん……ずいぶん遠くからいらっしゃってるんですねぇ」 幾度か車内で精算した精算書と初乗りの切符を見ながら、目を丸くする車掌。 驚くほど、遠くまで来たのだろうか。 ぼーっとしていたせいか、それほどの時間が過ぎた気はしないのだが。 「帰省か何かですか?」 「いや……特にそういうわけではないです」 「宿泊施設はこの辺りには無いですが……。今日はこの列車で終わりなんで、引き返せませんよ?」 「まぁ、外で夜を明かしてもいいし、そのつもりだから」 「確かに物騒なことは何一つ起きないような土地ですが……。風邪などには気をつけてくださいね」 「あぁ」 遠く離れれば、これだけ人が変わるものか。 内心では何を思っているかわからないが、形だけでも心配してくれている。 「ところで、どちらまで行かれます?」 「終着までで」 「はい、わかりました。……始発からですね。1280円になります」 精算を終えて、車掌が戻っていく。 ふと外を見ると、真っ暗で何も見えない。 どこを走っているのかなんて、てんでわからない。 どうしてこんなところを列車が走っているのだろう。 ……そんな場所を走る列車に乗っている客がここに1人いるが。 しばらくすると、パチパチという音がし始め、それが強くなってきた。 「雨か……」 気に留めず、ぼーっとしていると、パチパチどころの話ではなくなってきた。 「今日は駅にでも泊まるか……」 とは言ってみたものの、これまでの駅を見ると 行く先に駅舎はおろか、屋根があるかどうかもわからない。 「お客さん、タクシーでも呼びましょうか?」 車掌が乗務員室から出てきて駆け寄り、心配そうに声をかける。 「いや、いいです。終着に駅舎はありますか?」 「はい、ありますが……」 「申し訳ないんですけど、一晩駅舎を借りてもいいですか?」 「はぁ……別にかまいませんけど、本当にいいんですか? 無人駅ですよ?」 「大丈夫です。ありがとうございます」 心配そうにしながら、車掌が乗務員室へ戻る。 どこに行っても迷惑なやつ。 こんなんだから…… やめよう、自分や周りのことを考えるのは。 それが嫌でここまで来たんだから。 程なくして列車が止まる。 どうやら、終着駅らしい。 列車から一歩外に出ると、バケツをひっくり返したような雨に打たれる。 幸い、駅舎は無人駅にしては立派なもので 人さえ来なければ、寝泊りには困らない。 「あの……」 声のほうに目を向けると、傘を差した車掌がいた。 「駅員室に毛布とかあるんで、使ってください」 「ありがとうございます」 再び動き出す列車を見送ってから、駅舎に入る。 立派なものとはいえ、さして広くはない。 せいぜい6畳間といったところか。 その空間の端に、小さな窓口が見えた。 どうやら、そこが駅員室らしい。 入ってみると、かろうじて2人の人間が並んで寝ることが出来るほどの狭い空間。 その空間のすみに、ひとつだけおかれた毛布。 おそらく、駅員が寝泊りする用のものだろう。 それにしても、この駅員室、こんなに簡単に入れていいのだろうか。 まぁ、それだけ物騒なことが起きない土地なのだろうが。 塗装が剥がれ、錆びてしまった内鍵を閉め、毛布を広げて包まる。 雨の音は止み、近くを車が走っている様子も無く、何も音がしない。 こんなに静かな夜があることを知らなかった。 その静寂に吸い込まれるように、ゆっくりと目を閉じた。