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関西青年経営者会議は自動車補修部品をを専門とする阪神地域の経営、研鑽の切磋琢磨の会です。

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大阪都

デフレについてVol,2  菊地一雄(201206)

平成24年6月28日

  

 
 
 野田首相になって「消費税問題」がマスコミを賑わしています。
 野田首相は、「日本の将来のために消費税を上げねばならない。」と主張します。

 これに対して消費税引き上げに反対する方達の中には、「何れ消費税は上げる必要はある。しかし、今のようにデフレが止まらず、景気が好転する兆しがないのに消費税を上げると更に景気が悪くなる」と主張します。このどちらの主張も一見正しそうに見えますし、どちらも違う様にも見えます。

  TVや新聞等マスコミの解説でも賛否両論相半ばしているように見えます。また、マスコミでは、「デフレの原因は?どうすればデフレが収束する?」「景気が好転しない本当の原因は、その解決策は?」いう問いに対しての明確な説明や解説が無いように思うのです。 そこで、これらの問題を私なりに考えてみたいと思います。

 1 デフレとは

   OECDによればデフレは、「一般物価水準の継続的下落」と定義されています。 IMFや内閣府は、2年以上の継続的物価下落を便宜的に定義して、デフレ認定を行っています。 一時的な物価下落や個別品目の物価下落は、デフレとは言いません。

 2 何故デフレは、ダメなのか。

  「一般物価水準の継続的下落」が、何故ダメなのでしょうか。物の値段が安くなるのですから消費者にとっては、歓迎すべき事象ではないかと思うのです。 

  しかし、経済学者には、「デフレは、資本主義経済の静かな死への誘い(いざない)」だという人がいます。 何故なら物価の継続的下落は、生産者の利益の減少をもたらし、市場の縮小を招き強いては賃金の低下を招きます。更には、企業の利益の減少によって労働者の解雇が進み、失業者が増加して消費市場が更に縮小するという悪循環に陥ることになるからです。 この循環を‘デフレスパイラル’といいます。

  前回の項で、「投下された資本は、必ず利益を上げて回収されねばならない」と申しあげました。 デフレが続くと市場が縮小して、利益が大変上げにくくなります。

  また、折角上げた利益も物価の下落分だけ目減りをして行きます。つまりは、「常に拡大をしなければならないという」宿命を持った“資本”の原理とは相反する状況になってしまうのです。

3 何故デフレになるのか

  バブル崩壊後の日本経済は、正にデフレスパイラルに落ちいっているといえます。デフレが、日本経済の弱体化の大きな原因の一つだと言えます。

  大きく分けると a 労働賃金の低下 と b 商品市場規模の縮小 の二点が原因として上げられると考えます。 この二つが相互に影響し、絡み合ってデフレになりデフレスパイラルを引き起こしているのだと考えられます。

 a 労働賃金の低下

  労働賃金(以下賃金と言います)は、何によって決まるのかについては大きく二つの学説があります。

  「労働力の需給関係によって決まる」(ケインズ経済学)という説と「労働力の再生産費によって決まる」(マルクス経済学)と言う二つの説です。

  「労働力の再生産費」論は、社会福祉を論ずるときの論拠となる理論だと思いますので、ここでは「労働力の需給関係」を論拠として考えたいと思います。 前回の項で申しあげましたとおり資本主義経済は、資本の原理で動きます。

  資本は、常にどん欲に利益を求めて活動し、その利益を生み出すのは労働力であることも申しあげました。そこで資本家は、いかに労働力を安くするか、言い換えればいかに賃金を安くするかに知恵を絞ります。

  少品種大量生産による労働の単純化によって労働市場を拡大し、賃金の引き下げを促し、生産コストの引き下げを計ります。それでも賃金が上昇すると、次は機械化によって省力化を図り生産コストの引き下げを計ります。

  低コストの商品が市場に投入されることで、市場の拡大が進みます。市場が拡大することで更に投入された資本は、更に利益を上げて回収されるという好循環が生まれます。

  しかし、何時までも拡大し続ける市場は無いと言えます。何れ市場には、過飽和状態が来ます。

過飽和状態になると過当競争が始まり、過当競争は、価格競争の一因となります。 商品市場での価格競争は商品価格の引き下げをもたらし、強いては賃金引き下げの強力な要因となります。

加えて、ユーザー側からの商品の選別が始まります。それまでは、取得することで満足していたユーザーは、性能やデザイン等に個性を要求し始めます。その要求に応えるために少量多品種生産をする必要が生じます。

そこで生産者は、少量多品種で利益をだすために、一方ではそれまでの商品より高級化、高機能化を計ります。もう一方では、安い労働力を使ってコストを下げねばならなくなります。

 “安い労働力”の確保の方法には、色々な方法があります。

労働の単純化によって労働の質を下げ、多方面からの労働力の供給を容易にする事で労働市場を拡大することが出来、買い手市場にすることが出来ます。例えば、地方から都市へ、経済の未成熟な国からの呼び込みと言った方法です。

 次にb 「商品市場の規模の縮小」について見て行きます。

「商品市場の規模の縮小」は、商品の過飽和、購買人口の減少によって発生します。まず“商品の過飽和”について考えます。

“商品の過飽和”が、少量多品種生産を要求し強いては安い労働力市場の要求に繋がることは先述しました。安い労働力市場の拡大は、賃金の引き下げを意味します。

賃金の引き下げは、購買力の低下となり商品市場の規模の縮小となりますが、それに伴って供給側の規模が縮小し需給バランスが取れれば、それ以上の価格引き下げ要因とはなりません。

しかし、管理経済下で需給バランスを調整出来るなら問題はないかもしれませんが、自由経済下では供給側つまり生産者(メーカー)が倒産等で市場からの撤退を余儀なくされるか海外のような全く別の市場に移動しない限り過当競争が続きます。

 「商品市場の規模の縮小」の要因には、もう一つあります。

“購買人口の減少”です。当然の事ながら人口の減少は、商品市場の規模の縮小に繋がります。“購買人口の減少”の原因には、二つのことが考えられます。

一つは、人口そのものが減少する場合です。

二つ目は、人口数は変わらないが年齢構成等の変化によって購買人口が減少したり変化します。

購買人口の減少は市場規模の減少をもたらし、aで見てきたように労働賃金の低下、さらなる市場の縮小へと繋がります。以上のa、bの要因が複合的に作用して市場は、デフレへと進み更にはデフレスパイラルへと繋がって行きます。

 4 戦後の日本経済の動向での検証

以上、長々と述べてきた事を、戦後の日本経済の動向を見ることで検証してみたいと思います。

 第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けた日本経済は、1950年(昭和25年)6月から始まった朝鮮戦争によって飛躍的な復興の道を歩み始めます。 これをきっかけに国内市場は、好循環に入り1954年(昭和29年)頃から成長期に入って行きます。

途中何回かのリセッションを経て、1990年(平成2年)橋本内閣によって総量規制が発動され、バブル経済が崩壊するまで続きます。バブル崩壊が、デフレのスタートであると位置づける方がいますが、私はそうではないと考えています。

日本の高度成長気と言われる時期は、1971年(昭和46年)のニクソンショックで終わり、1973年(昭和48年)に勃発した石油ショックを経て安定期に入ります。

商品の変遷を見ると、1950年頃から家庭用電化製品が普及し始め1960年(昭和35年)頃の3C(カラーテレビ、クーラー、カー)へと新しい商品やテレビのように高機能化した商品が新しい市場を次々と作り日本経済は成長を続けました。一方、軽工業である雑貨や繊維製品は、1970年代に入ると日本国内の市場は過飽和状態になります。

労働市場はと見ると、当時いわゆる団塊の世代が労働力として投入されていましたが、国内の生産活動が活発で労働力は完全な売り手市場でした。 そのため賃金が毎年上昇する傾向は、多少の差はあるものの大都市だけではなく日本中がそうなっていました。

そこで軽工業、例えばおもちゃ産業等は、台湾や韓国で生産して日本へ輸入するという方法を採り始めます。つまり、安い労働力を海外へ求めて行きます。 当初は軽工業が主でしたが、次第に家庭電化製品の一部も海外で生産して日本に輸入、販売をするようになります。 こうした動きは、日本経済が拡大し国内の賃金が上昇するに従って活発になります。

労働力の安い海外での生産は、国内の労働力市場に賃金の引き下げ要因として働かねばならないのですが、海外生産の規模が小さかった事とバブル崩壊までの日本の労働需要の強さから余り問題にはなりませんでした。むしろ旺盛な需要に対して積極的に応える方法として歓迎されていました。

 安い賃金の国で生産した商品を日本国内で販売する。

これは、“安い商品の輸入”という事象としてとらえることが出来ますが、もう少し踏み込んで考えると安い労働力の輸入”であると言えます

この“安い労働力の輸入”が拡大して量的に増えれば、国内労働力の賃金の引き下げ要因になります。

これが、デフレ経済に誘導する最大の要因になると考えます。

 次回Vol 3で“労働力の輸入”と“国内の賃金の推移”を具体的に検証します。

また、その他の要因についても検証してみたいと思います。