“日本的労使関係”と“富の再分配システム”を考える。
デフレの原因を考えるに当たって、その前に戦後の日本経済が
“一億総中産階級”という他国に類を 見ない発展をした原因について考え、現在の状況について言及してみたいと思います。
昭和20年のGNPは、日本が真珠湾攻撃をした昭和16年に比較して50%以下に、平常な経済状 況だった昭和13年に比べると14%迄落ち込み壊滅的な状況になっていました。
そんな中から40数年で日本経済はGDPがアメリカに継いで世界2位となり、一方
“一億総中産 階級”と言われるほど多くの国民は豊になりました。
これは、歴史的にも国際的にも奇跡と言っても良いほどの発展です。
この日本独特な“労使関係”を支えてきたのが“日本的株主意識”と“日本的経営者意識”そして“ 日本的労動者意識”ではなかったかと思います。
そこでこの三つの要件について考えてみたいと思います
。
日本の労使関係は、西欧に比べて“ウエット”だったと言えるのではないでしょうか。
西欧では、資本主義経済の発展過程で“資本家(投資家)”“経営者”“労働者”が明確に区分さ れて来ました。
簡単に言うと“資本家”は投資する人で、投資に対して明確に、より多いリターンを要求してきま した。
“経営者”は、投資家から集めた資金を運用して利益を上げ、その中から投資家には配当をして報い 、自らも出来うる限り沢山の報酬を獲得しようとします。
資本家と経営者が同一の場合もありますが、ここでは別々に考えます。
資本家、経営者にとって労働者は、利益を生み出す為の手段の一つにすぎません。 勿論この関係は 、基本的には日本でも同じです。
しかし、日本には、西欧では見ることが出来ないような“意識”が三者にあったと思うのです。
A この三者の意識とそれに基づいた行動について考えてみたいと思います。
1経営者と投資家の意識について
ご存じの通り日本の資本主義経済は、明治維新後から始まります。
まず政府の主導で工業を興し、それが軌道に乗ると資金力のある所へ払い下げると言う方法で民営化して行きました。
この場合本来なら株式会社ですから株式市場から資金の調達するのですが、維新後の日本では一般投資家と言われる一般国民には投資するほどの蓄財はなく、また“株式”や“証券市場”に対する知識も皆無に近い状態でした。
そこで事業を引き受けた経営者は、資金調達の大半を銀行融資や郵便局に貯蓄された資金を銀行や政府からの融資という形で調達します。
その為、経営者は、融資された銀行の目は大変気にしますが、投資家の意向はほとんど考えなくても良いという、資本主義経済システムとしては異例な状況が長く続いてきました。
一方日本の“株式市場”は明治政府によって作られましたが、資金調達の場としての株式市場の形成と言うよりも「株式会社があるのだから株式市場が必要」という考えで作ったと言う側面が強かったと言えます。
そこでまず形を整える事が優先され、当時の米相場を模して株式市場を作りました。
このことが戦後の復興過程でも、株式会社でありながら資金調達を主に間接金融に頼るのが当たり前になっていました。
その為、経営者も株主(投資家)の意向を気にせず、むしろ従業員への配慮をすることの方が大切でした。
このことが、「経営者と従業員は一心同体、会社が良くなることは皆が良くなること。
言い換えれば、日本の経営者の意識には「社員と共に、社員とその家族の幸せのために」が、大きなウエイトを占めていました。
戦前の給与体系は、経営者、管理者、一般の従業員の格差は、一般の従業員を1とすれば管理者は10倍以上、経営者は50〜100倍以上が当たり前でした。
一方企業の労働者の意識はと言うと、“終身雇用制”をベースにして会社に対しての忠誠心が大変高く、「真面目にコツコと一生懸命会社のために働けば、必ず会社は報いてくれる。」という考え方が当たり前でした。
その為、賃上げ等の労使交渉でも、とことん自分達の要求を通す事よりもむしろ“阿吽の呼吸”で落としどころを探ると言った日本的決着が大事にされました。
以上のような労使間の“日本的意識”が、戦後日本の経済の復興、成長を労使一体となって成し遂 げました。
つまり資本家、経営者、労働者の意識は、先進国では極めて珍しい一体感のある組織を形成しており 、これが“社会的富の公平な再配分”を行い“一億総中産階級”という世界に類を見ない繁栄をもた らしたと言えます。
こうした大変珍しい社会的富の再配分システムは、バブル期にピークを迎えバブル崩壊と共に変質し て行きます。
バブル経済が発生した要因の一つに行き過ぎた“金余り現象”があります。
投機で稼いだ金を元に強引な企業買収や乗っ取りまがいの株の買い占め等を仕掛けて更に膨らむ、と いった輩が闊歩するようになります。
世界から流入してきた投機資金は、それまでの日本人の投資感覚とは異なり「株主の権利」を主張し 、経営者に投資への還元を強く迫ってきます。
それまでの日本の経営者は、株主の権利より従業員への配慮や社会的責任を重視して来ましたが、こ のころから経営者は、株主の意向を最優先にしなければ経営者としての存在を問われるようになりま す。
資本主義における本来的な経営者、資本家(投資家)の姿である、と言えばその通りかも知れませ んが、世界的に稀な“日本的経営”の良さは失われてしまいます。
2 労働者の意識の変化
資本家、経営者の考え方の変化と共に、労働者側の考え方も大きく変わって行きました。
「真面目にコツコツと辛抱強く」と言った“日本的労働者意識”よりも“刹那的な権利の主張”をす ることが当たり前になってきます。
拡大する経済に対応するために企業は、「取り敢えず人手を確保する」ために必要以上に労働者を優 遇しました。
労働者不足によって賃金が高騰して行き、“労働力の質”から“市場の需給関係”で賃金が決まるよ うになります。 これは決して正常な状況ではありませんが、確かに労働者の所得は上がり、しかも 労働市場では売り手市場になっていましたのでかなり多くの労働者がその恩恵に浴し、正に“一億総 中産階級”と言われる状況を作り出した一因にもなっています。
労働組合はと見ると、官公労、国鉄関係等の企業以外の労働組合は、俗に言う“親方日の丸”で勤務 先が倒産する心配が無く、更に官公労では首になる心配もほとんど無いためかなり激しい労働争議が 可能でした。
そこで官公労、国鉄関係、電電公社等の組合活動が、労働条件の改善を引っ張って行くと言う大きな 働きをしました。
しかし、平成元年(昭和64年)頃から平均年収が400万円近くなって先進国の所得水準に近くな ると、これらの組合による賃上げ運動という社会的役割が薄れて行きます。
更に1984年(昭和59年)国鉄民営化、85年(昭和60年)電電公社民営化の実施により“親 方日の丸”組合が大幅に減少し、組合としての力が急速に減退して言ったことも社会的役割が落ちた 一因かと思います。
最近では“官公労”という利権集団になってしまって、本来の労働組合としての社会的役割より自 分たちの権益を守る為の組織になってしまっているように見えます。
以上に見てきましたように、バブル経済期に醸成された資本家、経営者、労働者それぞれの考え方 、意識はバブル崩壊と共に大きく変化してしまいます。
“富の再分配のシステム” の崩壊に加え「デフレについてVol2」で書きましたが、バブル後の安 い労働力の輸入、生産の合理化等によって労働力市場では労働力の過剰現象が起きて更に労働者への “富”の再分配の量(賃金)は減少しています。
最近の政治家や経済評論家は、「日本経済の回復は、デフレの克服と景気の回復だ」とおしゃいま す。
「デフレの抑制と景気回復」には、「雇用の拡大と労働賃金の引き上げ」をせねばなりません。
質の高い労働力は、それほど低賃金ではありませんし過剰でもありません。
デフレの克服、景気の回復、雇用の拡大と言うテーマは、現在先進国全体のテーマになりつつあります
一般の購買力を上げるためには、雇用の拡大と賃金の上昇が必要です。
かといって、バブル以前の日本に戻すことは不可能でしょうから、一日も早く新しい“社会的富の 再分配システム”を作ることに取り組まねばならないと考えます。
以上