古今短編詰将棋名作選
その2 明治・大正時代
解 説 篠 原 昇
第23番 竹内伊蔵 | 第24番 松本朋雅 |
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第25番 高浜禎(※) | 第26番 高橋興三郎 |
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明治14年に「有喜世新聞」が古図式を掲載し始めたのをさきがけに、当時の一流各紙がこぞって詰将棋を掲載するようになった。「万朝報」は明治29年2月23日に、それまで単に掲載していただけの詰将棋を懸賞出題として人気を博した。その後、多くの新聞が懸賞方式を採用し、沈滞していた詰棋界は、漸く(※)生気を取り戻したのである。 明治44年2月、高浜禎が実兄作蔵とともに「将棋雑誌」を刊行してアマ作家に発表の場を与え、後に活躍した山村金五郎、滝谷正郷らがここに登場した。「サンデー毎日」は大正11年10月29日号から週刊誌として初めて詰将棋を連載し、講談社の月刊誌「キング」は同14年1月の創刊号から詰将棋を載せた。このように詰棋界発展の一半はジャーナリズムによって築かれて来たといえる。名門「将棋月報」が信州松本市に誕生したのは同13年10月である ◇第23番 竹内伊蔵作(9手詰) (手順省略) 1六角、4三角と二枚角の打ち捨てによって玉の退路を封鎖し、眼目の1五飛成を得て詰め上る。角二枚の前後打捨ては三代宗桂の「衆妙」26番にも見られるが、本局は手順前後を許さず、詰上りもスッキリしており、初心向好題である。前名は為之助。 ◇第24番 松本朋雅作(15手詰) (手順省略) 極めて簡素な構図の中に限定合・移動合など、受けに妙味のある作品。初手1三香に対し飛合は、1一桂成のところ1一飛まで2手早い。3手目2一金が攻めの中心手であり好手である。歩を除いた駒一式であるのも興味深い。「将棋万象」の作品集あり。本名知義 ◇第25番 高浜禎作(5手詰) (手順省略) 初手4四龍に対し同玉は4五金の詰みなので初手の発見は容易であろう。以下6四玉に6五金と捨て駒を放ち、同とのとき、一瞬5三銀成が心理の裏を行く名手である。本局は曲詰”マツ”の中の一局で、飾り駒もなく短篇曲詰の秀局であろう。 ◇第26番 高橋興三郎作(15手詰) (手順省略) 2三に玉を呼ぶため角桂を犠牲にする手順は巧妙である。7手目、ようやく2三歩打を得て進展するが、さらに収束4二龍が妙手で本局を佳品にしている。3四同歩は3二角成同玉、3四龍、3三合、4四桂以下。 |
2006年5月22日 作成