SEGA 1000

実機について 1962年に日本娯楽物産から登場。開発は日本機械製造。
日本初の純国産ジュークボックスである。
所定の料金(曲の演奏回数によって異なる)を投入し、A〜Fの6個のボタンと、
1〜8番のボタンを組み合わせて好みの楽曲を選択すると、筐体に内蔵されたレコードを自動的に演奏する。

1951年、第二次大戦後の間も無い日本で2人のアメリカ人、レイモンド・ジェイ・レメーヤーとリチャード・ディ・スチュワートが、
ジュークボックスやスロットマシン等を扱う輸入販売会社「LeMaire and Stewart」を創立する。
その後、1954年に同社は「SERVICE GAMES」に改名する。
更に1957年に同社は「サービス・ゲームス・ジャパン株式会社」となる。
1960年に「サービス・ゲームス・ジャパン株式会社」は、機器販売・賃貸を担う「日本娯楽物産」と、
商品の製造等を行う「日本機械製造」の2社に分割する形で発展的解消を遂げる。
この「日本機械製造」が開発した国産初のジュークボックスの商品名として、かつての社名「SERVICE GAMES」から、
それぞれ2文字ずつ取り「SEGA 1000」と名付けられた。
後に1966年に登場した「ペリスコープ」から正式に社名として現在まで使用されている。


【参考文献】

セガ アーケードゲームヒストリー(https://sega.jp/history/arcade/)


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