スペースインベーダー

実機について 1978年、タイトーから登場。
「ポン」の派生や「ブロックくずし」などのビデオゲームや、ピンボール・エレメカが隆盛を極めていた当時、
"敵が意志を持っているかのように積極的に攻撃してくる"という、世界初のシューティングゲームとして登場した。
元々「ブロックくずし」の派生として開発が始まっている。

白黒の固定画面のフィールドに縦5列・横11列、合計55体の敵インベーダーが表示されている。
画面下には自機が表示されている。自機は戦車という設定のため左右にしか移動できない。
自機が移動するエリアのやや上には『トーチカ』という遮蔽物が設けられている。
トーチカは自機・敵の攻撃によって徐々に削られていく。
インベーダーは3つの種族で構成されており、撃破して得られるスコアが異なる。
下から1〜2列目が10点、3〜4列目が20点、一番上の5列目が30点となる。
インベーダーの集団は弾を発射しながら左右に移動を繰り返し、時間経過と共に下降する。
ゲームを進めていると画面の最上段、スコア表示の下辺りを敵のUFOが横切っていく。
撃墜すると『ミステリーポイント』が加算される(最大300点)。
自機の攻撃でインベーダーの集団が減少していくに従い、残った集団の移動速度が上昇する。
最高速で移動する最後の1体を撃破すれば1面終了。インベーダーの配置がやや下がった状態で次の面が始まる。
インベーダーの攻撃によって自機(初期設定で3機)を全て失うか、自機の位置までインベーダーが侵略すると
ゲームオーバーとなる。

発売当時、タイトー社内の予想と裏腹に空前のヒットとなった。
特に日本国内ではテーブル筐体が多く流通し、喫茶店や銭湯などへ客寄せ目当ての設置や
『インベーダーハウス』なる専門店まで現われ、国内外のゲームメーカーからも海賊版が販売される等、
世界的に大きなブームとなった。
さらに『名古屋撃ち』や『レインボー』などの様々なバグが発見され、これらの怪現象は裏技の元祖とされている。
当初の白黒モニター表示も、セロハンによる擬似カラーや本格的なカラー表示に進化した。

このゲームの海賊版が巷で溢れる中、1979年にタイトーも続編として「スペースインベーダー パートII」を製作。
インベーダーが分裂したり、UFOがインベーダーの援軍を送り込む等のオリジナル要素が盛られた。
1985年に「Return of the invaders」、1990年に「マジェスティックトゥエルブ」などの関連作品が開発されている。
LSIゲーム機やパソコン向け・家庭用ゲーム機への移植も早くから行われ、現在も様々なハードに移植されている。

戯言 「ポン」「ブレイクアウト」から続く、1970年代から始まったビデオゲームの歴史に燦然と輝くゲームであります。
発売直後から、国内外のゲームメーカーから(ほぼ無許可で)海賊版や亜流作品が発売されたり、
このゲームが頻繁に登場する少年漫画「ゲームセンターあらし(作・すがやみつる)」がヒットして、
後にアニメ化までされたり、このゲームが与えた影響は枚挙に暇が無く、流石にココでは全て書き切れません。
コピー版の中には丸パクリもあれば、キャラクターの書き換えもあったり敵集団の配置が変則的だったりして、
色々と面白い工夫がされた作品もありますが、影響を受けた中でも有名なのはナムコの「ギャラクシアン」でしょうねぇ。
この辺りからビデオゲームが急速に進化し始めた気がします。

実は意外な事ですが…
作者はアーケードで殆どプレイした事がありません。
当時は危機的に品薄状態だったらしく、我々の住む町にインベーダーが来たのも随分遅くなりました。
やっと普通に出回る頃には既に「ギャラクシアン」や「ムーンクレスタ」などの亜流作品が溢れてましたからねぇ。
一番古い記憶でも、兄貴と近所の駄菓子屋で「スペースインベーダーパートII」を1回遊んだだけです。
本格的にプレイしたのは、やはりファミコン版からですね。
他の家庭用も一通りプレイしましたが、何と言ってもお気に入りはPCエンジン版です。
アーケード版「マジェスティックトゥエルブ」をベースにした「分家モード」が熱い!!


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