獄寺君が風邪を引いたらしい。
熱を出しただけだという言葉のとおり、受話器から聞こえてくる声に咳きは混じっていなかったけれど、
普段から想像できないくらい弱々しい声でひどく心配になった。
自分がそんな状態なくせに今日の約束果たせなくてすみませんと謝ったり、
明日の学力テストに備えて勉強がんばってくださいとエールを送られたり、
10代目に会えなくて残念です、とこちらまで熱を出してしまいそうなことを言われたり。
ああやっぱり熱を出しても獄寺君は獄寺君なんだなぁと少し安心したものの、
熱を出している獄寺君にあまり長い間電話をさせているのも体に悪いだろうから、
あったかくして寝るように伝えて早々に電話を切ってしまった。


熱の在り処


「獄寺君、熱が出て今日は来れないって」

部屋に戻ってハンモックに腰掛けるリボーンに電話の内容を話す。
オレの言葉に教科書を眺めていたリボーンが顔を上げた。

「馬鹿は風邪をひかないはずなのにな」

ふぅ、と言葉どおり馬鹿にした様子でハンモックから降りるリボーンに、少しむっとしてしまう。

「獄寺君は馬鹿じゃないよ」

リボーンは鼻で笑うというさらに馬鹿にした態度でオレを見た。腹立つな。

「ツナのために特製プリントを作りながらそのまま机で寝ちまう奴は馬鹿と言わずになんて言うんだろうな?」
「・・・え?」
「あいつ、昨日机で寝たから風邪ひいたんだぞ」
「そ、そうなの・・・?ていうかなんでリボーンそんなこと知ってんだ?」

にやりと笑ったリボーンはオレの質問に答えない。
しかしいつの間にやら部屋に入ってきたちょうちょが
リボーンの周りをひらひらと飛んでいる様子に、もしやと直感が告げる。
暖かくなって冬の子分だったさなぎが、ちょうちょになって引き続きオレたちを見張っているんだろうか。
プライバシーとか、個人情報とか!
オレはリボーンの生徒だから監視されてるのは百歩譲って仕方ないと思えるにしても、
獄寺君まで見張るってどういうつもりだ。
しかも危機を知らせてくれるのならまだしも、今回はしっかり熱を出した後の事後報告じゃないか。
さなぎのときも授業中に居眠ったオレのこと起こしてくれないし、
獄寺君のことだって起こしてあげなかったし、成長しても役立たずだな!
せっかく今日は勉強が終わったら獄寺君と遊ぼうと思ってたのに、
仕方がないとはいえ会えなくなってしまってむしゃくしゃした気持ちをきれいな姿に成長した春の子分へと向ける。
すると黄色いちょうちょはリボーン同様オレの心を読めるのか、
目の前までひらひらと飛んできて、羽を羽ばたかせてばちばちと顔を叩いてきた。

「いた!なんだよ!」
「ツナが悪口言うからだぞ」
「言ってないのに!」

それからしばらく、ちょうちょの気が済むまでばちばちと顔を叩かれ続けた。

明日は英語と数学の習熟度別クラスを決めるためのテストがある。
オレは別に普通のクラスになれればいいから勉強なんてするつもりはなかったんだけど、
今日はリボーンと獄寺君が二人がかりでオレを一番上のAクラスに入れるために猛勉強をさせるつもりだった。
だってもし万が一何かの手違いでAクラスに入ってしまったとしたら、
少なくとも一学期の間はAクラスで難しい授業を受けなければならない。
そんなことなら勉強なんてしないで自分に合ったクラスに入りたいと思うのは自然なことで。
獄寺君も来ないということでまったくやる気のなくなってしまった勉強は、
机の前に座っているだけで頭が動いていない、まさに形だけのものになった。

「なぁリボーン、オレほんと、普通のクラスでいいんだけど」

ぐだぐだした態度をとがめられながら、やっぱりしばらくするとぐだぐだしてしまう。
まったく進まないプリントを眺めながら前に座るリボーンに話しかければ、
冷ややかな声で言葉が返ってきた。

「ツナ、勉強しないで「普通のクラス」に入れるのか?」
「・・・!」
「今の実力だとどう考えても一番下のクラスだ。オレが教えてるのに一番下のクラスに入るなんて承知しねーぞ」

痛いところを的確に突かれて反論ができない。
確かにささやかな願いではあるけれど、普通のクラスにさえ入れるかどうか分からない。
最近はリボーンと獄寺君の二人がかりで勉強を教えてもらって、赤点を取る回数は減ってきたものの、ゼロじゃない。
家庭教師から見ると、やっぱりオレはまだまだダメなままなんだろうか。
がっかりするのと同時に、ますます勉強をやる気がなくなってしまった。やっぱりダメツナなのかもしれない。
かろうじて机にひじを突いて支えていた体をべったり机の上に投げ出して、やる気のない格好をする。
もうリボーンに怒られたって勉強する気が起きそうにない。
だらだらと完全に投げ出してしまったオレを見て、リボーンが声を出した。

「そのまま一日中だらだらしてるか、早く勉強済ませて獄寺の見舞いに行くか、どっちがいいんだ」

その言葉にぴくりと反応する。
だらだらした格好のままリボーンを見上げると、ニヤリと人の悪い笑顔。
なんだかはめられた気がしないでもないけど、一日中勉強させられることはないってことだ。

「勉強する」

一言つぶやくと、もそもそと体を起こして放り投げたシャーペンを握る。
体の下に敷いて少し皺の寄ってしまったプリントを眺め、途中で止まっていた計算を再開した。


*


リボーンの鬼のようなスパルタ教育をなんとか乗り越え、用意されていたプリントを全部解き終えた。
丸付けをしてもらって間違えたところをもう一度解き直し、今度こそ勉強から開放される。
ガチガチに固まってしまった体を伸ばしてうーんとうなる。

「よくやったな。もういいぞ」

そっけない言葉だけど、リボーンのお許しが出た。
勉強道具を急いで片付け、上着を羽織ってかばんを肩にかける。
やっと獄寺君のお見舞いに行ける、と思いながら部屋を出ようとすると、リボーンに声をかけられた。

「ママンにおかゆを作ってもらうように頼んでおいたからな。獄寺に食わせてやれ」

その言葉に思わず振り返り、驚きで大きくなっているだろう目をリボーンに向けた。

「・・・どうしたんだ?リボーン。なんか優しくて怖いんだけど」
「おまえがちゃんと勉強したからな」

オレが勉強したのは獄寺君のおかげだから、ってことだろうか?
否定できないのが悔しいところだけど、でも、なんとなくそれだけでもなさそうな・・・。

「・・・もしかしてリボーンも獄寺君のこと心配してんのか?」
「しょうもねーこと言ってねーでさっさと行ってこい!」

バーン!と大きな音を立てて銃が撃たれる。
いつの間に銃なんて取り出したんだ!
威嚇射撃にしてはとてもスレスレに撃ち込まれた銃弾にひやりとしながら慌てて部屋を出る。
閉まる寸前の扉の隙間から中を覗き、

「リボーン、ありがとな!」

言い逃げするように階段を駆け下りて台所に避難する。
続く銃声がないことにほっと胸を撫で下ろしながら母さんからおかゆを受け取った。

「お薬も持っていきなさい」

まだ少しあたたかいおかゆを大きめのタッパーに入れて、それをさらにビニールの袋に入れる。
母さんが持ってきてくれた薬はかばんに入れた。

「桃の缶詰があるけど、これも持っていく?」
「うん、持ってく。ありがと」

缶詰はまた別のビニール袋に入れて、いつの間にやら大荷物になってしまった。
歩くたびにがさがさと騒がしい音を立てながら台所を後にする。
わざわざ玄関までついてきた母さんから薬を飲ませる前におかゆを食べさせることや、
しんどそうにしてたら長居せずに帰ってくることなんかを言い聞かせられる。
母さんが獄寺君の心配をしてくれるのは嬉しいけど、なんかオレがなんもできないみたいでいやな気分だった。

「そんな何回も言わなくても分かってるよ!」
「ほら、獄寺君のお家でそんな大きな声出しちゃだめよ!」
「分かってるって!行ってきます!」

玄関の扉を閉めて門を通る。
リボーンはオレが勉強してる間に母さんにおかゆ作ってくれるように頼んでたし、
お見舞いに持っていく食べ物や薬は母さんが用意してくれた。
オレだって獄寺君のこと心配してるのに、なんだか一人だけ役に立ってないような気分。
せっかく勉強から開放されて獄寺君に会いに行けるっていうのに、いやな気持ちだ。
暗い気持ちを飛ばすように首を振り、がさがさと音を立てながら獄寺君の家に向かった。


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