合鍵を使って玄関に入ってみると、しんとして人の気配が感じられない。
お邪魔します、と小さく声をかけて部屋に上がり、獄寺君の靴がそろえてあるのを確認して廊下を進む。
突き当たりのリビングを覗くと机の上に教科書やプリントが広がったままで、けれど獄寺君の姿はない。
一度台所に向かって持ってきたおかゆと桃缶を置き、それからこそりと獄寺君の部屋を覗いた。
カチャリ、と小さな音がするのにもどきどきとしながらゆっくりとドアを開ける。
部屋の奥にあるベッドでは、獄寺君が眠っていた。
獄寺君が眠っている、そのことにさらにどきどきと心臓を跳ねさせながら、
部屋の中に体を滑り込ませて元通りまたゆっくりとドアを閉めた。
そろりと部屋の中を進み、ベッドの側に来ても獄寺君は起きない。
なるべく音をさせないようにそっと床に座り、獄寺君の寝顔を眺める。
獄寺君の部屋に泊まったときは
いつもオレの方が先に眠って、オレの方があとに起きるから、獄寺君の寝顔を見たことがない。
オレんちでビアンキを見て倒れたときなんかは苦しそうにしているし、
こんな風に穏やかな表情で眠っているところを見るのははじめてかもしれない。
いつもは眉間にしわを寄せていたり満面の笑みを浮かべていたりとくるくると変わる表情が、
まぶたを閉じて静かにしているだけでとても印象が違う。
すやすやと落ち着いた寝息を聞きながら、ほっぺたが自然と緩んでしまう。
獄寺君は熱が出て寝ているというのに、新しい獄寺君を見つけたようでとても嬉しい。
しばらく獄寺君の寝顔を眺めたあと、かばんを置くために部屋を出た。
部屋を出てすぐにあるリビングに入り、ソファの横にかばんを置く。
机の上を見ると、広がっていたプリントはリボーンの言っていたとおり獄寺君お手製のプリントだった。
そのうちの何枚かを手に取って問題を見てみると、
オレの苦手な問題がたくさん載っていて、確かにオレのための特製プリントだということが窺えた。
獄寺君はこれを作りながら寝ちゃったんだなぁ、と思うと、嬉しいんだか悔しいんだか複雑な気分になる。
オレのためにがんばってくれるのは嬉しいけれど、
そのせいで獄寺君が風邪をひいてしまうのはいやだ。
ソファに座ってその問題をいくつか解きながら、
リボーンの特訓がきちんと身についてることを嬉しく思い、けれどやっぱり複雑な気分になった。
「ほんとなら今から獄寺君と遊べたのに」
獄寺君の筆跡を指でなぞり、プリントを机の上に戻す。
そんなことを言っても仕方がない。
獄寺君らしいといえばとても獄寺君らしいんだから。
せっかくお見舞いに来たんだから、起きるまで側についていよう。
ソファから立ち上がってリビングを出る。
獄寺君の部屋に向かう前に、先におかゆをあっためる準備だけしておこうと台所の方へ足を向けた。
*
獄寺君の家の中はどこもきれいに片付いている。
台所も例外なく、道具はすべて棚や引き出しに仕舞われていて台の上は広々としていた。
何度も家に泊まりに来るようになって、そのうちの何度かはここでごはんの用意をしたことがある。
いつもオレが何かを探す前に取り出してくれるから、何がどこにあるのか詳しくは分からないけれど、
たぶん鍋なんかは下の方にあったような気がする。
床にひざをついて棚を開け、中を覗いて鍋を探していく。
いくつか扉を開けたところでやっと持ち手のついた鍋を見つけた。
あまり使わないのか奥に置かれているそれを取り出すために腕をつっこみ、
持ち手を掴んで引っ張ると、周りのものに当たってガチャガチャと大きな音を立ててしまう。
しんと静まった部屋に高い音が響き、手元に引き寄せた鍋を抱えて周りをきょろきょろと窺ってしまった。
辺りは相変わらず静まり返っていて、誰かが怒る気配もない。
リボーンのせいで染み付いてしまったスパルタ教育への反応を呪いながら、扉を閉めて立ち上がった。
コンロの上に鍋を置いて、引き出しを開けて缶切りを取り出しておく。
食べる用意をするのは獄寺君が起きてからでもいいだろう。
持ってきたまま置いていたおかゆと缶詰を袋から取り出して、台所を後にした。
廊下も相変わらずしんとしていて、歩くたびに立ててしまうスリッパの音が大きく聞こえる。
ぱたぱたぱた、と獄寺君の部屋まで歩いていって、その扉をそうっと開いた。
ドアノブを回すときだけは、なんとなく緊張して丁寧になってしまう。
ガチャ、と音を鳴らして開けた扉の隙間から中を覗き込むと、
眠っていると思っていた獄寺君はベッドの上に座っていた。
「あ、獄寺君起きた?」
「じゅう、だい・・・め」
起こさないようにしないといけない、となぜだか息まで詰めていたものだから、
獄寺君が起きているのを確認すると、ほっと体の力が抜けていった。
獄寺君の方も立ち上がろうとしていたのか、体に力が入っていたようだったけれど、
オレを見るとベッドについていた手から力を抜いて姿勢を戻した。
「って、なにタバコ吸ってんの!風邪引いてんだからゆっくり寝てなきゃだめじゃないか」
「・・・え、あ・・・」
よく見るとベッドの中だというのにタバコを吸ってる。
しかもさっきまで熱を出して寝てたっていうのに。
部屋の中に入り扉を閉めて、サイドボードに置かれた灰皿を取って獄寺君に渡す。
獄寺君は渡された灰皿を素直に受け取って、タバコの火を消すのかと思えばなにやらごそごそとパジャマを探っている。
手にはダイナマイトが握られていて、どうやらそれをパジャマの中に入れ直してる、ようだけど。
そこでふと、自分が獄寺君の寝ている間に黙って家の中に入ってきたことを思い出し、
目を覚ました獄寺君が物音を聞いて敵か何かと勘違いしたんだということに気づいた。
「ごめん、勝手に入っちゃって。この前、鍵、くれたから」
「いえ!オレの方こそ10代目だと気づかなくて、すみませんでした」
慌てて謝って、なんだか言い訳みたいに付け加える。
この間渡された合鍵、
もしオレが遊びに来て獄寺君がいなかったとしても、
鍵を使って部屋に入って待っててください、って渡されたんだけど。
家の人がいないのに勝手に入れないよって返そうとしたら、
せっかく訪ねてきてくださったのに帰らせてしまっては申し訳ないです、なんて言われて。
あまりに真剣に、そして少し情けない表情で言い寄られてしまっては、突き返すことなんてできなくて。
使わないかもしれないよ、って断ってから受け取ることにした。
そのときはそれがこんな風に役立つとは思ってなかったけど。
鍵を渡されたときのことを思い出しながら獄寺君を見ると、
なんだかあのときと同じような、とても真剣で、少し情けない顔をしていたものだから、
思わずぷっと吹き出してしまった。
「・・・10代目?」
「ううん。なんでもない。・・・具合はどう?」
手を伸ばして額に触れる。
オレの腕で獄寺君の表情は隠れてしまったけれど、
少し寝癖のついた髪の毛や、わたわたと慌てる仕草はいつもじゃ見られない姿でとてもかわいい。
じんわりと手のひらに伝わる熱は、平熱よりも高そうな気がする。
「獄寺君、まだ少し熱あるんじゃない?」
腕の下にある獄寺君の顔を覗き込んで尋ねてみると、
ほっぺたの色がさっきよりも熱を持ったみたいに赤く染まっている。
「いえ、あの・・・」
獄寺君がもごもごと口ごもる。
またなんかオレに迷惑かけちゃいけないとか思ってるのかな。
相手は病人なんだから、こっちが遠慮しててもだめだ。
ちゃんと休んで元気になってもらわないと。
「もうちょっと寝てた方がいいよ」
額に当てていた手のひらを離し、
その手を肩に触れさせて横になるように促す。
獄寺君の体は思ったよりも簡単にベッドに倒れこんだ。
やっぱりうまく体に力が入らないんだろうか。
白いきれいなシーツにほっぺたをくっつけながらオレを見上げてくる。
「朝よりはマシになってます。あの・・・朝から何も食ってなくて」
ふわふわとした口調はいつもの獄寺君とは少し違ってて、
ほんとはオレなんかよりもずっとしっかりしてるっていうのに、
小さな子どもみたいに甘やかしてあげたくなってしまう。
「母さんにおかゆ作ってもらってきたんだ。今食べる?」
「はい・・・ありがとうございます」
ベッドから起き上がろうとする獄寺君の肩をもう一度押さえてベッドに沈める。
「オレ、用意してくるから。獄寺君はもうちょっと横になってて」
「あ・・・」
まだ熱があるみたいだからオレが面倒見てあげなきゃ、って、
普段は面倒見てもらってるから、いつもとは逆の状況にやる気になってるのかもしれない。
獄寺君が横になっているうちにひざをついていた床から立ち上がり、扉を開けて廊下に出る。
背中の後ろでガチャリと扉が閉まる音がした。
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