だめだばかだくずだのろまだ
そんな言葉はもうたくさんだ。
連日のリボーンからの嫌味にここのところ心底うんざりしていた。
リボーンが来る前までは毎日のように何人ものクラスメイトから言われていたその言葉も、
今ではあまり聞くことがなくなっていた。
人と比べればスポーツも勉強もまだまだできない部類に入るが、
それでも前に比べると、少しくらいはマシになっている。
クラスメイトや先生からも、笑顔で話しかけられることが多くなった。
それなのに、あのちびのくせして生意気な家庭教師ときたら、
顔を合わせるたびにバカだノロマだとののしった。
言い返したところでオレよりも賢くオレよりも俊敏な家庭教師に勝てるはずもなく、
結局は言い負かされたり、悪いときはコテンパンにやっつけられたりするだけだった。
「リボーンのやつめ・・・」
思わず恨み言のひとつも言いたくなる。
実際口に出してしまったこの追い詰められた気持ちも察してほしい。
リボーンが側にいれば間髪入れず鉄拳が飛んでくるところだけれど、
今は獄寺君と二人きりなので、身に危険が迫ることはなかった。
「リボーンさんがどうかしましたか?」
きょとん、と灰緑の目を普段より少し大きくして、獄寺君が声をかけてきた。
そうだ、今はせっかく獄寺君と買い物にきているというのに、
しばらくぶりにひねり出した言葉がリボーンの悪口だなんてひどすぎる。
もちろんリボーンにではなく、獄寺君に、だ。
「いや、なんでもない」
それ以上リボーンのことを考えるのも癪なので、その話は切り上げることにした。
久しぶりに宿題のない学校帰り、今日は少し寄り道をしてから帰ることになった。
帰り道に通る商店街よりも若者の多い繁華街を、制服姿で歩いていく。
オレたちの他にも制服姿の学生がちらほらと見かけられたが、そのほとんどが高校生だ。
街になじんでいる彼らに比べて街に不釣合いな自分に、
落ち着かない気持ちと、それから不思議な高揚感に包まれていた。
普段の買い物は商店街で済ませているため、繁華街まで出るというのは少し特別な意味を持っていた。
数日後に来る日曜日は、実はオレの誕生日で。
言葉にはしていないけれど、獄寺君はたぶんそのプレゼントを買ってくれるつもりなんだろう。
ゲームセンターや映画館などの娯楽施設を通り過ぎて、服や靴、アクセサリーを売っている店に差し掛かる。
「10代目、ちょっとここ入ってみませんか」
そう言って立ち止まったのは、とても高そうな服屋の前だった。
どう見ても制服、それも中学校の制服では入れなさそうな佇まいに固まってしまったオレとは違い、
獄寺君はといえばオレの返事を聞く前から入る気満々のようで、すでにドアに手をかけていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ獄寺君!こんなとこ入れないよ!」
慌てて獄寺君の腕を掴んだものの、
それをよしとばかりに腕を掴み返されて、そのまま服屋の中へと引きずり込まれてしまった。
店の中は落ち着いた雰囲気で、それが余計にオレを落ち着かなくさせた。
茶色い色で統一された壁や床が大人っぽい雰囲気で、
売られている服もスーツやネクタイなんかの、大人が着るようなものだった。
サイズだって大きいし、値段だってとてもじゃないけど手が出せるようなものじゃない。
獄寺君は店の中をぐるりと見回して、気になったものに手を伸ばして色々と確認している。
オレはといえば、居心地悪く獄寺君の後ろをついて回るだけ。
「・・・獄寺君、何か買うの?オレ、外で待っててもいい?」
店員さんの視線にいたたまれなくなってきたころ、小さな声で獄寺君に話しかけた。
獄寺君はそれまで見ていたシャツとスーツを手にとって振り返ると、それをオレの体に合わせるようにした。
「10代目、これなんかどーっスか?」
「は?」
どーって、なにが?
少し体を反らせてオレと服を眺めている獄寺君に、一度大きく瞬きをする。
「色とかデザインは10代目によく似合うと思うんですが、サイズが少し大きいかもしれませんね・・・
一度試着してみてもらってもいいですか?」
「えええ!!?」
まさかとは思ったけど、やっぱりこれ、プレゼント候補なの!?
こんな高いの、試着だってできないよ!
しかもこれ、大人用のじゃないの!?
あたふたするオレの肩から鞄を取り上げて、空いている手がオレの腰に添えられる。
流れるようなエスコートに、逃げる暇もなく試着室へと押し込められた。
「着方、分かりますよね?もし手が必要ならお手伝いしますんで、遠慮なくおっしゃってくださいね!」
「だ、だいじょうぶだよ!」
着替えるのを手伝ってもらうなんて恥ずかしくて、思わず反射的に答えてしまったけれど、大丈夫なわけがなかった。
なんでオレ、こんなの着なきゃなんないの。
さらさらとした手触りの白いシャツに、スリーピースの黒いスーツ。
こっそり値段を確認して、バカなことをするんじゃなかったと後悔した。余計に着れなくなった。
制服を脱ぐこともできず、しばらくスーツとにらめっこをしていると、
動く気配のない室内を心配した獄寺君が試着室のカーテンに手をかけた。
「10代目?やっぱりオレ、手伝いましょうか?」
「いいいいいって!」
「そうですか?・・・じゃあオレ、別のも探してきますね!」
「え、ちょ、獄寺君!いいよ!もういらないよ!」
もたもたしていてこれ以上服を持ってこられてもたまらない。
オレは慌てて着ている服を脱いで、持って入ったスーツに着替えた。
自分の制服は粗末にできるけれど、買う予定のない高価なスーツの扱いには困った。
ハンガーを抜き取るのにも細心の注意を払い、ボタンを外すのにも生地にしわが寄らないように慎重に。
時間をかけてスーツに着替え終わると、目の前にある大きな鏡に映る自分の姿が目に入った。
七五三みたいだ。いや、七五三の方がまだマシだ。
正しく「服に着られている」状態の自分の姿にため息が漏れる。
サイズももちろんぶかぶかなのだが、それ以上にデザインが大人っぽすぎて似合ってない。
そんなことは着る前から分かっていたことなのに、なんで着てしまったんだろう。
もう一度大きくため息をついて、がっくりとうなだれる。
自分の姿を見ていたくなくて視線を下に向けたけれど、
今度は足首でダボついているズボンの裾が視界に入り、さらに落ち込んだ。
「10代目、着替えられましたか?」
「うん・・・」
これはもう、見せるしかない。
似合ってないところを見て分かってくれればいい。
これだけ似合ってないんだから、こんな服買わなくていいよ。
「失礼します」
獄寺君が声をかけて、カーテンを引く。
オレはカーテンが開いていく様子をぶっきらぼうに眺めた。
目の前に獄寺君がいて、その後ろにはたくさんの服が並び、その向こうに店員さんがいる。
獄寺君を見ないようにしていたせいで、店員さんの笑い顔が見えてしまった。ちょっと、ばかにした感じの。
ああほら、似合ってないどころのレベルじゃないよ獄寺君。場違いだよオレなんて。
なのに獄寺君ときたら。
「渋いっス!10代目!」
そう、一言、感嘆の声を上げた。
「思ったとおり、黒がよくお似合いです!」
続けざまにお世辞をもう一言。
獄寺君は嬉しそうにオレのだぼっとした姿を眺めてくる。
どこをどう見たらそんな嬉しそうな反応ができるんだ。
似合っているのは色だけだろう。
もっとちゃんと、全体を見てくれ!
オレは心の中で悲鳴を上げた。
早く着替えて店を出てしまいたい。
それなのに獄寺君はああでもないこうでもないとぶつぶつ呟いている。
「色や形はよくお似合いですが、やはりサイズが合いませんね・・・失礼します」
「ごくでらくん!?」
自分の腰に当てていた手を伸ばして、オレの腰に触れてくる。
オレは慌てて腕を上げてしまって、無防備にも手の進入を許してしまった。
スーツの上から胴を撫でられ、それからスーツの裾を持ち上げられる。
ぶかぶかで、腰ではいてしまっているズボンのウエストに指を突っ込まれた。
ひゃあ、と、変な声を出してしまいそうになるのをすんでのところで飲み込んだ。
「ここの店、品揃え悪くてこれより細いの置いてないんですよ。他んとこ行きましょう」
ひぃいい!獄寺君!おっきい声でなんてこと言うんだ!
ほら、店員さんものすごい顔でこっち見てるよ!怒られるよ!!
・・・って、他んとこ、って言った?
「ご、獄寺君、他んとこ、行くの?」
「ええ。・・・あ、10代目、これが気に入りました?
でもオーダーメイドで作らせるとなると、日曜日に間に合わないんですよ。
すみません、オレがもっと早くから準備していれば・・・」
「いやいや、そうじゃなくて!」
獄寺君の言葉から、思っていたとおり誕生日のプレゼントを選んでくれているんだろうことが分かる。
オレはスーツなんていらないし、そもそもこんな高いものをもらうつもりもない。
けれど自分の決めた道をまっすぐに進んでいく獄寺君に、オレは反論する余地を与えてもらえない。
「それじゃあ次の店、行きましょう!待ってますからゆっくり着替えてくださいね」
という獄寺君の言葉に、この店を出たい一心のオレは、とりあえず頷いて制服に着替え直すことにした。
思えばオレのこの要領の悪さも原因なのかもしれない。
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