ある日、玄関のドアを開けると獄寺君がいなかった。
「あれ?」
いつもならオレがドアを開けるとすぐに「おはよーございます、10代目!」って、元気な声が聞こえてくるのに。
ビアンキの気配を察知してどこかに体を隠しているのだろうか。
前に隠れていたことのある植木の陰や塀の向こうを覗いてみても見つからない。
あれれ?と首をかしげていると、後ろから声がかかった。
「どうしたの、ツナ?早く学校行かないと遅れちゃうわよ」
「あ、うん・・・・・母さん、獄寺君から電話かなんかあった?」
体を反転させて家の中にいる母さんに問いかける。
「え?別になかったけど。獄寺君がどうかしたの?」
「いや、迎えに来てないから、変だなーって」
言いながら、獄寺君が来ないかと道路に目を向けてみるが、やはり姿は見つからない。
「獄寺君だってツナの相手ばっかりしてられないわよ。用事があって先に行ったんじゃない?」
「うーーーーん・・・・・」
そうなのかなぁ?
獄寺君の性格からすれば、そうだとしても絶対に連絡をくれると思うんだけど。
「それよりツナ、もう8時10分よ」
「え゛っ!!」
「死ぬ気弾撃ってやろうか」
「ヒッ!」
急に真横から聞こえてきた声にびくりと体を跳ねさせた。
声のする方に目をやると、リボーンが下駄箱に座ってオレに向けて銃を構えている。
それを見てオレはリボーンが引き金を引いてしまう前に慌てて走り出した。
「死ぬ気で走るけど撃たなくていいよ!!」
バタンと音を立てながらドアを閉じて、逃げるようにして道路を走る。
「いい心掛けだ」
銃を仕舞いながら呟かれた言葉は、必死で走るオレの耳には届かなかった。
******
キーンコーンカーンコーン
予鈴が鳴る一瞬前、なんとか校門を走り抜ける。
腕組みしたヒバリさんがなんかこっち見てたけど、呼び止められてないし、セーフだろう。
「惜しかったな。もう少しで咬み殺せたのに」なんて、
そんな物騒な言葉が聞こえてきたのなんて、気のせいに決まってる。
もたつきながら靴を履き替え、階段を駆け上がる。
こんなところを見られたら、今度こそヒバリさんに咬み殺されそうだ。
だけどそれよりも遅刻してリボーンに怒られる方がもっと怖い。
そのまま駆け上がって、へとへとになりながらも教室に走りこんで自分の席に辿り着いた。
「ツナくん、おはよう」
とりあえずイスに座ってぐったりしていると、
自分の席に戻るところだった京子ちゃんに話しかけられる。
「きょ、京子ちゃん!おはよう!」
「すごく息が上がってるみたいだけど、大丈夫?」
「うん、ヘーキ」
ほんとは少ししんどかったけど、心配してくれる京子ちゃんに笑顔を作ってそう答える。
するとオレの声に重なるようにして朝のホームルームが始まるチャイムが教室に響いた。
「あ・・・じゃあ、私、席に戻るね」
まだ少し心配そうな顔をしてくれていたけれど、自分の席に戻っていった。
京子ちゃんの後姿を見送ってから顔を前に向けると、前のドアからちょうど担任が入ってきた。
担任はすぐに出席を取り始め、オレはその間にまだ肩にかけたままだった鞄を下ろして中身を取り出した。
教科書とノートを引き出しの中に入れて、一時間目の数学の教科書とノートと筆箱を机の上に置く。
出席を取る担任の声を聞きながらちらりと獄寺君の席に目を向ける。
「獄寺」
と、嫌なタイミングで担任の声が重なった。
その声にびくりと体を跳ねさせて、獄寺君の席から教卓へと視線を移した。
「獄寺はまだ来てないのか?」
きょろきょろと教室を見回したあと、オレの顔に視線を止める。
「沢田、獄寺はどうした?」
その声に、クラス中の視線がオレに集まる。
ひくり、と喉が張り付いて嫌な感じがする。
他意はない。
先生がオレの名前を口にして、オレを見るから、自然とみんなの視線が集まっただけ。
先生だって、いつも一緒に居るオレが何か聞いてないかって聞いてきただけ。
ほんとはダメなんだけど、獄寺君は用事で学校を休むときに先生じゃなくてオレに連絡を入れるから、
先生もそれを知ってて、今回も何か知らないかって聞いてきただけだ。
他意はない。
だけど今までの長くはない人生の中で大半を占めている恐怖がじわじわと沸き上がってくる。
みんなでオレの周りを囲んで、笑いものにしている。
自分がとても小さくて、一人ぼっちで、除け者にされている。
たまに近寄ってきたかと思えば、嫌な感情を与えられる。
叩かれたり、引っ張られたり、投げつけられたり。
こわい
こわい
「沢田?」
こわい
ぎゅう、と目を瞑ると真っ暗な中から呼びかけられる。
『沢田さん?』
やわらかい声。
耳の奥で呼びかけられる。
ここにはいないのに、聞こえないのに、鮮明に思い出せるその声。
『怖いことなんてありません。大丈夫です』
その声に励まされると、本当に大丈夫なように思えた。
そうだ、怖いことなんてないんだ。
昔とは違う。
オレはそっと目を開けると、視界に教室の中の様子を映した。
先生が見てる。みんなが見てる。
その中で、斜め前の席から振り返ってこっちを見ている山本を見つける。
目が合うと、にこりと笑って小さく手を振られた。
そうだ、昔とは、違うんだ。
「獄寺君からは、何も聞いてません」
顔を前に向けて教壇に立つ担任に向かって言う。
「そうか」
そう、一言だけ呟くと、出席簿に何かを書き込んで、
それから出欠の確認に戻った。
ほっと小さく息を吐き出す。
山本を見れば、すでに前を向いていて、広くて大きな背中が頼もしく見えた。
「佐伯」
「はい」
「沢田」
「はい」
獄寺君が呼ばれて、少ししてからオレが呼ばれる。
返事を返すと、それまで詰めていた息を全部吐き出して、力を抜いて背中をイスにもたれさせた。
最近ではみんなの視線を浴びたって、こんな風に嫌な汗をかいてしまうほど緊張することはなかったのに。
ふぅ、ともう一度小さく息を吐き出す。
それって獄寺君がいないからかなぁ。
いつもだったらみんなの視線に混じってふわふわとやわらかい笑顔が向けられるのに。
そのときの笑顔を思い浮かべて、その笑顔の持ち主がいない静かな席を眺めた。
獄寺君が傍にいると安心できた。
みんなから見られても、緊張はするけど嫌な気分にはならなかった。
今、どうしようもない緊張から救ってくれたのも獄寺君の声だった。
あの声が聞こえなかったら、オレはうまく声を出すことすらできなかったかもしれない。
それがいいことなのか悪いことなのかは分からないけれど、
オレが気付かないうちに、獄寺君がオレの心の深いところまで入り込んでいたことに気が付いた。
獄寺君が近くにいない状態で初めて分かる、って、オレって自分で思うよりもかなり鈍い奴なのかもしれない。
持ち主不在の机を眺めて、もう一度小さくため息を吐いた。
******
「獄寺君のことが好き」
そう告白したのは昨日のこと。
早々と日が落ちてしまった寒空の下を歩きながら、やっとそれを口に出せたのはオレの家の前だった。
今日こそ言うぞ、と思いながらもなかなか口に出せず、
そればかりを考えていたせいで帰り道での獄寺君の話はまったくと言っていいほど頭に入っていない。
挨拶を済ませて帰ろうとしていた獄寺君は、向きを変えようとしていた体をぴたりと止めた。
そうだ、告白をしたからにはその返事が返ってくるんだった。
自分が告白することばかりに気をとられ、そのことをすっかり忘れていた。
ばくばくと大きくなる心臓の音。
それまでだっていつも以上にうるさかったけれど、その音はますます大きくなった。
どうしよう、なんて言われるんだろう。
体中が心臓になったんじゃないかって思うくらいに自分の脈動が感じられる。
ばくばくばくばく、心臓の音に混じって獄寺君の声が聞こえた。
「光栄です、10代目!」
最初の返事はこうだった。
俯き気味だった視線を上げて獄寺君の顔を見れば、とても嬉しそうな表情。
今まで獄寺君が女子から好意を持たれたときに見せていた顔とは明らかに違う。
告白を受けてこの笑顔ならば、返事は当然いいものだろう。
オレの胸は期待に膨らむ。
心臓の音は穏やかに、けれどさっきよりも速くなる。
獄寺君はその笑顔のまま、オレの予想通りに嬉しそうな声を続ける。
「オレも10代目のことが好きですよ」
にこにこと無邪気な笑みを浮かべて告げられた言葉に、嬉しさで胸がいっぱいになった、けれど。
「10代目に気に入っていただけて、部下としてこんなに嬉しいことはないです。もちろんオレだって、10代目のことお慕いしています。10代目みたいな素晴らしい方がボスとして采配を振るボンゴレに所属していること、とても嬉しく思います」
おかしい。
何かが決定的におかしい。
「・・・・・獄寺君?」
「そうですね、まだ今のところは10代目は次期ボス候補という立場です。しかし10代目がボスに就任する前から10代目と行動を共に出来ることをとても誇りに思います」
「え、あの・・・?」
「これからも10代目の元で精進していきたいと思っています。それでは、いつまでも玄関先で10代目を立ち話させるわけにもいきませんので、オレはこれで失礼します」
「獄寺く・・・」
ぺこりと綺麗にお辞儀して、獄寺君は今度こそ踵を返して帰っていった。
「・・・全然、伝わってない・・・」
獄寺君のあの考え方は今に始まったことではないけれど、
オレの好きだって言葉も「部下として」って意味に取られちゃったのか?
今の獄寺君からの好きだって言葉も「ボスとして」ってことだよな?
獄寺君がオレによくしてくれるのは、オレがボンゴレ10代目だから、ってことは分かってる。
だけど最近では友達としても見てくれてると思ってた。
ちゃんとオレのこと、見てくれてると思ってたのに。
「獄寺君の馬鹿・・・」
どきどきと高鳴っていた胸はいつの間にか平静さを取り戻した。
白い息とともに口からこぼれた悪口は、そのまま地面に落ちていった。
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