甘い紅茶の香りと、甘ったるい笑顔。
それから決して甘くないタバコと火薬と香水の香り。

見慣れているのに初めて見るもの。
かぎ慣れているのに初めてかぐもの。

その人はオレにとても不思議な感覚を与えた。


みらいが くる はなし


隣町の黒曜中のやつらが並盛中の生徒を襲う事件が起きた。
襲われた人はどの人もうちの学校では強いとされる人たちで、
しかもその人たちが倒され、歯が抜かれるという酷い状況で見つかった。
うちの生徒が無差別で襲われていると思われていたから、
襲われることを恐れて学校を休む生徒も増えて、
教室の中はインフルエンザが流行したみたいな、がらんとした日が続いた。

そんな中、獄寺君が狙われた。
敵に見つかって動けなくなったオレをかばって、
獄寺君は敵の攻撃を受けた。

オレの前で自分の体を盾にして、
敵の攻撃を一身に受けて、
崩れていく体から赤い血が流れるのを見て、
オレは目の前が真っ赤になった。

オレがいなければ、獄寺君はあのまま敵を倒していただろう。
オレがいなければ、獄寺君は攻撃を受けることもなかったし、
オレがいなければ、獄寺君は怪我をしなくて済んだはずだ。

敵の頭である骸を倒し、黒曜中との長い戦いが終わり、
それなりに楽しくて、それなりに平和な日々を送っていた。

ただ、心のどこかに刺さった棘が、ちくりちくりと心を痛めていた。



******



授業が終わり、帰る仕度を整えて席を立つ。
獄寺君はいつものようににっこりと笑ってオレの隣を歩いている。
英語の教科書に載っていた話を分かりやすく説明してくれる優しい声や、
生物の資料集で見た師管の膨らんだ木の話をするときの楽しそうな表情や、
教えて欲しかった数学の問題の式を思い出せないオレをはげまそうとする顔が、
同じものを聞いていた授業中とはまったく別の楽しさをオレに与えた。

獄寺君に会う前は一人で帰っていた長い道も、
二人で話しながら歩いているとあっという間に過ぎてしまう。
宿題を教えてもらう約束をしていたので、そのまま二人で家に入った。
ある日は宿題のため、ある日はテストのため、
ある日はレンタルしてきたDVDを一緒に見るため、
そしてある日は、特に理由もなく、獄寺君と一緒に過ごすため。
毎日毎日、オレと獄寺君は二人でこっそり用事を探し合って、
5分でも10分でも多く、一緒にいる時間を作っていった。

玄関に入ると、階段の上からかすかにチビたちが暴れまわる音が聞こえてくる。
これはたぶん、いつものように追いかけっこをしているんだろう。
何を言っているのかまでは聞き取れないが、かすかに声も聞こえる。
階段を上るにつれてその音と声は大きくなり、
ドアを開けると予想通り、ランボとイーピンが走り回っている。
獄寺君と二人きりじゃないのは残念だけど、
オレの家だとこうなる確立の方が高い。

「ただいま」

ドアの開く音に反応して、二人は走り回っていた足を止めてオレたちの方を向く。

「おかえり、ツナ!」
「〜〜〜!」

ランボはオレに挨拶をした後、獄寺君に向かってべ、と舌を出した。
後ろでぶちりと血管の切れる音が聞こえた気がしたけど、戦いには発展しなかったのでほっとする。
イーピンはオレと獄寺君の両方にきちんと挨拶して、
これには獄寺君も小さく言葉を返していた。

「止まってるとランボさんが追いついちゃうぞ〜〜!」
「〜〜!」

チビたちが静かだったのはその時だけで、
ランボがイーピンを追いかけ始めて、また部屋の中を走り回る。
これはもういつものことなので、特に気にすることもなく、
肩にかけていたかばんを床に置いて、ブレザーを脱いでハンガーにかけた。
獄寺君はといえば、オレの方をじっと見ながらぼんやり立ちすくんでいる。
足元をチビたちが走り回っているから動けないのかもしれない。

「獄寺君のブレザーも貸して」

そう言って獄寺君に向かって手を伸ばしてみるけれど、
獄寺君はぼうっと突っ立ったまま、動かない。

「獄寺君?」

手を下ろして獄寺君の顔を覗き込み、もう一度名前を呼んでみると、
それにやっと気づいたように、ようやく獄寺君と目が合った。
はい、ともう一度手を伸ばしてブレザーを脱ぐように催促したけれど、
獄寺君は小さく首を振って断った。

「ありがとうございます、でも10代目のお手を煩わせるわけにはいきませんので」

そう言って獄寺君はてきぱきとブレザーを脱いだ。
ハンガーを手渡し、獄寺君の動きを眺める。
脱いだ服をハンガーにかける、ただそれだけの仕草なのに、何ともいえない気品を感じる。
さっき自分もした動きだけど、絶対こんなにかっこよくなかったはずだ。
育ちが違うからか、それとも持って生まれた質なのか。
かっこいい人は何をしても様になるというけれど、オレはその言葉に大きく賛同した。
服をかけたハンガーを壁にかける姿だってかっこいい。
獄寺君の後姿を眺めながら、本人には絶対に言わないことをつらつらと考えた。
だってそんなこと正直に獄寺君に言ったら、
もっとかっこよく見せようと変にポーズをつけてアピールしてくる。
オレはそんな作った仕草よりも獄寺君の何気ない仕草に魅力を感じるので、
いつもこっそりと心の中で褒めるだけに止めている。
もちろん、照れくさいっていう理由もあるけれど。





そんな風に、獄寺君に見とれることが多くあった。

教科書を読むために伏せられた目や、うつむくと流れる髪の毛や、
ページをめくる動作や、文字をたどる指や、それを読み上げる綺麗な声。
そんななんでもないことが、とてもかっこよく思えた。
伏せられたまぶたを飾るまつげが思ったよりも長いことを観察しながら、
オレはその視線を受ける教科書にさえ嫉妬した。

「あ、10代目。そこの数字はかけちゃだめです。足すんですよ」
「え・・・?あ、あぁ、そうか・・・」

獄寺君の綺麗にペンを持つ指を眺めながら
ぼんやりと適当に問題を解いていると、声をかけられる。
自分の書いた数字をもう一度見てみると、確かに簡単な間違いをしていた。
獄寺君の指の近くに置いてある消しゴムを取って、書いたばかりの数字を消した。
それから計算をやり直して新しい数字を書いていくと、
答えまで書いたところで小さく「正解です」と言われた。
その優しい声が嬉しくて思わず顔を上げる。
獄寺君はその声と同じように優しい顔をしていて、
その顔がオレに向けられていることにまた嬉しくなった。

顔を下に向けて、また次の問題に取り掛かる。
それから5問くらいは同じような問題が続いていて、
今度は間違えないように答えていった。
計算問題を解き進めていると、新しい問題に当たる。

「こっちは引くんだよね?」
「そのとおりです」

さっきの問題と逆の解き方で新しい問題も解いていると、
目の前を何かが通り過ぎた。

「〜〜〜〜〜!!!」

中華風の服を着た女の子が猛スピードで走っていく。

「まてまて〜〜〜!!」

その後ろを牛柄タイツの男の子が追いかける。

その二人がぐるぐると獄寺君の周りを走り回る。
机の上を通るたび、ぐしゃ、ぐしゃ、と教科書とノートが音を立てた。
ぐるぐる、ぐしゃぐしゃ、ぐるぐる、ぐしゃぐしゃ、
延々と回り続ける二人に、
獄寺君の怒りのボルテージがぐんぐん上がっていくのが手に取るように分かった。
体がかすかに震えている。
これは、やばい。

イーピンが通り過ぎたところで手が伸びた。
伸ばされた手はそのままやってきたランボのもじゃもじゃ頭をぐしゃりとわしづかんだ。
くぴゃ!と小さな悲鳴が上がる。
獄寺君の目は完全に据わっていた。

「あわわわわ・・・獄寺君、落ち着いてーーー!!!」
「落ち着いていますよ、10代目。オレはこれ以上ないってほどに冷静です」
「ぐ、ぐぴゃ・・・」

落ち着いているのは態度だけで、冷静なのは口調だけだ。
ぎりぎりと、イヤな幻聴が聞こえてくる。
あのもじゃもじゃの中はスカスカだから、あんな音しないはずなのに。
ランボもランボで髪の毛を握りつぶされて、口から泡を吹いている。
めちゃくちゃ危険な状況だ。

「おいアホ牛。今10代目は宿題をなさってるんだ。
これ以上その邪魔をするようなら、ただじゃおかねーぞ」

すでにただでおかれていない状態のランボは、
最後の力を振り絞って、手をもじゃもじゃの中に突っ込んだ。
ごそごそと手を動かすと、目当てのものが見つかったのか、もじゃもじゃの中から手が抜き出された。
その小さな手には不似合いな、大きなバズーカ。

「うわぁああああん!!!」

ランボは顔を涙と鼻水でぐしょぐしょにしながらバズーカを構えた。
いつものように10年後の自分を呼ぼうとしてるんだろうけど、向きが逆で、砲口が獄寺君を向いている。
ランボの手には引き金に取り付けられた紐の端が握られていて、
それを引っ張れば獄寺君に向かってバズーカが発射される。
そこまで考えた時にはすでに体が動いていた。

「獄寺君、危ない!」
「じゅ、10代目・・・!?」

獄寺君に抱きついて、ランボと離れさせようとする。
オレにタックルされた獄寺君は急なことに構えることもできず、バランスを崩したようだ。
ドカン!と大きな音が聞こえた。
ランボはあのままバズーカを発射させてしまったらしい。
獄寺君は無事だろうか・・・?
恐る恐る目を開けてみると、目の前にはどこからともなく現れた白い煙が獄寺君を包んでいた。

「獄寺君!?」

慌てて声をかけてみても、返事がない。
だけど、この手には獄寺君の感触が残っている。
返事が返ってこないことが、姿が見えないことが、とても不安で、
その感触が消えてしまわないように、ぎゅ、とまわした手に力をこめた。


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