机の前の、さっきまで獄寺君が座っていたところにその獄寺君も座っている。
真っ黒なスーツに長い手足を包み、上等そうな香水の香りを身にまとっている。
机に置かれたカップからは湯気が立っていて、それがまだ温かいのが分かる。
さっきは少し感じられた紅茶の甘い香りも、今では感じられない。
たばこと火薬と上質な香水と、それからかすかに獄寺君自身のにおいが混ざり合った、
その独特な香りがさっきからオレを包んで放してくれない。

ふわりと鼻をくすぐるにおいにどきどきしながら、そっと獄寺君の様子を眺める。
その獄寺君は今よりも一回りくらい大きくて、
オレの体の二回りも大きいから、なんだか自分がとても子どものように思えた。
飾り気のない真っ黒な上下のスーツに真っ白なシャツがなぜかとても上品に見える。
手足が長いのですらりと細く見えるその体は、
見かけによらず、わりとがっしりとした体つきであることが、
さっき抱きついた時の腕の感触で分かった。
グレーの髪の毛は今よりも少し跳ねが抑えられて、横から集めた髪の毛が後ろでくくられている。
そんな無彩色の中にぽっかりと浮かんだ緑色の瞳は、やわらかく細められてオレの鼓動を早くした。

大人だ。大人の獄寺君だ。
そりゃ目の前の人は体も大きくて落ち着いてて、
(いや、ランボに対してはそうじゃなかったけど)
10年後の獄寺君だから24歳で、歳だって十分大人で、
そんなことは分かってるんだけど、
大人が珍しくてどきどきしてるんじゃない。
大人の獄寺君だから、どきどきするんだ。

手も足も、体の部分部分がそれぞれ大きくなっていて、
ひとつひとつを見ればそれは確かに獄寺君のものなのに、
全体的に見るとなんだか違う人みたいで変な気分だ。

獄寺君はにこにことオレを見ていて、何もしゃべってくれない。
見られているためか、その笑顔のためかははっきりしなかったけど、
とにかく居心地が悪かったので必死になって話題を探した。

「あ、あの」
「はい」

声をかけるとにこりと一層笑みを深くして、
その笑顔を向けられると俺の心臓が余計に激しく動くのが分かる。

「10年後のオレは、元気かな」

言ってから、自分でもなんてひねりのない質問だとがっかりした。
それでも獄寺君はやっぱりにこにこと笑っている。

「お元気ですよ。今も一緒にお茶をしていました」

ふと、机に置かれたカップを見る。
紅茶を飲もうとしたところでこっちに飛ばされてきたんだろう。
でも、獄寺君が紅茶って珍しいな、そう思っていたら、獄寺君の言葉が続く。

「向こうの10代目が今お気に入りの紅茶なんですよ。
 ストレートで飲むとそんなに甘くなくて、とてもおいしいんです」

へええ、と相槌を打ちながら、獄寺君の言葉に少しひっかかりを感じる。
「向こうの」というのは、どういう意味での「向こう」だろう。
十年後、という意味での向こう?それともイタリア、という意味?
何となく、その質問は無意味なものに思えた。
真っ黒なスーツと火薬のにおいを身にまとった獄寺君が、
10年後にオレと一緒にいるってことは、
たぶんそういう意味での向こうってことだろう。

イタリアに渡った、マフィアのボスな、10年後のオレ。

今はまだそんな自覚もないし、
ドラ○もんも言ってるように、未来なんて変わるもんだ。
オレが本気で拒んだら、少なくとも今のオレはマフィアのボスにはならないだろう。

そう思ってちらりと獄寺君を盗み見る。
ただ、オレをボスとして集まってくれてる獄寺君やリボーンやディーノさんには、
とても悪いことをすることになるけど・・・。

こっそりと見ていたはずが、ばちりと目が合ってしまう。
慌てて目を逸らそうとして、思いとどまった。

十年後のオレは、今みたいにこの獄寺君に迷惑をかけているのかな。
足手まといになってないかな。

ケガ、させてないかなぁ。

あの服に隠れた胸には、大きな傷があるはずだ。
消えることのない、古傷が。

オレの前に立って、腕を広げて。
そして血を流して倒れていく獄寺君の姿を、
オレは忘れたことがない。
忘れることができない。

獄寺君と離れたいわけじゃない。
ただ、獄寺君がオレのために傷つくことが嫌だった。

流されるまま、リボーンの特訓の受けているのは、
もしかしたら将来本当にマフィアのボスなんてものになってしまうのかもしれないし、
ならなかったとしても、せめて自分の身を守ることができるようになりたいからだ。
オレをかばってケガをしたりする人がいないように。
優しい君が、オレのためにけケガをしてしまわないように。

大きな獄寺君と目を合わせたまま、またさっきのことが頭に浮かんだ。
オレは10年後も、獄寺君にケガをさせてないかなぁ。
思ったことを、ぽつりと口にする。

「またオレのせいでケガしてない・・・?」

それが一番心配で、たぶん一番聞きたいこと。
獄寺君はオレと目を合わせたまま、口元を緩ませてふわりと笑った。
こんなところも、やっぱり獄寺君なんだと頭の隅っこで思う。

「ケガは、たえません」

きれいな形の唇が開いて言葉をつむいでいく。

「一人で仕事をしてるときも、あなたと一緒にいるときも、
 大きかったり小さかったり様々ですが、やっぱり多少はケガをします」

情けないですよね、と苦笑する獄寺君に、オレは何も言えずにいた。
自分の目の前で血を流す獄寺君が浮かぶ。
思い出そうとしなくても自然と浮かぶ光景。
やっぱりオレは、10年経ってもダメツナのままなんだ。
つきん、と胸が痛む。
その痛みに顔をうつむかせると、また獄寺君の声が聞こえた。

「でもオレがケガをするのは10代目のせいじゃなくて、オレのせいなんですよ」

明るいその声に誘われて少しだけ顔を上げる。
獄寺君はなぜだか嬉しそうな顔をして、口を開いた。

「あなたの盾になりたいやつらはいくらでもいるんです。
 でもオレはあなたを守る役目を誰にも渡したくない。
 オレが10代目を守りたいんです。
 だから、オレがケガをするのはオレのせいで、オレのためなんですよ」

ね?と、最後にダメ出しのようにきれいな笑顔を向けられて、体中がざわざわする。
なんだ。なんだこれ。
獄寺君ってやつは10年後は立派なスケコマシじゃないか。

親が子どもに向ける種類の甘さじゃない。
お菓子みたいに依存性のある、甘ったるい笑顔。
そんな顔を向けられたら忘れられなくなる。
何でも頷いてしまいそうだ。

「10代目がお気に病むことはないんです」

またその低く心地よい声が聞こえる。

「オレがしたくてやってることですから、あなたが自分を責める必要はまったくありません」

わたあめみたいにふわふわになってしまった頭で考える。
それは獄寺君の言い分であって、獄寺君がそう言ってくれても、
やっぱり頭の片隅では自分が悪いんだって思ってしまう。

獄寺君に傷ついてほしくないオレと、オレを守りたい獄寺君と、
どちらに転んでも、どちらかが悔しい思いをする。つらい思いをする。
それならどっちも悪くないし、どっちも悪いのかもしれない。
どちらかに原因を求めることではないようにも思えてきた。

答えの出ていないようで、答えの出たような。
それでも心の中の深い霧は、少しだけ薄くなったように思える。
ようやく向こう側を見渡せるようになった心の中で、するりと獄寺君の声が耳に入ってきた。

「全部、オレのせいですよ」

獄寺君の影が近づいて、ふわりと香水のにおいが濃くなった。
その気配に獄寺君の顔へと焦点を合わせると、
さっきよりもずいぶんと近づいた獄寺君の唇が、
ちゅ、とまぶたに優しく触れた。

ぶわ、と体温が急に上がる。
顔は熱を持って、心臓はばくばく動きまわってる。
体中の水分が沸騰でもしたみたいな。
インフルエンザにかかったって、こんなにはならないはずだ。

「イヤなことは、全部オレのせいにしてください」

顔のすぐそばで声が聞こえる。
唇からの振動は、額に直接響いてくるようで、
額を中心に、体中をびりびりと震わせた。

「あなたはなにも悪くない」

耳元にその言葉を残して、
ぼん、と獄寺君の体が白い煙に包まれる。

体も顔も耳まで熱くなって、どうしようもなくて目をつぶった。
それから獄寺君の唇が触れたまぶたにそっと手で触れる。

「10代目!どうされたんですか!?」

ふと、獄寺君の声が聞こえた。
聞き慣れた、ずっと耳にしてきた声が。
さっきよりも、少しだけ高音を残す響き。
それが10年後にはあんなのになるんだ。
そう思ったらどうしても顔が上げられず、
オレはとうとうもう片方の目も手で覆ってしまった。

「!もしかして10年後のオレに何かされました!?」

その言葉にまたカーーーッと体温を上げながら、
あいつ、果たす!とか、どうやったらできるんだろうと思うことを
つらつらと言う獄寺君の声を聞きながら、どこか少しほっとしていた。
それでもやっぱりどうしても顔を上げて獄寺君を見ることができない。

なかなか熱が引かないまぶたを隠したままで、
不意に獄寺君に抱きしめられた。
さっきの、かぎ慣れない、オレを落ち着かせないにおいではなく、
かぎ慣れた、安心するかおりに包まれる。
とくとくと、やさしい鼓動が聞こえる。

「獄寺君は、ずっとそのままでいてよ」

心臓がどきどきしてしまうのも、
抱きしめられて嬉しいと感じるのも、
全部、獄寺君のせいなんだ。

いつかはさっきみたいに変わってしまう獄寺君に、
そう、願いをこめて言う。

声や姿はいくら変わってもいい。
どれだけ変わったってオレはどの獄寺君だっていい。

ただ、変わらずに、オレのそばにいて欲しいと、そう思った。





End





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 あとがき
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