冬が近づいて毛布を出した。
やわらかな感触の奥にもぐり込むけれど、
たったひとつ、大切なものが足りない。
獄寺君がいなくても過ぎていく毎日。
世界はなんて薄情なんだろう。


12:銘柄


いつもなら魅力的な毛布という鎧をあっさりと脱ぎ捨てて、のろのろと台所へ向かう。
階段を降りきったところから、すでに母さんの鼻歌が聞こえてくる。
この間から父さんが家に帰ってきてるから、機嫌がいいんだ。

「おはよう」
「おはよう、ツーくん。あら、まだ着替えてないの?急がないと遅刻するわよ」
「うん」

少しくらい、遅くなったって。
待たせる人はいないんだから、別にいいや。

「いただきます」

自分の席に座って出されたトーストを口に運ぶ。
朝だっていうのにテーブルには食べきれないほどの料理が並んでいる。
それに手をつけることもなく、トーストとカフェオレを飲み込んで、
顔を洗うために席を立った。

「もう、ほんとにこの子ったら。獄寺君がいないとだめなのね」

後ろから聞こえてきた母さんの言葉は、聞こえない振り。





「ちょっくら留守にします」と、獄寺君がイタリアに帰ったのはいつだったか。
正確に日を数えるのが寂しくなってきた、「何日か前」の話。
獄寺君と一緒に夜を過ごしたときのこと。
たくさん獄寺君と触れ合って、心も体も満たされて、
獄寺君の広いベッドでとてもいい気持ちでまどろんでいたところ、
言いにくそうに口を開く獄寺君から、しばらくイタリアに帰ることを伝えられた。
こんな夜なのに、なんて寂しいことを言うんだろう。
ダイナマイトが少なくなってきただとか、
ボンゴレ本部への連絡がどうだとか、
そんなよく分からないことは聞きたくなくて
白い首に腕を回して、口をふさぐように獄寺君の顔を胸に引き寄せた。

「なるべく早く帰ってきます」

唇が動いて触れた胸がくすぐったかった。
その言葉に、どうやらすぐには帰ってこれないことを気づかされる。

「早く帰ってきてね」

体を丸めて銀色の髪に口づけながらそう言って。
それからまた二人でシーツに沈んで朝を迎えた。



そう、初めはよかった。
獄寺君が触れた感触が体のあちこちに残ってる。
幸せな記憶を呼び起こしながら、1日を過ごすことができた。

だけどすぐに獄寺君がそばにいないことに違和感を感じた。
物足りなくて、寂しくなって、
学校に行っても、チビたちと遊んでても、どこか上の空だった。
元気ないな、って心配してくれる山本に、うん、と頷くだけの返事をして。
獄寺君はどうしたの、いつ帰ってくるの。
そんなことを聞く女子の声にも適当に返して。
昔に逆戻りしたようにダメツナを全うするオレに投げられる悪口にもへらりと笑って頷いた。

ぼんやりと、やることはやるけど、ただ体を動かすだけ。
それなりに笑ったり、怒ったりもするけれど、心の芯までは動かない。
なんだか本当にダメツナに戻ったみたいだ。
てことは、この前までは昔よりマシになってたってことだよな。
ぼんやりぼんやり、考えることもどこか上滑りしている。
リボーンの特訓にそんな態度で臨もうものなら、強烈なシゴキにさらされるわけだけど。
それでも特訓から解放されると、元通り。
シャマルにはニヤついた顔でいやらしく笑われ、リボーンからは処置なしと診断された。

先生の声を聞き流しながら座る人のない席を眺める。
授業の途中でやってくるんじゃないかと思ってドアを眺めることも多くなった。
だけどやっぱり獄寺君は姿を見せず、1日1日が過ぎていく。
帰り道も一人きりで、ただただ無言で足を動かす。
10代目、10代目、って嬉しそうに笑いながら呼びかけてくれる、
なにもしなくても、ただ一緒にいるだけで嬉しいんだって、
オレまで嬉しくさせてくれるあの笑顔をもう何日も見ていない。
頭の中で再生される獄寺君の笑顔は、古びたフィルムみたいにかすんでしまう。
なんにも取り柄がないオレだけど、獄寺君に関することなら誰にも負けない自信があるよ。
なのに君に触れられないだけでこんなにも不安になってしまう。
10代目、って大好きな声で呼んでほしい。
それだけでオレは強くなれるし、誰よりも幸せになれるから。
冷たい風が吹くようになって、その声を探して耳を澄ますことが多くなった。

また日が過ぎて、新しい1日が始まる。
なんだか学校へ行く理由が見当たらない。
それでも遅刻ぎりぎりに教室へ駆け込んで、間違いだらけの宿題を開く。
先生の説明を聞きながら赤ペンを持ってノートに書き込み、
ふと筆箱につけたストラップが目に入った。
獄寺君とおそろいの携帯のストラップ。
オレは携帯持ってないから、筆箱のチャックにつけたんだ。
獄寺君の髪の毛と同じ、きれいな銀色のドクロを眺め、少し心が満たされる。
だけど、これだけじゃぜんぜん足りない。
獄寺君、オレ、君がいないとこんなに寂しいよ。

「早く帰ってきてよ…」

小さくこぼした声は教室の中に溶けていった。





「ただいま」

小さく声をかけて家に上がる。
鞄から弁当箱を取り出して台所へ持っていったとき、ふと嗅ぎ慣れたにおいがした。
…獄寺君…?

「ツーくん、お帰り」

弁当箱を受け取るために振り向いた母さんも構わず机の上に無造作に置き、
においのする方、リビングへと駆け込んだ。
きょろきょろと中を見回してみるけれど、獄寺君の姿は見えない。
だけどテーブルの上には見慣れたタバコが置いてある。
獄寺君が吸ってる、イタリアのタバコだ。

「獄寺君、帰ってきたんだ!?」

思わず声も大きくなる。
心がうきうきと高揚するのを感じながら、テーブルに近づいていく。
獄寺君、どこにいるんだろう。
トイレ行ってるとか?
それともタバコだけ置き忘れて先にオレの部屋に行って待っててくれてるんだろうか。
後ろに人の気配を感じてそれまでの沈みっぷりと間逆の笑顔で振り返れば、
母さんが不思議そうな顔をして首をかしげてオレを見ている。

「獄寺君、イタリアから帰ってきたの?うちにはきてないけど」
「え?…だって、このタバコ…」
「そいつはモレッティんだぜ」

ガサリ、乾いた音をさせて父さんが新聞から顔を覗かせた。
そのひげだらけの顔はニヤニヤとゆがみ、シャマルと同じようないやらしい笑い方をしている。
それまで意識的に無視をしていたけれど、話を聞かないわけにはいかなさそうだ。

「モレッティ…って、あの『殺され屋』の?」

テーブルの向こう側にどっかりと座り込んだ大きな体に向かって問いかければ、またにやりと笑みが深まった。
大人ってどうしてあんないやらしく笑えるんだろう。

「そうだ。ちょっと話があってうちに呼んだんだが、タバコを忘れてっちまってな。あいつ、ツナに会いたがってたぜ。
ヴァリアーを倒した10代目はさぞお強く成長されているんでしょうね、ってな。父さん鼻が高いぞ、ツナ!」
「ふぅん…」

なんだ、ほんとに獄寺君のじゃないんだ。
それが分かったらこれ以上話すこともないや。
心の中ではがっかりしつつ、それをなるべく表面に出さずに口元を上げて笑う。

「…じゃあ…オレ、宿題あるから…」
「このタバコはあっちじゃポピュラーなんだがな」

背中を向けたオレにかまわず、父さんは話を続けている。

「こっちじゃ吸ってる奴もあんまいねーから、ツナが大好きな獄寺君のだと勘違いしても無理はねーよな」
「!!?」
「ほら、ツナ。獄寺君が帰ってくるまで持っとくか?どうせモレッティは雲の上だし、オレも吸わねーし」
「…っ!いらないよ!つーかなに言ってんの!?普通父親が子どもにタバコなんてあげないよ!!!」

タバコを摘み上げる父さんに向かって思いっきり怒鳴りつけ、
どたどたと足元を踏み鳴らしながらリビングを出ていった。

「奈々〜、息子が反抗期だよ〜〜」
「あらあら、家光さんがツナをいじめるからよ。獄寺君はツナの大切な子なんだから、からかったりしちゃだめよ。
ツーナ、どら焼きあるわよ。いらないのー?」
「いらないよ!!」

ほんとなに言ってんのウチの親!
後ろから聞こえてくるこれ見よがしな声に余計腹を立たせつつ階段を上って自分の部屋に入ると、
鞄を放り投げてベッドの中にもぐりこんだ。
ふわふわのやわらかい毛布の中、だけどそのたよりなさが
余計に今自分がひとりなんだということを感じさせる。
毛布の中で丸くなっていると下が急に騒がしくなった。
リボーンたちでも帰ってきたんだろう。
階段を上がる足音がして、コンコンと小さくドアをノックする。
いつもはそんなのしないで勝手に入ってくるくせに。
どら焼きだっておみやげだっていらないよ。
オレがほしいのはそんなんじゃないんだ。

「10代目」

いじけた思考の隙間に入り込んだ、その声。
なにかを考えるよりも早く起き上がって、くるまっていた毛布をはぎ取った。
ドアの方に目を向けると、獄寺君が立っている。

「ただいま戻りました。遅くなってすみません」

ゆっくりとベッドに近づく獄寺君に待ちきれなくなって、
腕をいっぱい伸ばして抱きついた。

「…遅い」
「すみません」

タバコのにおい、香水のにおい、そしてこんなに近づいてはじめて分かる、獄寺君のにおい。

「おかえり、獄寺君」

獄寺君の肩に顔を埋めて、足りなかったものを胸いっぱいに吸い込んだ。





End





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以前このお題で話を書いたのですが、
家光さんが出てくる前に書いたので、父さんが別人になってまして。
書き直したいなぁとずーっと思ってました。

で、書き直すにあたり、前に書いた話を読んでみたところ、
話から滲み出る自分の若さ(いろんな意味で)を目の当たりにし、
恥ずかしさにそこらじゅう掻き毟りたくなりました。

一応その話がくっつく前の気になる恋話だったので
じゃあ今回はくっついた後の気になる愛話にしようかなーと思って書いたところ
いちゃっとしてる以外は大して差がなかったというそんな残念な話。
私はもう獄ツナが一緒にいない話を書けないのかもしれない。

家光さんはツナの前では「獄寺君」って言うけど、
獄寺に対しては「獄寺」って呼びそうなイメージがあります。
家光さんのどうしようもない感じを書けて楽しかった。

パパンが出る前に書いた父さんが別人な「銘柄」恋話

(2008.11.07)


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