窓から切り取られた空を眺める。
青空の中に飛行機雲が一筋。
本日は晴天なり。
青空
こんな穏やかな空気にも、ずいぶん慣れた。
社会科の教師の声を右から左へと聞き流しながら、視線を外から10代目へと移した。
黒板とノートに交互に視線を動かして、必死に板書を写している。
頭を動かすたびに揺れるふわふわした髪は、
触るととてもやわらかいのを思い出して、オレは顔をほころばせた。
そこで急に10代目が振り返り、こちらを見る。
目が合ったので笑って手を振ると、慌てた様子で何かオレに伝えようとしている。
「・・・?10代目?」
がたん、と席を立ったところで目の前に影ができた。
視線を上げると教師がオレを睨んでいた。
「・・・獄寺。立ったのならちょうどいい。黒板の文章の空欄を埋めて来い」
「あぁ?」
指された黒板を見ると、確かに白々と文章が書いてあった。
その内容はご丁寧にも教科書ほとんどそのままの文章で、ある意味感心する。
オレが空欄を埋めて気が済むのならやってやろうかと、机を離れて黒板へと向かう。
途中で10代目の席の隣を通り、言葉を交わす。
「さっき、何を言おうとしてたんですか?」
「先生が怒ってるよ、って言おうとしたの」
10代目に気にかけてもらえるなんて、なんて幸せなんだろう。
嬉しくて礼を言うと、「いや、結局怒られちゃったし」と応える10代目。
その声に「早くしろ!」という教師の言葉がかぶさる。
そのことに気分が悪くなりながらも、オレはともかく10代目まで目をつけられるのは本意ではないので、
失礼します、と10代目に声をかけて一礼してから黒板へ向かった。
文章中の空欄は3か所。
一通り文章を読んでから、黄色のチョークを手に取った。
上から、徳川吉宗、松平定信、水野忠邦。
こんなものを書かせる意図が理解できない。
覚えさせたいのならば教科書に線を引かせれば済む話じゃないか。
そう思いながらもカツカツと音をさせて空欄を埋める。
書き終わってチョークを戻し、手についた粉を払ってから教壇を降りた。
自分の席に戻る時も10代目の席を通って、笑いかける。
びっくりしながらも笑い返してくれるのを知っているから、隙があればそんなことをしている。
教壇に戻った教師が「正解だ」とうなるように声をあげたのを聞いて、10代目の笑みが深くなった。
「やったね、獄寺君」
こっそりとそんなことをささやいてくれるから、教師がオレを当てたことにも感謝してしまう。
それくらい、オレの世界は10代目が中心になっていた。
授業が終わって、昼休みに入る。
コンビニで買った昼飯を持って10代目の席まで行く。
「失礼します、10代目」
声をかけてから10代目の前の椅子に座る。
袋からパンを取り出していると、山本もやって来た。
「よー獄寺、さっきは災難だったな」
ずるずると近くの椅子を引きずってそんなことを言う。
さっきといえば社会の時間に当てられたことだろうか。
「別に」
それだけ答えてペットボトルのふたを開ける。
開けてすぐに口をつけたところで、10代目がこちらを見た。
「でもほんとすごいよね、獄寺くんは。教科書見なくても書けるんだもん!」
「っ、あ、ありがとうございます!」
慌ててペットボトルを口から離して、お辞儀をする。
自分では何でもないことだと思っていても、10代目から誉められるとすごく嬉しい。
「何だよその態度の差はー」
「うるさい黙れ」
せっかくのいい雰囲気をぶち壊すから、オレはコイツが嫌いだ。
騒がしく始まった昼食は、そのままの騒がしさを保ちつつ、進む。
山本の話に10代目が顔を上げて笑った時、髪の毛に糸くずがついているのが見えた。
「ん?おい、ツナ。髪の毛に何かついてんぞ」
その言葉に10代目は持っていた箸を置いて、髪の毛を触る。
でもそれとはまったく逆の位置で、糸くずは落ちる気配を見せない。
「そっちじゃねーよ」
山本が笑って手を伸ばそうとするから、それよりも早く手を伸ばした。
「オレが取りますね」
糸くずを取る時に一瞬、髪の毛に触れる。
その感触の心地よさにずっと触れていたくなるが、名残惜しさを振り切って手を離す。
「どっかから飛んできたんでしょうかね?」
ほら、と取ったものを見せてから、コンビニの袋の中に捨てる。
オレが触れた辺りをなでながら、10代目が「ありがとう」と言ってくれた。
こちらも「どういたしまして」と返してにっこり微笑むと、
隣に座っている山本がニヤニヤと虫の好かない顔でこっちを見ている。
そっちに向かって睨みを利かせると、背後から声が聞こえた。
「沢田ー、担任がお前のこと探してたぞ」
「あ!そうだ。日誌取りに来いって言われてたんだ!」
弁当箱に残っていたごはんを口の中に放り込んで、弁当箱を入っていた布に包み直す。
このクラスでは昼休みまでに日誌を取りに行かないと、次の日も日番をさせられるらしい。
昼休みは残り5分。10代目が慌てるのもうなずける。
「教えてくれてありがとう、助かったよ」
「いや、オレも職員室行ったついでだし」
そんな風に会話している二人を見てむかむかする。
さっきまで自分が映っていた10代目の目に、自分以外の誰かが映っている。
そのことが無性に腹立たしく思えて、強引に二人の会話に割り込んだ。
「10代目、急がないと昼休み終わっちまいますよ」
「あっ!ほんとだ!」
「黒板は、オレが消しておきますから」
「ありがとう!すごく助かる!」
そう言って、弁当箱を机の上に置いたまま、教室の外へと走って行った。
10代目の姿が見えなくなるまで見送った後、
パンの袋や空になったペットボトルをコンビニの袋に詰め込んで席を立った。
教室の前に行って袋をごみ箱に捨て、黒板消しを手に取る。
さっきの教師が大量に書き残した白い粉を無言で消していく。
「オレも行きます、とか言わねーんだ?」
さっきから後ろについてきていた山本がやっと口を開く。
正直、うっとうしい。
無言でついてまわったり、自分が気にしていることを的確に言い当てるこいつが。
無視を決め込んで黒板消しに専念していると、山本も黒板消しを取って上の方の消し残しを消していった。
何だかそれが、オレと10代目の仲を裂く行為に思えて腹が立つ。
「手ぇ出すなよ」
「何だ?せっかく手伝ってやってんのに」
「頼んでねーよ」
山本に消すところを与えないように、上の方も手を伸ばして消していく。
オレの様子を見てやれやれとでも言いたそうな顔で黒板消しを置いた。
「なー、何でついて行かなかったんだ?」
自分の席には戻らずに、さっきと同じ疑問をぶつけてくる。
答えるまで繰り返しそうな雰囲気にうんざりして、重い口を開いた。
「10代目が職員室にはついてくんなって言ったんだよ」
黒板に向かって吐き捨てるように言ったのに、ちゃんと聞こえていたようで。
くっくっくっ、と笑い声が聞こえる。
こういう反応が返ってくるのが分かっていたから言いたくなかったんだ。
チッとひとつ舌打ちをすると、ごめんごめんとあまり謝る気のない声で言ってくる。
「でもさ」
ぽつり、とさっきとトーンの違う声が落ちる。
「そんなに気になるんなら、命令無視してついてきゃいーのに」
「っ・・・!」
そんなこと、できるものならとっくにしている。
10代目が行くところにはどこへでもお供したいっていうのが本音だ。
だけど、10代目が言ったんだ。
「職員室にはついてこないで」って。
それがご自身が目をつけられるのを避けるためか、オレのためか、
それともその両方なのかは分からないが、10代目の言葉を無視することはできない。
だからといってオレが離れている間に10代目に何かあったらと思うと、胃がむかむかしてしょうがなかった。
胸にたまったものを吐き出すように、さっきの時間にオレが書いた文字を粉を散らしながら乱暴に消した。
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