単調な授業に飽きてあくびを噛み殺しているところで教師が10代目の名前を呼んだ。
ぴくり、と反応して顔を上げれば、教師は10代目の席へ視線を向けて、教科書を読むように指示をした。
10代目に指図するなんて100年早い、とは思うけれど、
確かにクラスの代表として教科書を読み上げるのは、10代目に相応しい偉業だとも思う。
さてどうしようか、と考えている間に10代目の返事が聞こえ、背後からイスを下げて立ち上がる音がする。
ケンジの文章を10代目が、トムの文章を教師が読むという提案に10代目が頷いた。
10代目がそれを承諾したのならオレが言うことはない。
「Do you play baseball?」
「イエス、あいドゥー」
「When do you play baseball?」
「あい、ぷれい、ベースボール、えぶり サンデー」
背後から聞こえてくるとても魅力的な声に耳を傾ける。
途中で何度もつまずいたり詰まったりするけれど、オレはうっとりとその声に聞き惚れた。
「l」と「r」の発音が分けれていないのもかわいい。
たどたどしい口調に必死で教科書の文章を目で追っている様子が浮かび上がって顔がゆるむ。
「パードゥン?」と語尾を上げる声を聞いて、
「獄寺君?」と上目遣いに見上げてくる表情を連想して、とてもくすぐったい気持ちになって、
ハッと慌てて次々に浮かんでくる妄想を振り払った。
日本人らしく発音は「カタカナ英語」そのものだったが、
声の主の必死さ、一生懸命さが伺えてとても微笑ましい。
それに、以前に比べれば格段に上達している。
つまずくことはあれど、単語が読めないということがないのが何よりの証拠だ。
さすが10代目、日本の誇り、イタリアマフィア界の誇りです!
確実にバイリンガル、いや、トリリンガルへの道を歩んでいらっしゃる。
流暢なイタリア語を使って部下に命令を下す姿を想像し、またふやけてくる顔を引き締めた。
授業中は前を向いていろと10代目に言われたことはちゃんと覚えているけれど。
背もたれに預けていた背を起こし、机にひじをついてこっそりと後ろを伺う。
立ち上がって教科書を持ち、恥ずかしそうに少し頬を染める表情はとてもかわいらしく、
それでも真摯に読み上げる10代目の姿はうっとりするほど素敵だった。
もっと聞いていたいと思ったけれど、たった数行の会話文はすぐに終わりになってしまう。
「よし、なかなかうまく読めたな。座っていいぞ」
「はい」
そそくさと席に着いてイスを引く。
10代目が座るには安っぽいイスが床を引っかいて音を立てた。
大きな仕事をなし終えた10代目は、緊張した面持ちのまま、うつむいている。
しばらくして教師が英文の説明を始め、
カセットデッキからやけに年のいったケンジとトムの声が流れ始めたところで、10代目がようやく顔を上げた。
そろり、と持ち上がった頬はまだ緊張のためか赤く染まっていて、
伺うように辺りに視線を向ける様子はとても愛らしい。
引き締めたはずの口元がまた解けてきそうになって、ぱちりとそこで10代目と目が合った。
10代目ははっと目を見開いて、その目がすぐに恨みがましくオレを睨めつけてきたが、
その表情は明らかに照れ隠しだと見て分かり、オレにとっては好ましいものだった。
口といわず頬といわず、制御不能に陥ったオレの顔はふにゃふにゃと崩壊した。
そんなオレに10代目はますます頬を膨らまして怒った振りをし、人差し指を黒板へ向ける。
前を向け、と言っているんだろう。
口の動きで「はーい」と聞き分けよく返事をし、前を向く。
授業は相変わらず退屈なものだったけれど、残りの時間、オレはずっと上機嫌だった。
4時間目終了のチャイムが響き、教室内はにわかにざわついた。
机に引っ掛けておいたコンビニの袋を持って10代目の机へと向かう。
「10代目、昼メシ食いましょう!」
「うん、食べよ食べよ、腹減ったー」
机に袋を置いて、10代目の前の席のイスをひっくり返し、10代目に向かって座る。
10代目を前にすれば自然と頬がゆるむのをそのままゆるみっぱなしにしていると、
10代目が下から覗き込むように話しかけてくる。
「どしたの獄寺君、なんか機嫌いいね」
「あ、分かります?今日は授業中に10代目のお声が聞けましたから」
オレの返事を聞いた途端、かわいらしく見上げてきていた目が不満げに逸らされた。
机の横に掛けてある鞄から弁当箱と水筒を取り出し、10代目はため息とともに吐き出した。
「あーあ、英語の本読み当たるなんてついてないなー」
「今日はやけに10代目、当てられますよね」
「今日の日付がオレの出席番号なんだよ・・・」
「なるほど」
10代目の出席番号を確認し、今日の日付と照らし合わせると、その言葉の通りぴたりと重なった。
素晴らしい洞察力に関心している前で、10代目はなにやら憂鬱そうだ。
「絶対次の授業も当てられるよ。数学の応用問題とか当たったら無理だ」
「・・・そうですか?10代目なら、答えられると思いますけど」
「・・・ほんとにそう思う?基礎んとこで精一杯、だと思うけどな」
「10代目なら大丈夫です。ここのところ数学の宿題、ほとんどお一人でできるようになってるじゃないですか。
さっきの英語の読みだって、センコーもうまく読めたって言ってたでしょう、
ご自分で思われているよりも、10代目の学力は伸びてますよ」
体の前に置いた弁当箱の左右にひじをつき、
両手の手のひらの上にあごを乗せた体勢で不満そうな顔をされる。
腹が減ったと言いつつ山本が来るのを待っているんだろう。
本当ならほったらかして二人で食べ始めたいところだけど、オレも10代目に倣ってまだ袋に手をつけていない。
「そうかなぁ・・・」
「そうですとも!」
まだ不安そうにしている10代目に力強く返事をすると、
少し疑うように覗き込まれ、そのあとくすくすと小さく笑われてしまう。
それがなんだか恥ずかしかったりもするけれど、10代目が笑ってくれるならそれでいい。
ありがと、と小さく感謝を述べられてなぜだか鼓動が速まっていく。
不思議な高揚感に包まれていると、10代目がもう一度伺うような表情を見せる。
「でもさっき、やっぱなんか変なとこあったんだろ?」
「?何がですか?」
「英語んとき、獄寺君、振り返ってオレのこと見てたじゃん。
読むときなんかおかしかったから見てたんじゃないの?」
「いえ、変なとこなんてありませんでしたよ」
オレは授業中に10代目の声が聞けることが嬉しいばかりだったけれど、
ご自分に対してコンプレックスを持っている10代目には、オレの不躾な視線は居心地が悪かったようだ。
申し訳なく思いながら否定をして、それだけでは納得のいかないらしい10代目に、少しだけ気になったことを伝えた。
「・・・しいて言えば、lとrの発音が混ざってた、ってことくらいでしょうか」
「lとr?」
「はい。lは舌の先を上の歯茎の裏側に当てて、rは口をすぼめて発音すると、うまく発音できますよ」
まぁ、lとrの区別がつかなくたって、文脈から考えれば何を言っているのかくらい分かる。
10代目が無理に発音を直さずとも、周りが10代目の言いたいことを察すればいいだけだ。
それに10代目の隣にはオレがいる。
もし英語圏で活動することがあったとしても、オレが通訳をすれば事足りる。
オレがそんな風に「10代目とできる右腕像」を思い浮かべていると、
前に座った10代目はオレが言ったとおりに発音の練習をし始めた。
「ああ、なんかそれ、前に先生も言ってたかも。舌を歯茎の裏に当てるって、こう・・・?」
小さく口を開けて、ぺろりと赤い舌を覗かせる。
その苺のように艶やかな赤に、どきりとした。
「えっと、これはlの発音だったよね?」
オレの動揺に気付いた様子もなく、10代目が練習に使う単語を選ぶ。
「lだったら・・・play、だよね」
頷くことでかろうじて肯定を示す。
ぎくしゃくとした態度はどうしても直せない。
「・・・pray、play、play・・・」
何度も繰り返し同じ単語を練習する。
lの発音を特に気をつけて、何度も何度も。
小さく開いた唇の隙間から、ちらりちらりと舌が覗く。
舌足らずな発音に、みぞおちが熱くなる感覚。
こんなかわいらしい発音、他のヤツに聞かせるなんてもったいない。
やっぱり10代目は英語なんて話さなくていい。
オレが代わりに通訳をすれば、それで。
ふわふわとのぼせるような頭の中で決定事項を確認していると、
次はrの発音の練習をし始めた10代目の口元に、また大きな衝撃を受ける。
小さくすぼめられた唇に視線を奪われていると、10代目がぶるりと肩を震わせた。
「うう・・・寒ぅ・・・」
10代目の唇から視線をはがし、出入り口へと視線をやれば、扉が少し開いているのが見えた。
廊下からの冷たい隙間風が教室へと入り込んできているのだろう。
ちゃんと閉めなかったヤツは誰だ、10代目に寒い思いをさせやがって。
舌打ちをして扉を閉めてこようと立ち上がりかけたところで、その扉ががらりと開かれた。
やっと教室に戻ってきた山本がへらへらとこちらに手を振っている。
「山本、しっかり閉めてこい!」
怒鳴りつけるように言えば、山本は一瞬きょとんと目を瞬いたあと、
いつもの調子で「おう」と頷いて、隙間がないようにぴたりと扉を閉める。
そのまま自分の席に寄って弁当を拾い、こちらに近づいてくる。
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