10 一本、二本、三本……
 邦楽では、音域を自由に設定できるが、その呼び方も独特である。一本調子、二本調子、三本調子……といった具合だ。一本調子は「ラ」の音を基音とし、数が増えるにしたがって半音ずつ上がっていく。一本から十二本まである。これは洋楽と全く一緒。ピアノの鍵盤も、白黒合わせて12個で1オクターブだ。
 抑揚のない話し方や棒読みのセリフ回しを「一本調子」と言うが、語源はここからきている。最も低い調子で、抑揚もつけにくに事を揶揄しているのだろう。
 三味線は、糸(弦)を張ったり緩めたりして簡単に音程を変えることができるが、篠笛はそういうわけにいかない。竹の太さや長さは動かせない。そこで我々は、長さの異なる複数の笛を用意する必要がある。一本調子から十二本調子に対応できる12種類の長さの違った笛が必要になる。
 しかしまだ充分ではない。困ったことに、三味線の糸(絹糸)は、微妙に延び縮みするのだ。演奏中に糸の張り具合が微妙に変わるので、奏者は常に3本の糸の相互調弦に気をつかっている。それに対してこちら(篠笛奏者)も対応を迫られるのだが、微妙なズレに対応するには、半音間隔の笛では窮屈な吹き方を強いられる。そのため、半音をさらに4分割することによって笛の数を増やし、対応しやすくしている。結局30本以上の篠笛をいつも用意することになる。
邦楽譜
 邦楽の中でもメロディー楽器(三味線や篠笛)の譜面は、洋楽の五線譜とは違った表記方法をとっている。我々が義務教育で慣れ親しんだ五線譜は、音の高低と音の長さを表示している。これに対して邦楽譜は、楽器上のポシションと音の長さを表示している。
 具体的には、俗に言うオタマジャクシは五線譜上で「ド」とか「ミ」というように、音の高さを表示している。ところが邦楽譜では、流派によって、「イ、ロ、ハ」や「1,2,3」などの違いはあるが、それらはすべて楽器上のどこに指を置くかという場所を表している。つまり、「イ、ロ、ハ」や「1,2,3」はどんな音程であっても良いのだ。譜面通り手順が合っていれば問題はない。
 洋楽の場合、楽譜上において、その曲がどの音から始まるかは明記されている。例えば、「ミ」の音で始まって次が「ソ」の音、という具合に音の高低を追って演奏する。
 邦楽にはその習慣はない。始めの音が「ミ」であっても「ソ」であっても構わない。譜面上に指示されていないのだ。とにかく手順だけを追って演奏する。どの音域を使っても構わない。
 これは、いい加減な様に感じるが、ある意味で合理的かもしれない。その時の唄い手の得意な音域に自由に移調しても良いのだから、無理のないやり方だ。声の高い人は、高い音域で唄えば良いし、声の低い人は、音域を下げれば良い。三味線は、糸(弦)を張ったり緩めたりするだけの単純な楽器なので、この作業が簡単にできる。無理なく自分好みの音域に調整できるわけだ。カラオケボックスの機械のようだ。
篠笛の調律
 能管は、発生当初から打楽器のリズムに合わせる笛だったため、音律を気にする必要がなかった。したがって、一管ごとに音律が異なっている。
 これに対して篠笛は、三味線のメロディーに合わせる楽器である。基本的には三味線の旋律をなぞって演奏する。当然、調律が必要になる。
 篠笛の調律で難しいのは、素材が竹だという事。一本一本太さや肉厚が異なるため、機械による一定規格の生産ができない。すべての行程が手作業で、経験と勘を頼りに作られる。笛師の腕の見せ所である。微妙な調整が必要なため、笛師自身も良い吹き手でなければならない。
 現在の様な調律が行われる様になったのは、ごく最近のようだ。戦後の古い録音を聞いていると、篠笛の完成度の低さがうかがえる。調律が不十分である。長唄の人に聞いた話だが、昔の長唄さんは、笛を聞かないようにして唄っていたらしい。それほど調子はずれな音を出していたのだろう。今ではこんな事は許されない。
「中座」の思い出
 前回、私が邦楽の世界に入ったいきさつを書いたが、今回は道頓堀の「中座」の思い出を書く。
 大学時代に歌舞伎ファンになった私は、あちこちの劇場に頻繁に通った。中座、新歌舞伎座、南座と関西の劇場はもちろん、東京の歌舞伎座へも行くようになった。中座は、松竹新喜劇のホームグラウンドだったため庶民派のイメージ。南座は、伝統の厚みを感じさせる劇場。新歌舞伎座は、ちょっと気取った感じで、スライド式の舞台が珍しい。東京の歌舞伎座は、まさに聖地の趣き。
 プロになって始めて歌舞伎の仕事をいただいたのが、中座だった。「敵討天下茶屋聚」という中村勘九郎さん主演のお芝居。楽屋入りする時に、プロになった実感が湧いてきてワクワク、ドキドキ。楽屋や廊下はとても古くて汚かったが、それがまた何となく嬉しい。田中流の同年代の人とも友達になれた。ロビーのおでん屋のおっちゃんとも親しくなれた。あっという間の楽しい1ヵ月だった。
 その後何度か仕事をさせていただき、始めて出囃子を担当したのが、「馬盗人」という長唄。板東八十助(現:三津五郎)、中村翫雀、市川染五郎共演の豪華な顔ぶれ。初日の幕が開く時はとても緊張した。「夢の世界」だった中座の舞台に並んでいると思うと、感無量。なんとも言えない幸福感で、胸がいっぱいになった。
 その中座も今は閉館され、舞台に立つことはできない。非常に寂しい限りだ。将来は立て替えて新しいビルになるのだろうが、それまでは前を通るたびに懐かしい思い出が蘇ってくるだろう。
「笛方」と「笛師」
 私の職業名は、「笛方」(ふえかた)と言う。一般的には横笛奏者で良いのだが、伝統的な名称は「笛方」である。これは、能からきている。能では、「〜〜方」という言い方をよく使う。シテ方、囃子方、小鼓方、等々。現代語でも、「方」というのは「人」という意味で用いられるので頷ける。
 これに対して、笛を作る職人さんは、「笛師」(ふえし)と呼ばれる。新田次郎の小説にも「笛師」というタイトルの作品があり、能管職人が出てくる。
 横笛奏者よりも「笛方」、笛屋さんよりも「笛師」の方がなんだかカッコイー。
ご意見はこちらまで
よもやま話
よもやま話
このページは、私が思っている事や考えている事をテーマを定めずに書いています。
邦楽に関する事を書くつもりですが、何事にも例外は付き物です。
何でもありの雑感コーナーです。