夕日がせなかをおしてくる

 東京書籍『新しい国語 三上』の2学期始めに出てくる詩です。

 字の文と一字下げの呼びかけの部分を変えて、元気に音読できればいいんじゃないか、という詩です。
 深くつっこむなら、次の二つでしょう。
「夕日といったり、太陽といったりしてる違いは何ですか。」
「各連の最後の一文は、結局何が言いたいのですか。」
 夕日とは「夕方の太陽」のことです。最初の夕日には、情景描写の役割があります。あとリズムです。「夕日がせなかをおしてくる」は、4・4・5のリズム。太陽に変えると「太陽せなかをおしてくる」となります。「さよなら 太陽」は「さよなら 夕日よ」になります。
 リズムでいえば、各連とも、次のリズムになってます。

4 4 5
4 4 5
7 5
7 5
4 4
4 4
6 5
6 5

 七・五だけのリズムではないので、明治・大正期以降の西洋の影響を受けた詩である現代詩ということになります。
 夕日と太陽の違いは、各連の最後の一文「あしたの朝ねすごすな」と関係しています。
 ぼくらが朝ねすごしたら、どうなるか。
 太陽が朝ねすごしたら、どうなるか。
 この二つを考えれば、いいのです。ぼくらが、朝ねすごしたら、朝日(朝の太陽)には会えません。
 太陽が朝ねすごしたら、これは曇りか雨で太陽が見えないということです。
「お互いねすごさずに、朝にまた会おう」という意味が込められてるのです。
 要するに、英語でいえば、「See you again」です。
 ぼくらは、太陽の下で、朝から夕方まで、元気で遊んでいたわけです。
 友だちの家で遊んだわけでなく、外で元気に遊んでいたと、この詩からは推測できるわけです。
 となると、今は夏休みか、土日の休みの日か、となります。
 明日も朝から会おうなら、土曜日もしくは夏休みと考えてもいいでしょう。
 まあ、そこまでは言い切れないのですがね。

(2012.8.24)