周辺的知識の不足

  6年理科の最終単元「自然とともに生きる」を1時間で授業しました。
教科書の文字の部分を連れ読みで音読。男の子のふきだしは男の子だけ、女の子のふきだしは女の子だけで読ませる、という変化もつけながら、あっという間に音読終了。(それだけ、文字数が少ないです。まるで写真集です。)

 次に、右のプリントを配って、問題作りをさせました。
「今度のテストは、この絵から問題が出されます。問題を1つ作ったら持ってき なさい。」
 問題と答えをセットで書かせます。
「答え分かりません。」という声が多いので、
「分からない時は、分かりませんと書きなさい。」と言っておきました。
 1問目と5問目で持ってこさせ、5問書けた子に、問題だけを板書させました。
 板書が出揃ったところで、班の中で、問題の出し合いをさせました。
 次に、板書された問題をさせていったのです。
 板書した子が立って、問題を読み上げます。
「水田とは何か。」
 他の子は手をあげて答えます。手が上がってなかったら、問題作成者は誰でも当てていいことにしました。
 この授業で驚いたことは、子どもがいろんなことを知らないことです。
 水田で何を育てているのか知りません。
 浄水場と下水処理場の違いが分かりません。
 ダムが何のためにあるのかも知りません。
 そのことは、子どもの今日学んだことを読むと、よく分かります。

 今日は自然のことを勉強しました。下水しょり場はなぜあるのか、はきたない水をきれいにしてじょう水場にいってさいしゅうてきには、家の水道となってでてくると分かった。川の水はどのようなところからくるでしょうは海です。今日は自分がしらなかったことなどなどを知っておどろきました。今日はすごくたのしい勉強をしておもしろかったです。(廣田)

 廣田さんは、けっこう賢い子です。他の賢い子たちも、水田や浄水場のことなどを知りませんでした。
 そして、それを知ったことを喜んでいました。
 こういう周辺的なことを意外と知らない事実を知って、拡散的発問の必要性を強く感じた次第です。 

(2006.3.1)