理解できないのが当たり前

 東田直樹『続・自閉症の僕が跳びはねる理由~会話のできない高校生がたどる心の軌跡~』(2014,9㈱エスコアール)は、短い質問に、東田さんが答える形で書かれています。

24 こだわりはやめられませんか?
 こだわりは、とても辛いものです。
「こだわりを好きでやっている」と思っている人がいるなら大間違いです。(中略)
 僕は、いつもこだわりと必死で闘っています。にもかかわらず、それをやるのが好きだと言ったり、迷惑をかけているのもわからないと非難したり、ひどい罰を与えたりするなど、追い討ちをかけるようなことはしないで欲しいのです。

 やりたくないのにやってしまうのが「こだわり行動」なのです。
 やっている本人は、その行動を止めようと闘っている、ということに、私たちは気付けないわけです。目に見える行為のみに反応してしまうわけです。

31 すぐに行動できないのはなぜですか?
 指示されたことをすぐにやりたいと思ってはいますが、指示された行動をイメージしないと自分の行動に結びつきません。どうやればそれができるのかがわからず、すぐに体を動かすことができないのです。動くために、自分の中で成功体験として残っている記憶をイメージします。そのイメージを頼りに、どう動けばいいのか思い出そうとするのです。

 指示したあと、固まってしまう子がいます。
 教師としては、指示にサッと反応して行動してほしい、と思ってますが、そういかない子はいるのです。
 そんな場合は、見本を示す必要があるのでしょう。
 その見本が、行動へのイメージとなるのです。
 また、成功体験を積ませることで、いろんな行動を取れるようになっていくのでしょう。

34 お手伝いはできますか?
 時間に縛られるのは苦手ですが、自分が納得した決まり事をするのは嫌ではありません。
 残念ながら僕は、人が困っているのを見ても自分から手伝うことはできません。それは、その人のために何をしてあげればいいのか、思い付かないからです。だからといって、お手伝いが嫌いなわけではありません。むしろ人の役に立ちたいと、いつも願っています。ですから、日課としてお手伝いを入れてもらえると、自分の役割がはっきりして嬉しいです。

 人の役に立ちたくても、何をしていいか分からないわけです。1人1当番のようなお手伝いを与えることは、人の役に立つチャンスを与えることにつながりそうです。お手伝いなんて嫌いなんだとか、できないんだとか、決めつけてしまわないようにしないといけないですね。

44 笑い出すのは気持ちが楽しいときですか?
 問題は、悲しくてどうしようもないときにも笑い出すことです。おかしいと思われるかも知れませんが、辛いのに笑い出してしまいます。なぜ怒られているのか不満に思うことが多い中で、怒られている状況が自分でもよくわかったとき、ついそれが嬉しくて笑い出してしまうのです。

 こちらが怒っているときに、その対象が笑い出したら、余計、腹が立つのが普通です。でも、そんなときに笑うのは、別の意味があるんだ、と考えないといけないのです。自分には理解できない行動であるなら、自分なりの解釈はすでに当てにならないということなのですから。

53 目で見てわかりやすい環境づくりは大切ですか?
 目で見てわかりやすい環境づくりは、視覚優位な自閉症の人にとっては動きやすいと思います。(中略)
 第一、僕はロボットではありません。どうせ説明してもわからないと思われることは、説明している内容が理解できるかどうか、ということ以上に傷つくのです。

 どうせ理解できないだろう、どうせできないだろう。そう決めつけて、その人に接してしまえば、その人はそう思われてることで傷つく場合があるのです。
 相手の立場になることは、難しいことです。むしろ、相手を理解できてないことを前提に、理解していく努力をしていくべきなのでしょうね。

(2015.6.4)