言葉を知らないと話は長くなる

 齋藤孝『学校では教えてくれない日本語の授業』(2014.9PHP)の中に、「私たちは同音異義語を頭の中で変換している」という項目がありました。

 テレビのニュース番組を、画面を見ないで耳だけで聞いていることはよくありますが、そういうときに、例えば、「ティーピーピーこうしょうがさいかいされました」と言われれば即座に頭の中で「TPP交渉が再開されました」と変換しています。このとき「こうしょう」を「校章」や「考証」だと思う人はまずいません。でも、「交渉」という漢字を知らない子供は、この変換が行えず、自分の知っている言葉の中から当てはまるものを選ぶので、「こうしょうって、学校のバッジのこと?」と聞くかもしれません。

 聞いている言葉を漢字仮名交じり文に変換している意識は、私にもありました。 言葉を聞いているときに、頭の中に漢字がパッとパッと閃いているのです。

日本人の多くが活字力を失うと、ニュースにおいても『交渉を再開する』ではなく、『交渉をもう一度始める』といった言葉遣いがされるようになっていくのかもしれません。ニュースなどでは時間が限られているので、やさしい言葉に置き換えられれば置き換えられるほど、一つのことを説明するのに多くの簡単な言葉が費やされるようになり、話は長くなるのに内容はどんどん薄くなるということになるでしょう。

 そんな危機的状況は、すぐそばまで迫っている気がします。

(2016.4.22)