獄寺君が学校を休んだ次の日、玄関のドアを開けると獄寺君が立っていた。

「あ。おはよう、獄寺君」
「・・・お、おはようございます、10代目」

ふにゃ、とやわらかく笑う獄寺君の口から吐き出された息はすぐに白くなる。
すっかり寒くなってきた。

「もう体は大丈夫なの?」
「はい、すっかりよくなりました。ご心配おかけしてすみません」
「ううん、獄寺君が元気になったんなら、それでいいんだよ」

ドアを閉めて獄寺君に向き直る。
よく見れば冷たい空気にさらされた獄寺君の鼻は赤くなってしまっている。
口元まで覆いそうなふかふかのマフラーを見ていると、すっかり冬なんだな、と思う。
はぁ、と吐いた自分の息も白くなっていることに気付き、獄寺君にならってマフラーを口元まで引き上げた。

「獄寺君、もしよかったらなんだけど、学校着いてから昨日のプリントの答え合わせしてくれない?」

歩きながら、隣の獄寺君を見上げてお伺いする。
まっすぐに前を向いていた綺麗な瞳が一度揺れて、それからこっちに向いて、オレを映した。

「ええ、いいですよ」
「ほんと?ありがとう!一応最後までやってみたんだけどさ、合ってるのかどうか自分でも分からなくて」
「最後とその前の問題がややこしかったんじゃないですか?」
「そうそう、どっちにどの公式使えばいいのか分かんなくて」
「学校着いたら答え合わせしましょうね」
「うん」

獄寺君の言葉に嬉しくなった。
オレがどの問題でつまずいているのか分かってくれてる。
それって昨日オレが持っていったプリントに目を通してくれたってことだ。
勝手に持っていったものだけど、めんどくさがらずに受け取ってくれてたんだ。
そのことが嬉しくて、マフラーに包まれた頬が熱くなる。
吐く息もいっそう白くなって体温が上がっているのが分かる。
ほかほかして熱いくらいのほっぺたから、熱を散らすように顔を上げる。
まっすぐに前を向いた獄寺君の綺麗な横顔と、綺麗な瞳。
その横顔にぼんやりと見惚れそうになって慌てて首を振る。
顔が熱い、息が白い。
マフラーから顔を出して、熱を冷ます。
その動作のあとに、もう一度こっそりと獄寺君の横顔を伺った。
吐き出される息は白くて、冷たい空気にさらされた鼻は赤くて、澄んだ瞳はオレを映すことなく前を向いていて。
いつもならオレが獄寺君を見れば、それに気付いてすぐに振り返ってやわらかく微笑んでくれるのに、今日はずっと前を向いている。
優しくされることに慣れてしまったからか、たったそれだけのことで寂しくなってしまう。
昨日は獄寺君が学校を休んで寂しくて、今は隣にいてもこっちを見てくれないから寂しくて。
誰からも相手にされなかったときとはまた違う、妙な息苦しさに胸を詰まらせる。
獄寺君だっていつもいつもオレを見てるわけじゃない。それは分かってる。だけど、
その力強い瞳に自分が映っていないだけでこんなにも心細くなってしまうなんて、思いもしなかった。



******



やっぱり今日の獄寺君は、なんだか様子がおかしい気がする。

「すみません、まだ食欲ないんで山本と二人で食っててください」

にこ、といつもより少しつらそうな笑顔で言う。
昨日の今日だし、まだ無理をしているのかもしれない。

「大丈夫?保健室行くならついてくよ」
「いえ、一人で大丈夫ですから」

立ち上がろうとしてイスを下げたとき、やんわりと断られた。

「お気遣いありがとうございます」

どこか苦しそうな表情。
それでも笑顔で断られてしまえば、それ以上は食い下がることもできない。
軽く頭を下げてから教室を出て行く獄寺君の後姿を眺めながら、
少し下げたイスを元の位置に引き寄せた。

「なんか獄寺君、今日変じゃない?」

コンビニの袋を提げてやってきた山本を見上げて話しかける。
袋を机の上に置いて前のイスに座りながら、山本は獄寺君が出て行ったドアに目をやった。

「うーん、変っていうか、無理してる感じはあるな」

首を捻ってオレに向き直り、にかっと健康的な笑顔を向けられる。
山本の言葉を頭の中でくるくると回して、ひとつの答えを出す。

「やっぱ風邪が治ってないのかなぁ」

思えば昨日からあんな感じだったような気がする。
学校を休むというのにオレに連絡もくれなかったし、
家まで行ったのに顔も見せてくれなかった。
普段ならそんなこと絶対にないはずなのに、
たぶんそれって、オレに気を遣う余裕がないほど疲れてたってことだ。

今朝学校に着いてからプリントの答え合わせをしていたときも、
プリントから顔を上げて獄寺君を見ると、
いつもなら目が合って「質問ですか?」って笑って言ってくれるのに、
今日はつらそうな顔をして窓の外を眺めていた。
そんな獄寺君を見ていると、オレは苦しくなって、呼びかけることもできなくて、
獄寺君がオレに気付いて振り向いてくれるまで、
ペンを走らせることもできずにただただ獄寺君の横顔を見つめていた。

まだ風邪が治りきってなくて、しんどいのかもしれない。
ほんとなら学校なんて休んでゆっくり家で寝てたいのかもしれない。
だけどいつもオレのこと守るとか言ってくれてるから、無理をして学校に来たのかもしれない。
オレの、右腕だなんて自分で勝手に決めて。
オレが昨日、また明日学校で、なんて言ったから、それを気にして無理をしているのかもしれない。

「獄寺って風邪だったのか?」

不意にかけられた山本の声に、箸でつつきすぎて穴だらけになったごはんから顔を上げる。
山本はいつものように大きな口を開けてパンに噛り付きながらオレのことを見ていた。

「え?うん、昨日家に行ったら風邪だって言われたよ」
「ふーん?」

牛乳パックを手に取ってストローを銜え、中身を吸いながら視線を上げる。

「何か知ってるの?」

そんな言葉が口をついて出た。
確信とか証拠とか、そんなものがあったわけじゃない。
だけど山本がこうやって何か考える素振りをみせるときは、オレが気の付いていない何かを知っているときなんだ。
箸をごはんに刺したまま、山本を見つめる。

「んー」

さまよわせていた視線を戻し、オレの目を捉える。
普段は明るい表情の山本だけど、視線の強さは獄寺君と張り合えるくらいに強い。
その視線に怯みそうになりながらも、それでも踏ん張って目を見つめ返した。

「別に本人に聞いたわけじゃないけどさ、あいつ、体調が悪いって感じには見えなかったぜ」

山本の目に視線を合わせながらその言葉の意味を考えた。
体調が悪い感じではない。
今朝からの獄寺君の様子を思い出して、いつもと違うと感じたことを思い浮かべる。
笑顔が少し無理をしているように感じたこと、つらそうにして、オレから目を逸らすような素振りを見せたこと。
確かに、体調が悪いのだとしたら、ビアンキを見て青ざめるように、熱を出して赤くなるように、
腹痛なんかの症状や、顔色の変化が現れるはずだ。
そんな様子は見られずに、ただ、何かに苦しんでいるような表情。
そこまで考えて、ふと思い当たることがあった。

「もしかして」

もしかして、おとといの告白に、獄寺君は気づいていた・・・?
そうだとしたら納得がいく。
オレから目を逸らしたり、無理に笑顔を作っていたり。
これまでの関係を壊さないように、気づかない振りをしているんじゃないだろうか?
ボスと部下の関係を壊さないように、オレの告白に気づかない振りをして、
わざとあんな風に返事をしたんじゃないだろうか。
・・・だとしたら、オレはなんて馬鹿なことを言ってしまったんだろう。
獄寺君が優しいからって、勘違いして、迷惑なことを言ってしまった。
それなのに獄寺君は優しいから、オレを傷つけないようにふるまって、
そして自分が苦しい思いをしている。
なんて自分勝手なことをしてしまったんだろう。
ごはんをつついていた手が止まる。
視界には無残に穴の開いたごはんが映っている。
だけど目に映しているだけで、それをきちんとは見ていない。
なんてことをしてしまったんだろう、後悔や恥ずかしさで頭がいっぱいになって、顔も上げられない。


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