「あのね、獄寺君」

姿の見えない獄寺君に呼びかける。
オレのことを見ていなくても、声を聞いてくれるように。

「昨日と今日と、獄寺君の様子が気になるんだ。なんか、いつもと違う気がして」

一言一言、慎重に口に乗せる。
口にした言葉が、間違って伝わったりしないように。

「オレの勘違いだったらごめんね。でも、もしかして、おとといオレが言ったことが関係してたりする?」

カーテンの向こうの様子を窺いながら話していると、ぴくりとベッドの上で身じろぎする気配がした。
そうなのかな。予想が当たっていそうなことに複雑な気分になる。

「もしそうなんだったら、気を使わなくていいよ。オレは獄寺君を苦しめたくて言ったんじゃないんだから。
ただ、オレの気持ちを伝えたかっただけで。ほんと、無理にオレに合わせてくれなくても・・・」

ああ駄目だ。やっぱりダメツナだ。
はじめの意気込みはどうしたんだってくらい、
どんどん後ろ向きになって言葉も切れ切れで、声まで小さくなってくる。
山本の言うとおり、言いたいこと、言えてない。
こんなことが言いたいわけじゃないのに、でも。
衣擦れの音さえ響くような静かな空間で、長い沈黙のあと、小さな声が耳に届いた。

「駄目なんです」

ぽつりと聞こえてきたのはそんな言葉。
自分の考えを言い当てられたようでびくりと心臓が竦む。
いつの間にかうつむいていた顔を上げて、カーテンの向こうの獄寺君に意識を向ける。

「10代目のお気持ちは嬉しく思います」

小さな声は拾いにくいけれど、その響きは硬く、アンバランスに思える。
弱弱しいようで、ゆるぎない強さも持ち合わせた声。
この声の調子は獄寺君の心の中をあらわしているんだろうか。

「10代目が悪いんじゃありません。悪いのはオレで、」

獄寺君は何の話をしてるんだろう。
オレの気持ちが嬉しいのに、獄寺君が悪い?
それがこの前の告白についての話なら、オレは断られているんだろうか。

「オレが駄目なんです」

自分のことばかりを悪く言う獄寺君にもどかしさを感じる。
いったい何が駄目だっていうんだ?
分からない。だけど、今オレは獄寺君の考えてることを知るためにここに来たんだ。
こんな風に薄いカーテンに阻まれて、何も分からないままでいることなんてできない。
ずっと握り締めていて皺のついてしまったカーテンを横に引く。

「獄寺君」

やっぱり、顔を見て話さないと、分からないよ。

「入ってこないでください」

カーテンの隙間から見えた獄寺君の顔は、泣きそうに歪んでいて。
吐き出された声は苦しさを形にしたような音をして。
それを見て、聞いて、放っておけるほどオレは無関心ではいられなかった。

「入るよ」

カーテンで区切られた中に体を滑り込ませ、後ろ手にカーテンを元通りの状態に戻す。
窓に付けられた白いカーテンで光を遮られ、ベッドの周りもカーテンで区切られている。
床も、ベッドも、シーツも、全部白い。
その真っ白な空間に、オレと獄寺君は二人きりだ。

「駄目です、10代目。ほんとに、それ以上は」

足を動かしてベッドに座る獄寺君に近づく。
近づけば近づいた分、獄寺君は奥へと逃げてしまう。
つらそうな顔を伏せるようにして背中を向ける獄寺君に手を伸ばす。
できるだけ驚かせないように、紺色のベストをそっと摘んだ。
指先に、あたたかい獄寺君の体温が伝わる。
白い空間に浮かび上がる紺色のベストは、獄寺君がここにいることをしっかりとオレに教えてくれた。
それ以上は逃げられないことを確認して、獄寺君の隣に腰掛ける。
ベストを摘んだ指は、まだそのまま。
もう少しだけ獄寺君のぬくもりを感じていたかった。

「オレが獄寺君に好きって言ったこと?それなら獄寺君じゃなくてオレがダメなんだよ。
獄寺君が優しいから、オレが勝手に・・・」
「違うんです。10代目じゃありません。オレが、悪いんです。
10代目はそんな風に言ったんじゃないって分かってます。
勘違いしてしまうオレが悪いんです。10代目相手に、こんな・・・」

途中で飲み込んだ言葉はか細く頼りない。
話の流れから考えれば、獄寺君の様子がおかしいのは、やっぱりオレの告白のせいなんだろう。
なのにオレじゃなくて獄寺君が悪い?
獄寺君は自分のことを責めているようだけど、いったい何が悪いのか、オレにはよく分からない。
ベストを摘んだ指を離し、その広い背中に手のひらを添える。
それに反応してもう一度大きく震える背中を見ながら獄寺君の体温を感じ取る。
手のひらから伝わる獄寺君の体温のように、オレの体温も獄寺君に伝わっているだろうか。
オレは獄寺君が好きなだけだ。苦しませたいわけじゃない。

「やめてください、10代目」

拒絶するような言葉に指先が震える。
こんな風に触ったりするのは、いやだったのだろうか。
手のひらを離そうとしたところで、獄寺君の体が小さく震えているのに気付く。
ほんの少しだけ浮いた手のひらを、もう一度背中に添えた。

「・・・獄寺君?」
「そんな風にされると勘違いしてしまいます」

そういえばさっきもそんなことを言っていた。
獄寺君はいったい何を勘違いしているというんだろう。
手のひらを添えたまま、視線を背中から顔に移動させたけれど、
向こうを向いた顔は下を向いていて表情は分からない。

「10代目がオレに優しくしてくださるのも、単に部下に対する配慮だってことは分かってるんです。
おとといの、オレのことを好きだって言ってくださったのだって、部下として、信頼してくださってる、ってことなのに、
自分の都合のいいように取ってしまう。違うって分かってるのに期待して・・・。
だけど、明日にはきちんと今までどおり部下として振舞います。
ですから、10代目。どうか今日だけは一人にさせてくれませんか」

苦しそうに言葉を吐き出した獄寺君を唖然と見つめる。
獄寺君は何を言ってるんだ?
部下として?オレはそんなこと一言も言ってない。
オレの精一杯の告白は、気づかない振りなんじゃなくて、やっぱり伝わってなかったってこと?
驚きで満ちた頭の中に、徐々に別の感情があふれてくる。
それに、何だって?今までどおり、部下として、って。
オレはそんな風に獄寺君が好きなわけじゃない。
そんな距離を置いた関係なんて望んでない。
オレの手は無意識に紺色のベストを掴んでいた。
引っ張られて獄寺君が苦しいかも、なんて考えている余裕はなかった。

「獄寺君、それ、どういうこと?」

思わずこぼれた声は自分のものかと思うほどに硬い。

今までどおり、部下として、なんて。
特別な意味での好きどころか、友達の好きでさえも思ってもらえていなかったなんて。
獄寺君にとってオレは、本当に10代目でしかなかったんだ。
優しくしてくれたのも、気遣ってくれたのも、全部、10代目だから。
こんな風に好きなのは、オレばっかりだったんだ。
ベストを掴んだ指に力がこもる。
気を張っていないとみっともない声を出してしまいそうだ。

「10代目、オレは・・・」

目の前の背中が身じろぎする。
ベッドのスプリングがきしりと音を立てた。

「聡明な10代目ならもう気づいているのかもしれませんが・・・」

獄寺君の声に視線を背中から後頭部へと移す。
オレからじゃ獄寺君の表情は見えない。

「オレは、十代目に対して、部下としてあるまじき感情を持っています。
ですが明日からはきちんと部下として務めます。だからどうか、今日だけは許してください」
「・・・・・あるまじき、感情・・・?」

獄寺君の言葉に頭の中が混乱する。
それまでの流れとまったく違う言葉が出てきて、
ただでさえ出来の悪い頭では、それをすぐに処理することができない。
だけど、ゆっくりと獄寺君の言葉をつなぎ合わせていくと、

「友達として好きでいてくれるのに、部下としてふるまう、ってこと?」

自分の中で出た答えを口にする。
そうだとしたら、あんまりじゃないか。
オレは獄寺君のこと、部下だなんて思ってないっていつも言ってるのに。
ベストを掴む手にさらに力が入る。

「・・・友達として、以上に、あなたをお慕いしています」


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