部屋について少しすると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
はい、と10代目が返事してから間もなくドアが開く。
「失礼致します。沢田様、お食事をお持ち致しました」
「あ、はい、ありがとうございます・・・」
緊張の面持ちの10代目をにこにこ見ながら食事が並ぶのを待つ。
テーブルの上には温泉にはつき物のかに鍋が用意される。
大きいかにが一匹どんと浸かっていて、その周りには山菜がたくさん入っている。
この旅館は山の中にあるので、新鮮でおいしい山菜がたくさん取れるそうだ。
鍋の周りには様々な種類の刺身が盛られた皿が置かれる。
魚介類はどこだかの契約してる漁船から直送で送られてくるそうで、
山の中でも新鮮な魚介類を味わえる、というのも売りなんだそうだ。
従業員は料理を並べ終わると簡単な説明をしながらハサミを使ってかにを解体していく。
綺麗に足をちぎり甲羅を割ったかにをまた鍋に浸からせた後、
ここでの仕事を終えた従業員は、しずしずと下がって部屋を出ていく。
従業員が出て行き、ドアがぱたりと閉まるのをなんとなく見守り、
鍋の上にもわもわと立つ湯気を挟んで10代目と目を合わせ、
いただきます、と挨拶してから箸を持つ。
「かにちぎってもらえてよかったね。オレ、できないもん」
「オレもそうですよ」
「二人でやってたら色々大変なことになってただろうね」
「そうでしょうね」
二人で笑いながら鍋をつつく。
鍋の中には白滝や白菜、山菜の他に、つくねや鯛の切り身まで入っているようだ。
「この刺身はマグロですね」
「めちゃくちゃ豪華だね。こんなのが食べられるのも獄寺君のおかげだよ。ほんとありがとう」
「いえ。でも10代目に喜んで頂けて嬉しいです」
自分の前で10代目が笑ってくれている。
うまい料理と一緒に今日感じる何度目かの幸せを噛み締めた。
「あ、紅白始まる。食事中にごめんね」
オレのことなんて気にしなくていいのに律儀にそう言ってテレビの電源をつける。
「やっぱり紅白は見なきゃねー」
10代目のお宅ではお笑いを録画していて、オレの家では格闘技を録画している。
これは、紅白はリアルタイムで見ないといけないという10代目の主張により計画された。
この歌好き、とか懐かしいな、とか言いながら箸を動かし続ける。
二人分にしてはかなりボリュームのある料理だったけれど、何とか食べ終えた。
あっさりした味だったし、うまかったから、すんなりと口に入ったのかもしれない。
箸を置いて満腹の腹を休ませながらテレビの音に耳を傾ける。
テレビはちょうどオレの後ろ側に置いてあって、見ようと思うとちょっと体をひねらなければならない。
半分はテレビを見て、もう半分は10代目を見ていた。
好きな歌がかかると楽しそうに歌う。
その姿を見ながらオレはちょっと嬉しい気分に浸るのだ。
心を許した人の前でじゃないと、あまり歌を歌わないだろう。
オレの前で歌を歌うってことは、オレに心を許してくれてるってことだ。
そういった10代目からのメッセージをちゃんと受け取りつつ、10代目の歌声に耳を澄ませる。
続けて白組が、着物の男を繰り出した。
じゃかじゃかという三味線の独特のリズムに合わせて、テレビの中の男と一緒に10代目も歌いだした。
さすが10代目だ。10代目は日本の心だ。
オレは心底感動して10代目を見つめていると、1パート歌い終わった10代目は少し照れたように笑う。
男らしさとかわいらしさを兼ね備えた10代目に、オレの心は持っていかれっぱなしだ。
歌の途中でコンコン、とドアをノックする音が聞こえる。
「はーい」
10代目はせっかくの歌を切り上げて返事をする。
返事の後に一拍置いて従業員が二人入ってきた。
「お食事の方、下げさせていただきます」
「寝室の方、布団を敷かせていただいてもよろしいでしょうか」
二人は和室の入り口に座り、ぺこりと一礼すると、それぞれ言う。
二人目の質問におねがいします、と10代目が答えると、
失礼致します、と言って立ち上がり、寝室へ続いているふすまを開けた。
目の前では一人がてきぱきと食器類を下げ、
後ろの部屋ではもう一人がやはりてきぱきと布団を敷いていた。
その時間はそんなに長くはなかったと思うけれど、何だか微妙な空気が流れた。
至れり尽くせりなのは嬉しいけれど、何度も部屋に入られるのは遠慮したい。
二人が入ってきた時に流れていた曲が終わり、その次の曲も終わろうとしている。
それぞれの仕事を終えた二人はまた和室の入り口に座り、声と動作を揃えて言う。
「「失礼致しました」」
従業員は下げた食器類を分担して持ち、入って来た時と同じように静かに出て行った。
ドアが閉まるのを確認すると、オレと10代目はふぅ、と大きくため息をつく。
同じ部屋の中に4人も人間がいるのに、しばらく誰も一言も発せず、
ただテレビから歌声が響いている。異様なひとときだった。
何だか一気にどっと疲れた気がする。
「ものすごいとこ来ちゃったね」
「はい・・・」
ここまで気を使われると何もしていないはずなのに何故だか肩がこってしまう。
顔を上げて10代目と目が合うと、どうやら10代目も同じことを思っているようだ。
その妙な感じにどちらからともなく笑い合う。
変な状況だというのにこうやって笑えるんだから、10代目の力はすごい。
さっきまでの妙な空気は消え去って、もとの和やかな時間が流れる。
終わりに近づいていた曲はついに途切れ、また司会者の方へカメラが向く。
司会者や他の出演者が今の歌の感想や次の歌の紹介をしている間に10代目に話しかける。
「10代目の隣に行ってもいいですか?」
「あ、うん」
返事をしながら10代目は少し右側に詰めてくれる。
左側に空いたスペースに椅子を移動させて座る。
腕と腕が触れ合うほどの至近距離まで近づいて、
10代目の熱を感じて、すぐ近くで10代目の息を聞いて。
去年も遅くまでお部屋にお邪魔して一緒に紅白を見ていたけど、
もちろんその時だってくっついて見ていたけれど、
日に日に心が近くなっている気がする。
いつも思う。10代目の近くで感じるこのあったかい気分は、今までで一番だって。
いつだってその瞬間が今までで一番だと思ってきりがない。
だけどそれは、10代目との思い出が積み重なってるからかもしれない。
今までのものが全部オレの中で蓄積されて、心の中が満たされているからだ。
「やっぱ小森辛子はすごいね」
ある意味でこの番組のメインだろう、派手な衣装(セット?)が現れると、
10代目は少し興奮したようにオレを見上げて話しかけてきた。
オレはその言葉にそうですねって答えて、何となく目が合ったまま逸らせなくなる。
オレの頭はどんどんと下がり、もうすぐで10代目に触れそうだ、と思ったとき、
急に唇よりも硬いものに口の周りを覆われる。
何事かと思って目を開けてみると、
片手で自分の口を覆った10代目が、片手でオレの口を押しやっていた。
「どうしたんです?」
その手をやんわり外して問いかけてみると、
「だってさっきごはん食べたばっかりだもん・・・」
なんていう、かわいらしい答えが返ってきた。
オレはもうたまらなくなって少し強引に口付けた。
や、なんて小さく抵抗されてもやめられない。
「同じもの食べたんですから、気にならないですよ」
ちゅ、と小さく音を立てながら10代目の唇に吸い付く。
軽く触れ合わせて、唇で唇を挟むようにして、ゆっくりと深いものにしていく。
息を吸うために小さく開かれた唇の間に舌を差し入れ、濡れた音はだんだんと大きくなる。
いつしかテレビから流れる音楽はBGMになり、
しばらく唇を合わせていると、10代目の体の力は抜けてオレの方にもたれかかってくる。
このまま押し倒してもいいかなー、なんて思いながら10代目の腰に回した手を
意図を持って動かし始めた時、テレビから急ににぎやかな話し声が流れてくる。
その声にはっとしたように、10代目はオレにもたれていた体を引き起こした。
「獄寺君、だめだよ。紅白見てるんだから・・・」
にっくき、みのさるた。
今10代目といいとこなんだから気を利かせて静かにしゃべれよ。
心の中で司会者に食いついた。
でも仕方ない。ほかならぬ10代目が楽しみにしている年に一度の紅白だ。
オレの欲望はちょっとの間押しとどめることにする。
「じゃあ10代目、紅白終わったらいいですか?」
「なにがいいんだよ」
「今の続きしても」
「ぅ・・・」
たったそれだけ言っただけで、10代目は顔を真っ赤にしてしまう。
ここではっきりセックスとか言ったら大変なことになるんだろうなぁ。最中はいやらしいのに。
そんな10代目にはとても言えないようなことを考えながら10代目の答えを待つ。
う、ううう、としばらくうなった後に、観念したようにぽつりと言う。
「わかったよ・・・」
「じゃあ静かに待ってますね」
「待たなくていいよ」
10代目が小さな声で言ったけど、聞こえないふりをした。
体を離したあとはまた二人でテレビに向かう。
右手に触れた10代目の左手をきゅっと握って静かに歌が始まるのを待った。
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