「ねえ獄寺君、オレが泳げなくてみんなが泳ぎ方教えてくれたの覚えてる?」
「え・・・?ええ。覚えてます」
急に接点のない話を振られて戸惑ったが、思い返して言葉を返す。
「獄寺君と山本とハルと了平さんに教えてもらって、なんとか泳げるようになって、
海でもちゃんと泳げたときはすごく嬉しかったなぁ」
そっと10代目を伺い見ると、10代目は楽しそうに笑って、そのときのことを思い出しているようだった。
「公民館で七夕大会やったり、お祭りで屋台出したり」
確かあの時は山本が壊した壁の修理費をかせぐためだった。
「みんなで見た花火は綺麗だったねぇ」
あの時の花火を思い出して、こくりと頷いた。
「それから確か獄寺君が小さくなっちゃったのもあの頃だったよね」
急に巨大化した10代目や、ジャンニーニの憎たらしい顔を思い浮かべながらまた頷く。
「獄寺君は小さくなってもオレのことちゃんと守ってくれて。
獄寺君がそばにいてくれると、すごく頼もしくて、すごく嬉しくて、すごく楽しかった」
その言葉に顔を上げて10代目を見た。
10代目がそれを本心で言ってくださっているのは分かる。
あのとき初めて、10代目から戦いに関しての感謝を得たからだ。
だけど今のオレは、その守るべき10代目に武器を向けた罪の意識ばかりが表面を覆い、
10代目の言葉はオレの顔をくしゃりと顔を歪ませるだけだった。
「終わったらまたみんなで遊びにいきましょう、って」
「・・・!」
「君がそう言ってくれたこと、ちゃんと覚えてるよ」
メガネヤローと対峙したときの言葉だ。
10代目を安心して骸のところへ行かせるために言った言葉。
終わったら、なんて曖昧な時間提示。
みんなで遊びになんて、歯の浮くようなセリフ。
オレの性格から考えればどうやったって出てこない言葉。
他の奴らとつるむのが下手で、ファミリーにも入れないようなやつ。
そんなオレをあたたかく受け入れてくれる10代目に、オレは迷惑をかけてばかりだ。
くしゃりと顔を歪ませる。
もう上を向いていられない。
こんなみっともない顔、10代目には見せられない。
「獄寺君がいて、”みんな”なんだからね」
うつむいた顔から、ぽつりとこぼれた。
どんなに痛くても、どんなに悔しくても、それを流したことなんてなかったのに。
「泣いてもいいんだよ」
唇をかみ締めた。
みっともない声が漏れてしまわないように。
「我慢しなくていいんだよ。泣きたかったら泣けばいいし、腹が立ったら怒ればいい」
10代目の言葉が聞こえるたびにに目からぽろぽろと落ちていく。
「でもね、元気になったらまたいつもみたいに笑ってよ。
オレはいつだって、獄寺君の笑顔に救われてたよ」
ぎゅ、とズボンを握り締めた。
その言葉にどう答えればいいか分からない。
今までそんな風に言われたことがなかったからだ。
目から流れるものも忘れて困惑をにじませた視線を10代目に向けると、
それこそオレの方が救われるような笑顔を向けてくれた。
「獄寺君はあの時のことを気にしてるみたいだけど、オレはそのことで獄寺君を責めた?」
その言葉にはっとする。
もちろん10代目からオレを責めるような言葉を聞いたことはない。
だけど、言わないだけで、心の中ではそう思っているかもしれない。
10代目の心を疑うみたいで心苦しかったけど、でも、その考えが頭から離れなかった。
たぶんオレは自分自身の作った想像の中の10代目に責められていたんだろう。
10代目の問いかけに答えるようにふるふると首を横に振る。
「オレもいつまでも弱いままじゃないよ。
守ってもらうばっかりじゃなくて、ちゃんとオレも君のことを守れるよ」
10代目の瞳を見つめて頷いた。
その言葉どおり、オレは10代目に救われてばかりだ。
敵の攻撃からも、真っ暗な孤独からも。
「あのことがどうしても許せないのなら、納得がいくまで悩めばいい。
でもオレはこの通り平気だし、獄寺君を責めるようなこと、少しも考えたことないよ」
がんじがらめになっていた心の中が、少しずつ解けていく。
10代目の声が染み入るごとに、霧が晴れていくみたいだ。
オレのしたことは許されることじゃない。
それは動かない事実だけど、10代目はオレのことを責めてはいなかった。
オレを責めていたのはオレ自身と、オレが作り出したオレの中の10代目だ。
ただオレ自身が自分を許せないだけで、引け目を感じているだけ。
10代目の言葉でそれが分かったから、すとんと肩の力が抜けてしまった。
これからは自分のしたことにだけ、責任を持って向かい合えばいい。
10代目の言葉がじわりと心の中に広がっていく。
「ありがとうございます」
ここに来て初めて、背筋を伸ばして前を見た。
目の前はにじんでいるけれど、さっきよりもしっかりと10代目の目を見ることができた。
ぽつりぽつりとこぼれるそれは、心の中の霧を吸い出したものかもしれない。
目の前のもやの向こうには、笑顔の10代目の姿が見える。
はっきりとは見えないけれど、とてもきれいな笑顔なんだろう。
心の中に10代目の笑顔を思い浮かべて、オレも自然と笑顔になった。
「うん。オレは獄寺君のその笑顔が好きだよ」
耳になじんだ甘い声。
聞き慣れたそれよりも少しだけ渋みをたたえたそれは、
オレの内側に入り込んで、中からもやもやとしたものをきれいに洗い流してくれた。
すっかり霧は晴れ、10代目から放たれるあたたかな光を、恐れることなく受け入れることができる。
やわらかな光が、きらきらとオレの中を照らしていく。
「そろそろ時間かな」
10代目はゆったりと、さっきの笑顔のままで口を開く。
そうだ、オレはあのアホ牛のバズーカのせいでここに来たんだ。
あれの効果はたったの5分。
それが過ぎれば抵抗する間もなく元の時間に戻っていく。
聞きたいことがたくさんあるのに。
もし、未来の10代目に会えることがあれば、聞きたいと思っていたことがたくさん。
オレは今、あなたの役に立てていますか?
立派な右腕として、あなたを支えることができていますか?
口を開きかけて、思い直して口を閉じる。
その質問は、今のオレには必要ないものだと思えた。
オレが自分で立派だと思える右腕になればいい。
もし10代目に迷惑をかけるようなことがあれば、
その時はちゃんと10代目が言ってくれる。
オレは自分のできる精一杯を、これからも10代目に捧げていけばいい。
そこまで考えたところで10代目はイスから立ち上がり、こちらに近づいてくる。
10代目の顔を追っていると、自然と顔が上を向く。
オレのすぐ隣まで来たところで10代目の足は止まり、
そのきれいな、オレの知るそれよりも一回り大きな手がオレの頬に触れた。
「このまま君を帰したら、オレに怒られちゃう」
そう言って10代目はゆっくりとオレに顔を寄せ、
近付く顔に思わず目を閉じると、閉じたまぶたの上にちゅ、と小さくキスが落とされた。
ちゅ、ちゅ、と両方の目を行き来し、目にたまったそれを吸い取ってくれる。
唇がオレから離れ、恐る恐る目を開けると、
その口元がにっこり微笑んでいるのが目に入った。
10代目、と口を開こうとすると、もや、と白い煙が体を包みだす。
「それじゃあまた、10年後に」
次第に濃くなっていく白い煙の中で、10代目の声を聞いた。
「オレ、」
声を出してもその振動は煙の中に消えていく。
それでも声を振り絞って伝えた。
オレ、がんばってあなたに相応しい立派な右腕になってみせます―――
そう、言い終わったときには完全に白い煙に包まれて、
その声と共に頬に残っていた手の感触が消えていく。
10代目の姿もイスの感触もなくなって、体が浮遊感に包まれた。
目を閉じると、心の中がすっきりと澄み渡っているのが分かる。
真っ白な中に未だ黒いしみは残っているけれど、もう気にはならなかった。
******
白い煙が晴れる。
ぺたりと座り込んだカーペットの感触で、もとの世界に戻ってきたことを知る。
下を向いた視線の先には自分のひざと10代目のひざがくっつきそうに近くにある。
10代目の前で涙なんて見せられない。
水滴が残っていては大変だ、とまぶたを擦ろうと思って手を止める。
10代目の唇の感触を拭ってしまうのはもったいない気がした。
それに、涙はすべて10代目が吸い取ってくださった。
残ってはいないはずだ。
少しうつむいていた顔を上げて、10代目を見る。
するとオレの目に入ってきたのは、手で顔を覆ってうつむいている10代目の姿。
その姿を見て、ざわりと体中の毛が逆立った。
10代目を、泣かせるなんて。
じりじりと焦燥感に似た感覚に突き動かされるままにダイナマイトに手をかける。
「ヤロー、果たす!」
そう言ってから、「ヤロー」が誰なのかという問題点に突き当たる。
でも、この状況からすれば、10代目を泣かせたのは、・・・オレ?
そこまで考えてびくりと体がすくんだ。
もしそうだとしたら、10年後の自分を果たしに行くのはなかなか難しい。
もう一回10年バズーカを自分に打ち込んでみるか?
いや、それだと入れ替わるだけで手を下せない。
ジャンニーニにバズーカを改造させて10年後の自分を呼び寄せるようにするとか?
いや、あいつは絶対変な風にしないから無理だ。
少しその方法を考えてみたけれど答えが見つからず、
今の自分にできることはと考え直して。
そっと、腕を伸ばした。
せめて、10代目を抱きしめて、涙を止めることはできないだろうか。
ふわりと10代目の体を包み込んだ。
暖かな、10代目の体温。
「ずっと、そのままでいてよ」
震えるような小さな声に、腕の力を強くした。
「はい」
気持ちをこめて、そう、言葉を返した。
この腕も、この体も、あなたを守るために。
そして、あなたの思うとおりに。
End
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