よもやま話
よもやま話
このページは、私が思っている事や考えている事をテーマを定めずに書いています。
邦楽に関する事を書くつもりですが、何事にも例外は付き物です。
何でもありの雑感コーナーです。
30 能楽堂と劇場
 能楽堂を使って、日本舞踊の会が催されることがたまにある。
 能舞台と劇場の大きな違いは、幕(緞帳)が無いこと。能舞台には、舞台と客席を遮るものが無い。立方(踊り手)だけでなく、地方や囃子方もぞろぞろと登場しなければならない。観客の視線にさらされながら歩くのは緊張する。座ってしまえばどんなにジロジロ見られても平気だが、歩くのは苦手だ。そういう訓練をしていないので、どうも格好がつかない。こちらが意識するほど、観客は何とも思っていないのかも知れないが。
 演奏が終わると、今度は退場する。もちろん、視線にさらされて。このときが辛い。曲が終わってもすぐに立てないときがある。50〜60分座っていたり、何曲も続いた後などは、立つのに苦労する。劇場なら幕が下りてからゆっくりと立てば良いが、能舞台はそうはいかない。何事も無かったような顔をして、スッと立ってシズシズと退場しなくてはいけない。これが本当に辛い。
29 ホールと劇場
 最近は地方へ行っても、必ず立派なホールがある。しかし、このようなホールと歌舞伎座や松竹座、文楽劇場などの劇場とは決定的に違う点がある。それは、芝居公演を主体に考えて作ったかどうかということだ。地方のホールは、いわゆる「多目的ホール」である。これは、自治体が運営していくので仕方のないことだが、我々には使い勝手が悪い。
 残響が邦楽演奏に不向きだったり、下手袖のスペースが狭かったり、あるいは御簾内から舞台が見えにくかったりといろいろだ。また、楽屋が畳敷きでないのも困る。着物や袴がたためない。楽屋から舞台までかなり遠いこともある。
 踊る人にとっても、花道が短かかったり、セリフの声が通らなかったりと不満があるようだ。
 「多目的」というからには、伝統芸能のことも考慮して設計してほしいものだ。何でもかんでも、洋楽に合わせてもらっては困る。
28 八千代座
 熊本県山鹿市に「八千代座」という劇場がある。百年近い歴史のある劇場だ。舞台も客席も伝統を感じる。(とても古い)
 桟敷席も昔のまま残っており、花道に手が届くくらい近い。客席全体も現代の劇場ほど広くないので、役者と観客の距離が近く感じられる。そのため一体感が生まれやすく、雰囲気がとてもいい。少々極端な言い方だが、お座敷の忘年会で何か芸を見せているような雰囲気。そのくらい観客が近くに感じる。
 昔はこんなに近くで見て、熱狂していたのだろう。断然この方がいい。ただ、興行的、経営的にはこの席数ではキツイだろうと思う。
 この劇場は、セリも廻り舞台も手動らしい。今回は使わなかったので残念だ。ぜひ奈落の下で、現場を見てみたいものだ。
 照明設備も持ち込まなければ、不十分で暗いらしい。昔の芝居は天窓からの明かりと、舞台に立てたロウソクの明かりだけでやっていたらしい。それゆえ歌舞伎の隈取りや衣装がハデになったともいわれている。昔はあのくらいハデでないと見えにくかったのだろう。面白いものだ。
27 ニュー止まり
 映画やテレビなど、映像の世界ではフェイドイン、フェイドアウトという手法がある。画像を徐々に現したり、徐々に(残像を残しながら)消していく手法だ。
 邦楽でもこれと同じ様な手法を使う。篠笛の場合、小さな音から吹き初めて、徐々に音を大きくしていく。あるいは、徐々に音を小さくしていって吹き終わるという具合だ。観客からすると、いつの間にか笛の音が聞こえ出し、いつの間にか終わっていた、という実に心地良い、「風」のような存在になる。
 このような時、フェイドインにあたる言葉はないのだが、音の終わりを表すのに「ニュー止まり(ニューどまり)」あるいは「ニュー消し(ニューけし)」と言う。これは単に、ニューッと止まるという意味。実に直接的な表現だ。
 これほど曖昧な言葉が実際に現場では使われている。洋楽にもデクレシェンドがあるが、音の長さ自体は決まっている。邦楽の場合、音の長さは演奏者の判断に任される。舞台の様子や、地方の雰囲気に合わせて見計らう。何拍延ばして音を消すかということは、キチンと決まっていない。いたって曖昧なのだが、これがまた良い味を出すことがある。邦楽の面白いところだ。
26 私の能管
 始めは篠笛だけお稽古していたのだが、徐々に能管も欲しくなってきた。ヒシギの力強い音が何とも魅力的だ。大きな音で、ガンガン吹けるところがいい。
 まだ学生だったので、資金面で困った。家庭教師のアルバイト収入は、観劇用に必要だったので、別にアルバイトを探した。某ファーストフード店で友達が働いていたので紹介してもらい、学業よりもアルバイトの方が忙しくなった。2ヵ月間で目標額が貯まったので、能管を手に入れることができ、すぐにファーストフード店をやめてしまった。
 念願の能管を手に入れて、嬉しくて吹きまくった。自宅で長時間吹くのは近所に対して気が引けたので、近くの小高い丘の上の公園で吹いた。散歩をしている人がジロジロと見たが、そんなことは気にしない。夕方になると、近くの高校のブラスバンドの練習する音が聞こえてきて、よけいに張り切って吹いた。神戸港が一望できる場所だったので、気分爽快だった。
 その後、何度か買い替えて現在に至るが、能管は善し悪しの差が大きい。いい能管は楽に吹くことができるが、悪いのは本当にしんどい。息の抜けが悪かったり、出にくい音があったりして、さっぱりダメな笛がよくある。
 また、篠笛と違って値段もピンからキリまで様々であるが、高いからといって良い笛とは限らない。骨董品、美術品として高い値段がつけてあっても、楽器としては全然ダメなことがよくある。気を付けなければならない。
ご意見はこちらまで