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論評とは名ばかりで、わたしの電子日記とリンクしてるただのたわごとです。
 5      比叡狂言
わたしの席から
 世界遺産劇場2005比叡山延暦寺奉納公演を見に行ってきた。今年4度目の萬斎狂言、ようやく前方の良席をゲットできた。
 延暦寺…滋賀県といえどやはり遠かった。電車、バス、ケーブルカーを乗り継いでやっと到着。標高600mのところに位置するので気温がかなり低い。
 境内についたが開場時間までまだ少しあるので座って人間ウォッチング。まずはこの延暦寺の坊主!客にまぎれてタバコをふかしている袈裟姿が。しかもなにやら楽しげに談笑している。こいつは例外なのかもしれないと思い、ほかの坊主を見てみる。すると、物販のところでさけんでいる坊主がいる。「おみやげいっぱい買ってくださいね〜!いっぱいご利益がありますからね〜!」…う〜ん。さらに別の坊主は客である母子を見て「お友達ですか?…ええッ!親子?!うそでしょう??」とおべんちゃら。どうなっているんだこの寺は…。世界遺産だからこういうノリでいいのか?いやいや高野山金剛峰寺の坊主たちはこんな感じではなかったはず…。宗派の違いか?(天台宗を蔑ろにしているわけではないが) 比叡山や最澄という名から勝手に重苦しいイメージを抱いていたので、なんだか肩透かしをくらった気がしたのだ。
 続けて人間ウォッチングをしていると、きもの姿の女性たちが目についた。意外に多い。わたしはというと、今日はもう遠いし山だしってことで洋服で来てしまったが、ちゃんと着て来ているひとを見るとやはり着てくるべきだったと後悔した。玄人っぽいおばさま方から若いおねえさん衆まで、着こなしは実にさまざま。紬のきものに粋な弁慶格子の帯を合わせていたひとがかっこよかった。あのひとは絶対石田節子さんファンに違いない。そんなことをあれこれ思っている間に開場時間になった。
 わたしの席は舞台に向かって右側脇正面の前から3列目。能楽堂ではありえない右側脇正面からの座席というのもなかなかめずらしくおもしろかった。それにしても近い。演者の瞬きまでハッキリ見える。期待に胸をはずませていると、京都弁のおばちゃんが話しかけてきた。そのおばちゃんの席はわたしの3つ隣だったがどうやらその席が不満らしい。わたしはこんなに喜んでいるのに。そして「ダンプが通りまーす」と言って前を通っていった。おもしろすぎる。
 開演時間になり、例のごとく萬斎氏が登場して番組の解説をしてくれた。関西人を前にするとやはり緊張するのか、いつものようにはじめは控えめだった。客のノッてくるにつれて、しゃべりかたがおおらかになり、動きも大きくなってくる。しつこいようだが、ほんとうに近い。黒紋付の五つ紋まではっきり見える。
 そしていよいよ演目がはじまった。まず一番は「鐘の音」。主人が息子の成人祝いに黄金作りの太刀をプレゼントしようと考え、金の値段を聞きに太郎冠者を鎌倉へ向かわす。ところが太郎冠者は「金の値」を「鐘の音」と思い込み、寺々の鐘の音を聞いて周り、帰って主人にそれぞれの鐘の音色を説明する。がもちろん主人は「こやつはどうしようもないやつめ!」と腹を立てる。そこで太郎冠者は鐘の音の子細を謡い舞う…というお話。萬斎氏が解説時に言っていたが、この番組は万作氏が得意としている番組だそう。なるほど自ら口で表現する鐘の音はなかなか味があっておもしろい。熟練の威厳があるはずの万作氏だが、どう見てもとぼけた太郎冠者に見える。熟練だからこそなせる技なのか。
 二番は「博奕十王」。地獄の閻魔大王の悩み。それは近頃、極楽往生を約束する宗教が流行し、地獄に落ちてくる罪人がめっきり減ってしまったこと。業を煮やした閻魔大王と鬼たちは自ら六道の辻へと死者を責め落としに行く。そこへやってきたのは、あの世にまで賽を持参する筋金入りの博奕打ち。閻魔大王に「おまえは罪人、地獄行き決定〜!」と言われた博奕打ちは、言葉巧みに博奕のおもしろさを説き、閻魔大王を自分のペースで博奕に引きずり込む。しかしこちらはプロ。閻魔大王や鬼たちでも到底かなうはずはない。次から次に賭けては負ける閻魔大王御一行。なんだか野球拳を見ているようで笑った。とうとう賭けるものがなくなった閻魔大王御一行はしかたなく博奕打ちを極楽へ案内するハメに。というファンタジーっぽい狂言。なんとも情けなく愛嬌たっぷりの閻魔大王は石田氏。そしてひとりだけレゲエっぽいドレッドをしたおちゃめな鉄杖鬼は万之介氏。一枚も二枚もうわてなプロフェッショナルイカサマギャンブラーは萬斎氏。そして賽の謎に最後まで気づかなかったどんくさいわたし。この賭けあいには会場も大いに盛り上がりました。最後に博奕打ちが向かう極楽は、通常は橋掛かりの方向なんだそうですが、今回はバックにちょうど根本中堂があるので、その根本中堂をめざして進むという演出になっていた。そのあたりも趣向をこらしていておもしろかった。はるばる(?)比叡山まで来た価値はじゅうぶんにあった。
 狂言を見ているといつも自然に笑顔になる。猫を見ているときとおなじような顔。心から愛せるキャラばかりだからかな。狂言師たちはいつもそういう観衆の笑顔を肌で感じながら舞えるので気持ちいいだろうなあ。それともやっぱり無心で舞っているのかな。次の万作・萬斎狂言は来年の新春狂言。待ち遠しい。東京は和泉流を見れる機会が多くていいなあ…。わたしもT沼の宝塚通いのごとく国立能楽堂に通うか! 
 
 
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