このページは、私が思っている事や考えている事をテーマを定めずに書いています。
邦楽に関する事を書くつもりですが、何事にも例外は付き物です。
何でもありの雑感コーナーです。
49 づつみ?
 テレビ番組の料理コーナーで、アナウンサーが「したつみ」を連発していた。おそらく「舌鼓」のことに違いない。それなら「した」と言わないといけない。広辞苑には、一応転用例として掲載されているが、この発音には抵抗がある。「したつみ」だと「舌包み」になってしまう。プロのアナウンサーとして恥ずかしい。
 同様の誤りに「はらつみ」がある。「腹鼓」の発音誤りだ。正確には「はら」。これも広辞苑の見出し語として載っているが、やはり違和感がある。長唄「たぬき」の歌詞にこの言葉が出てくるが、もちろん正確に発音されている。
 最もひどい間違いは「こつみ」。これだと「小鼓」ではなく、完全に「小包」だ。郵便局のお世話にならないといけない。しかし以外と「こ」と正確に発音する人は少ない。邦楽と無縁の人たちは、平然と間違った発音をする。純粋な和楽器であり、世界に誇れる打楽器なのに、なんとも情けない限りだ。古典曲の曲名を読み間違えるケースはよくあるが、楽器そのものの名前を間違えられるとは…。
 数年前某CMで、小鼓を左肩にかついで打っているシーンがあったが、こんなことに誰も気付かない時代がくるのだろうか。なんだか心細くなってくる。
48 動物たち
 邦楽曲には、動物が出てくる曲がたくさんある。身の回りの動物から、動物園にもいないような生き物まで登場する。(ここでは所作物に注目し、お芝居は考えないことにする。)
 日本でおめでたい動物といえば、鶴と亀。子供に親しみのある動物は、兎と亀、そして狐と狸。これらは、すべて曲の中に登場する。鶴と亀は、そのものズバリ「鶴亀」という曲が長唄や常磐津にあるし、清元「北州」などの御祝儀曲の歌詞にも出てくる。兎は、清元「玉兎」が有名。この曲は「カチカチ山」を題材にしているので、狸も出てくる。狐は、義太夫「二十四孝」や「吉野山」に出てくる。狐と狸が化かし合いをする「お化け提灯」(常磐津)という曲もある。長唄「桃太郎」には、犬、猿、雉が揃って登場。
 次に、動物と言えば十二支。ネズミは、地唄「ねずみの道行」。ウシは、清元「女車引」に牛車が出てくる。(これは少々苦しい。)トラは杵勝三伝の内に「虎刈」がある。
 ウサギは前述したように、清元「玉兎」。タツは、義太夫「龍虎」でトラと激しい戦いを繰り広げる。ヘビは、もちろん「道成寺」。ウマは、長唄「馬盗人」。また長唄「お兼」では、歌詞にはないが、演出上馬が登場することがある。
 難問は、ヒツジ。全然思い当たらない。ヒツジが出てくる曲をご存じの方、ぜひお教えいただきたい。
 サルは、長唄「外記猿」や「靱猿」(長唄、常磐津)。長唄「こころの四季」には、33,333匹も出てくる。トリは、清元「四君子」の冒頭部分。さらに「落人」には鳴き声が出てくる。イヌは、長唄「丁稚」に愛嬌のある着ぐるみで登場。イノシシは、常磐津「亥芸者」。
 もちろんこれら意外にもたくさん出てくる。うぐいす、ほととぎす、カラス、とんび、蝶々や秋の虫たち、挙げればキリがない。
 変わったものでは、長唄「蚤取り男」の蚤(ノミ)。常磐津「将門」の蝦蟇(ガマガエル)。長唄「土蜘」や長唄「蜘蛛の拍子舞」の蜘蛛。義太夫「海女」には蛸が出てきて踊る。
 また伝説上の生き物では、長唄「連獅子」などでお馴染みの獅子。義太夫「猩々」などの猩々。長唄「鞍馬山」の天狗。これらは現実には存在しない生き物だ。
47 意外な言葉
 古典曲を演奏していて、「エッ!」と思うことがある。予想できなかった意外な言葉に出会うときだ。古典の雰囲気、舞台の流れにすんなりと溶け込まず、私の心に印象強く引っかかった言葉を紹介する。
 まずは、清元「鳥さし」に出てくる「心太(ところてん)」。私の好きな夏季限定メニューが、こんなところに出てくるとは思わなかった。「シタリ心太ではなけれども、つき出されても〜」とあるように、つき出されるという言葉のシャレとして引用されている。この曲は1831年の作とされているので、その頃の庶民と同じものを食べているかと思うと、嬉しくなってくる。
 2つ目は、義太夫「日高川」に出てくるシャレ。清姫が「のう、自らは道成寺へ急ぐ者。早よう川を渡してたべ。」と言うのを船頭が「なんじゃ、どじょう汁が食いたい?」と面倒くさそうに言い返すところ。「道成寺」→「どじょう汁」、「たべ」→「食う」という極めてベタなシャレ。いかにも関西らしい、ベタベタなところが印象に残る。
 3つ目は、長唄「こころの四季」。三世今藤長十郎師作曲の名曲だが、この中に「ネオンの光、月の影」という言葉が出てくる。この「ネオン」という言葉がどうも引っかかる。およそ長唄に出てくるような言葉ではない。新しい曲だとはわかっていても、なぜか受け入れにくい。「長唄」という言葉の雰囲気と「ネオン」という言葉がどうも合わない気がする。
 最後は、常磐津「朝顔売り」。これは強烈だ。なんと往年のクレージーキャッツのギャグ「ハイ、それま〜でぇよ」が出てくる。当然「朝顔売り」の方が先だろうが、これを初めて聞いたときは心底ビックリした。「エ〜なんだこれは!ウソだろ!」という感じ。度肝を抜かれた。まさか古典曲にこんな言葉が出てくるなんて。業界人生最大の驚きだった。

***上の内容に関してご教示いただきましたので、ここに記します。***
 常磐津「朝顔売り」は昭和38年の作品で、当時流行していたクレージーキャッツのギャグを拝借したとのこと。私の知識不足をご指摘いただき、ありがとうございました。  
46 場慣れ
 趣味でお稽古事をしていて、「お浚い会」などで舞台に出る場合、ほとんどの方がアガル。冷静さを失い、普段の力を発揮できないことが多い。これの克服方法をよく聞かれるのだが、特効薬はない。そんなものがあれば、こちらが教えてほしい。
 予防策としては、1つは徹底的にお稽古を重ねることだろう。半端ではなく、文字通り徹底的にお稽古をする。例えば、頭の中で夕食の献立を考えていても、手が勝手に演奏しているくらい徹底的に。そのくらい身体で覚え込むと、精神的に舞い上がっていても心配ない。いつもの自分のペースでやり遂げられるだろう。
 もう1つは、場慣れすること。機会あるごとに場数を踏むことだ。舞台という特殊な環境に慣れてしまえば、かなり落ち着くことができる。経済的な問題もあるだろうが、とにかく場数を踏んで度胸を付けることだ。
 ただ、この場慣れというのは「落とし穴」も併せ持っている。我々の場合、舞台が日常生活の一部になってしまっているので、場数は相当踏んでいる。もちろん駆け出しの頃は、なかり緊張してアガルこともあったが、いずれ慣れてしまう。この「慣れ」がとても怖い。慣れると普段通りの力を出せるようになるのだが、自分が上手くなったように錯覚してしまうことがあるのだ。
 冷静に演奏できたということと、上手くなることとは別問題である。ただ単に慣れただけであって、自分の力が向上したとは限らない。慣れたことによって、手順通りこなしているだけである。この部分をしっかりと自覚しておかないと、いつまで経ってもレベルは上がらない。
ご意見はこちらまで
よもやま話
よもやま話