よもやま話
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このページは、私が思っている事や考えている事をテーマを定めずに書いています。
邦楽に関する事を書くつもりですが、何事にも例外は付き物です。
何でもありの雑感コーナーです。
20 花道 ・ 廻り舞台
 舞台の下手(客席から見て左手)に花道というものがある。舞台の延長が客席の一番後ろまで貫通している。役者や踊り手がここを通って、登場したり退場したりする。誰が考えたのか知らないが、すごいファンサービスだ。舞台と観客の距離が縮まり、役者が身近に感じられる。
 廻り舞台は、約240年前に大阪の並木正三という人が発明したらしい。こま回しから思いついたそうだ。これも画期的なすばらしいアイデアだ。舞台転換にはどうしても時間がかかる。といっていちいち幕を下ろしていると、観客の気持ちが離れてしまい、そこまでの芝居の雰囲気がパーになってしまう。
 廻り舞台の発明によって、一瞬にして場面を変えることができるので、芝居の継続性が保たれる。並木正三は狂言作者だったらしので、まさに「必要は発明の母」ということか。
 昔は電動装置などないので、もちろん人力で回していた。奈落(舞台の下)に大きなろくろがあり、それを大勢で回したらしい。福岡県の嘉穂劇場という古い小屋でその装置を見たことがある。
 話はそれるが、廻り舞台を見ると中華テーブルを連想してしまう。テーブルの上にクルクルと回る台のついたものだ。大皿に盛られた惣菜を、席を立たずに取ることができる。あれはいつ頃から使われだしたのだろうか。数年前、香港へ行ったときに驚いたことがある。あの中央のターンテーブル部分は、直径の長いものから小さいものまで数種類の大きさがあって、お客の人数によって取り替えていた。お客が大勢のときは、店の奥から直径の長い、大きな円盤をゴロゴロと豪快にころがしてきて、中央にセットするのだ。意表をつかれて、唖然としてしまった思い出がある。廻り舞台が先か、中華テーブルが先か、ご存じの方はぜひご一報をお願いしたい。ちなみに、ヨーロッパで廻り舞台が初めて使われたのは、並木正三の発明から100年も経ってかららしい。
19 出囃子〜其の二
 前回に続いて「出囃子」について。「出囃子」の場合、古典曲は暗譜しているので、舞台上で譜面を見ることはない。しかし、極めて珍しい曲や新曲などは、譜面を見ても構わない。三味線も囃子方も全員譜面を出しているときがある。(唄は元々唄本を見て唄うのが型である)
 こういう時、私は目が悪いのでとても辛い。無意識に前かがみになりがちなので、気を付けるようにしている。舞台で下を向いて演奏するのは、恥ずかしいことだ。決してカッコイイものではない。
 まして日本舞踊の場合、踊りの振りに合わせて演奏のスピードや強弱に変化をつけなければならないので、下を向いていては話にならない。本来はしっかりと踊りの振りを見ながら演奏するものだ。それでこそCDやテープにはない臨機応変の対応ができる。
 譜面にまつわる舞台上での悲劇のエピソードがいくつかある。(私が被害者ではありません)
 (1)上下に動く緞帳ではなく、。歌舞伎で使う引き幕を使ったため、幕を引くときの風圧で譜面がすべて飛んでしまった。
 (2)曲の途中で、演出効果のためにスモークを使ったため、舞台上が一面真っ白に覆われ、譜面が全く見えなくなった。
 (3)曲の途中でセリ下がりを使ったため、譜面も一緒に奈落に消えてしまった。
 (4)譜面をめくる時に2枚ひっついてめくれてしまったため、曲が飛んでしまった。
 このように、過去にはいろいろなアクシデントが起こっている。頑張って覚えなくては。
18 出囃子
 以前にも書いたことがあるが、囃子方が舞台の表に出て演奏することを「出囃子」と呼ぶ。逆に舞台下手の中で演奏するのは「陰囃子」。「出囃子」は長唄曲に多く、清元や常磐津、義太夫などの浄瑠璃ものはほとんど「陰囃子」。厳格な取り決めはなく、伝統的慣習、舞台装置、立方の意向などによって決まる。
 「出囃子」の場合でも座る場所がいろいろある。一番多いのは、上手に山台という台を作り、その上に地方(唄・三味線)、下に囃子方が座るというもの。舞踊会では9割がこのパターン。その次が、舞台正面に座るパターン。これは、「鏡獅子」、「連獅子」、「京鹿子娘道成寺」など大曲と呼ばれるものに多い。正面に山台を作り、上に地方が10人以上、下に囃子方が6人以上並び、とても見栄えのする舞台となる。
 たまに「藤娘」で見られるのが、上手に地方、下手に囃子方が座るパターン。舞台を「ハの字」形に挟んで並ぶ。「藤娘」の場合、舞台中央に大きな木があるので(もちろん大道具)、こういう並び方のほうが見た目が良いのだろう。しかしこの並び方は、囃子方にとって非常に演奏しにくい。舞台の間口の幅があるので、微妙に音がズレる(遅れる)のである。音に集中すると同時に三味線の撥の動きにも注意して、視角で補う必要がある。
 さらに賑やかな太鼓地などになると、地方の音が非常に聞き取りにくくなる。自分たちの笛や打楽器の音が邪魔をして、三味線の音が聞こえなくなってしまう。ある程度は撥の動きを見て見当をつけるが、篠笛は音程がわからないと吹けないのでとても困る。
 それ以上に困るのは、「三番叟」で時々あるのだが、地方は上手、囃子方だけ正面という並び方。これは大変だ。正面だと地方よりも少し舞台奥になるので、三味線の撥が見えにくい。しかも地方の音は客席に向かって出るので、奥に並ぶ我々にはかなり聞こえにくい。悪条件が重なっている。かなりの集中力と勘が頼りになる。
17 掛け合い
 踊りの演奏形態に、「掛け合い」というのがある。普通は、長唄、清元、常磐津などが単独で演奏をつとめるのだが、「掛け合い」は複数の地方(じかた)が部分的に交代しながら演奏する。</div>
<div> 「喜撰」(清元・長唄)、「奴道成寺」(常磐津・長唄)、「浜松風」(義太夫・長唄)、「吉野山」(義太夫・清元)などが有名。座る場所は、上手、下手、正面といろいろ。
 現在長唄舞踊としてポピュラーな、「汐汲」や「お兼」も昔は長唄と常磐津の「掛け合い」だったらしい。
 「掛け合い」の魅力は、各々の地方の特徴が最大に生かされ、曲にアクセントが付いて、より奥行きが出ることだ。各々単独でも曲は成立するのだが、部分的に地方を交代することで、その場その場が際立つ。サラッと唄を聞かせるところは長唄が似合うし、粋なところは清元、セリフ回しは常磐津や義太夫といったところか。もちろん、それぞれもっと魅力的な部分は多くある。
 変わっているのは「奴道成寺」。常磐津と長唄の「掛け合い」だが、長唄は「京鹿子娘道成寺」を部分的に演奏していく。これに対して常磐津には、「道成寺」という曲が存在しない。この曲の「掛け合い」のためだけに作られた細切れの部分しかないのだ。これはとても面白い。
16 お祭り
 昨夜TVで「阿波踊り」の番組をやっていた。今年の夏録ったもの。凄いパワーだ。熱気に溢れ、みんな楽しそうだ。篠笛も大勢で吹いていて、迫力がある。こういう素朴なメロディーも味わいがあっていいものだ。長唄にも「吉野川」や「阿波踊り慕情」など、このお祭りを取り入れたものがある。曲の中で、「阿波踊り」のメロディーを吹かなければならない。
 概して、西日本のお祭りでは囃子の人数が大勢だ。「葵祭」、「天神祭」、「阿波踊り」などどれも大所帯だ。対して関東のお祭りでは、囃子の人数は少ない。特に篠笛は大抵一人である。西日本ではみんなで同じメロディーを吹いて、賑やかさと迫力で盛り上げているが、関東の場合は個人的な技量(アドリブ演奏)で勝負している。この傾向は興味深い。
 また、西日本では大勢で曳く「だんじり」が主役なのに対し、関東では肩に担ぐ「おみこし」が主役である。
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