このページは、私が思っている事や考えている事をテーマを定めずに書いています。
邦楽に関する事を書くつもりですが、何事にも例外は付き物です。
何でもありの雑感コーナーです。
よもやま話
よもやま話
40 大震災
 阪神大震災から早や7年。もうそんなに経ったのか。今でも小さな地震があると、当時のことが蘇ってくる。忘れようとしても、身体はあの恐怖を覚えている。
 当時はマンションの4階に住んでいたのでかなり揺れた。電子レンジや温水器が壊れ、食器は粉々に床に散らばった。足の踏み場もなかった。でも尼崎市にいたので、この程度で済んだ。
 私の生まれ育った家(神戸市兵庫区)は、全壊状態。両親と祖母は、命からがら逃げのびた。西隣の町は壊滅状態の長田区、東隣の町もほとんど全焼状態。それらに挟まれて生き残れたのは、
運としかいいようがない。
 ニュースで当時のビデオが流れようものなら、鳥肌が立つ。悲しみに襲われ、涙が出てくる。もう立ち直ったかのように思われているが、復興にはまだまだ時間がかかる。精神的にも物質的にもまだまだだ。行政レベルでは大分整備されてきたが、個人レベルではまだまだ。
 もう2度と起こらないことを祈るしかない。
39 イカノボリ
 現代っ子は一年中テレビゲームだが、伝統的なお正月の遊びと言えば、「羽根つき」、「独楽回し」、「たこ揚げ」、「かるた取り」等々。
 その中の「たこ揚げ」について。
 「たこ」というのは、関東地方の呼び方で、関西では昔、「いか」、「いかのぼり」と言った。どちらも
見た目、形からの連想だろうが、東西で呼び方が違うのは面白い。確かに「いか」の形状に似ている。「いか」を干すとそっくりだ。「たこ揚げ」のことは「いかのぼし」と言った。
 長唄「土蜘(切禿)」に「いかのぼり」という言葉が出てくる。落語「初天神」でも「いかのぼし」と言っているし、「浮世風呂」(式亭三馬)にも「凧とはいはず、いか、いかのぼりといふが、上方の詞なり」とある。
 もう今では関西でも「たこ揚げ」としか言わなくなったが、「いか」が復活しないものだろうか。なかなか面白いと思うのに。
38 神  楽
 お正月の風物詩のひとつに獅子舞がある。獅子舞といえば、お神楽。賑やかな江戸神楽に囃されて、獅子舞が町を巡る。
 このときに使われるのは、もちろん「篠笛」。日本舞踊や長唄にもこういう描写が出てくるのだが、非常に難しい。なかなか雰囲気が出せない。
 西日本の有名なお祭りといえば、「祇園祭」と「阿波踊り」。「祇園祭」は能管、「阿波踊り」は篠笛を使うのだが、これらに共通するのはメロディーが単調で素朴なこと。この素朴さが、実に良い味を醸し出す。これも我々には難しい。素人の人たちの素朴さが、プロには逆に難しい。
 これに対して江戸囃子は、技術的にとても高度である。雰囲気的には、「粋」という言葉が当てはまる。我々が使わないような運指を駆使して、粋でシャレたメロディーを奏でる。しかもアドリブが多いというから驚く。
 西日本の祭りでは複数の人たちが笛を吹くことが多いので、メロディーを統一しないといけない。江戸祭りは一人で笛を吹くので、アドリブが活躍する。それが腕の見せ所となる。複雑な技術が生まれるのがわかる。
37 まねき
 前回書いたように、「顔見世興行」は契約した役者のメンバー紹介だった。このとき劇場の正面に掲げる看板が「まねき」である。これも京都南座の年中行事として残っている。勘亭流という独特の文字で1枚ずつ役者の名前を書き、正面に掲げる。「顔見世」の気分を盛り上げてくれる。
 今はあまり順番にこだわっていないようだが、昔はこれにもしきたりがあったようだ。まず1枚目の板には、座頭(ざがしら)と呼ばれる、メンバーの中でキャリア、実力ともナンバー1の役者の名前がくる。次の2枚目は、色男で男前の役者。3枚目は、道化役、滑稽役の役者……、と続いていく。
 もうおわかりの通り、「二枚目」は男前、「三枚目」は面白い人、という慣用表現はここから生まれたもの。
36 顔見世
 今月は京都の年中行事、「顔見世」が南座で催されている。花街の芸者さんや舞妓さんも客席に華をそえる。常連の観客は、1年間心待ちにしており、ここぞとばかりに着飾って出かける。普段の歌舞伎公演とは全く違った雰囲気がある。
 名古屋の御園座(10月)や東京の歌舞伎座(11月)でも「顔見世歌舞伎」が行われるが、こちらは普段の公演の中の1つという感じ。京都の「顔見世」は一種独特の伝統を感じさせる。
 現在の「顔見世」は、スターが大勢出演する豪華公演という位置づけだが、元々は違った。今では歌舞伎公演は松竹(株)が一手に仕切っているが、昔はそれぞれの劇場が独自に興行権を持っていた。したがって、座主(劇場オーナー)が役者と個別に出演契約を結ぶことになる。
 この契約は1年契約だったので、1年間はその劇場に出演するメンバーは固定されていた。そこで旧暦の11月に、各劇場で「顔見世興行」を行って、新体制のお披露目をしたらしい。これが本来の「顔見世」である。11月(旧暦)から始まって、1年間はこういう顔ぶれで芝居をしますというメンバー紹介のための興行だったらしい。
 こうなると劇場間の競争意識も高まり、出し物にもいろいろと趣向をこらしていたようだ。大当たりして観客の入りがよいと、何ヶ月も続くロングラン公演になったり、逆に不人気だとすぐに打ち切りになったりと悲喜こもごもだったらしい。
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