![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
坊主岩屋付近から槍ヶ岳を望む | 涸沢岳の下りから奥穂高岳(右)と前穂高岳を望む | |
(1999・9・4〜6) |
槍ヶ岳から奥穂高岳まで縦走しました。
7月に行った槍ヶ岳は雨だったので、人も少なくなったであろう9月初めに再挑戦することにした。 9月3日夜、家を出て2:00に沢渡に着いた。 始発のバスに早く乗れるように、バス停に近い駐車場に車を停めて仮眠。 1日目 上高地から明神の方面へ歩き、横尾へ来て休憩した。 たまたま話した男性は山岳指導員で、槍沢ロッジに泊まるか、槍岳山荘まで行くか決めかねている私達に、上まで行けると言ってくれた。まだ時間は9:30だ。よーし!頑張るぞ! 槍沢ロッジで昼ごはんにした。 トイレを借りるとトイレチップが必要だった。 この時からズボンのポケットには、いつも小銭を入れておくようになった。 急登が続いて、やっと行く先に槍が見えた時、嬉しかった! 播隆上人ゆかりの坊主岩屋あたりでは足も重くなり、時間ももう午後4時だ。 右前方の殺生ヒュッテへ、当然のように足が向いていた。 夕食の時近くにいた男性が、槍へは東鎌尾根から登るといいと教えてくれた。 |
||||||
![]() |
||||||
![]() |
![]() |
|
||||
![]() |
||||||
|
![]() |
|||||
![]() |
||||||
2日目 朝、東鎌尾根から槍岳山荘へと登った。そしていよいよ槍の穂先へ出発。 岩とクサリをよじ登り、最後に垂直の鉄ハシゴを登ると槍ヶ岳(3180m)のてっぺんに着いた。 祠がひとつ。とんがった山の上でも10〜20人位は立てる。凄い! 展望は眼下に槍岳山荘がやっと見える程度だが、それで十分満足だった。 それから穂高への縦走が始まった。 大喰岳〜中岳〜南岳のピークを次々と越えた。 南岳小屋には11:30に着いた。これなら北穂高小屋まで行こう! 大キレットだの、A沢のコルだの、飛騨泣きだの、いったいどんなんだろう? 1人の男性がやって来たので尋ねたら、怖いので急いで通って来たと言った。 通ってしまえば、危ない所にはクサリや鉄ハシゴが付けられているので大丈夫だった。 アスレチック感覚で楽しんでいたら、北穂高小屋の直下に来た。 小屋を見上げて、岩場の急登をのぼるがなかなか小屋に着かない。 これがつらかった!やっと着いたら上から見ていた人が 「見えているのになかなか着かなかったでしょう」と声をかけてくれた。誰の思いも一緒なんだなあ。 小屋のすぐ裏が北穂高岳(3106m)だった! 3日目 北穂高岳からの朝のなまアルプスは最高だった。 とくに槍ヶ岳の雄姿には惚れ惚れした。 そして涸沢岳を越え、奥穂高岳(3190m)に立った。山頂は重なった岩の上に祠があった。 紀美子平で休憩していると、雷鳥を見た!初めてみる雷鳥だった。 前穂高岳には行かずに岳沢へ下り、上高地へと歩いた。今夜の宿はアルペンホテルだ。 |
||||||
![]() |
||||||
![]() |
||||||
北穂高岳から朝焼けの槍ヶ岳を見る | ||||||
![]() |
||||||
後日、新田次郎の「槍ヶ岳開山」を読んだ。 それによると、播隆上人を案内して一緒に登ったのは猟師で、穂苅、佐伯という人達だった。 今、槍岳山荘の主人は穂苅さんだし、佐伯さんの小屋もある。すべて今につながっていることが、興味深かった。 |
||||||
![]() |
||||||
1日目 上高地(6:40)→横尾(9;30)→槍沢ロッジ(11:20)→大曲(12:55)→殺生ヒュッテ(16:10) 2日目 殺生ヒュッテ(6:20)→槍岳山荘(7:10)→槍ヶ岳(7:50)→中岳(10:10)→南岳小屋(11:30)→A沢のコル(13:55) →北穂高小屋(15:35) 3日目 北穂高小屋(6:30)→涸沢岳(8:55)→穂高岳山荘(9:20)→奥穂高岳(10:25)→紀美子平(12:00)→ 岳沢ヒュッテ(14:40)→アルペンホテル(17:25) |
![]() |
にしほどっぴょう | ![]() |
![]() |
エリアトップ | ![]() |
![]() |
トップ | ![]() |
わしばだけ | ![]() |