図書館の5階で、桂小米朝さんの話を聞いた。
落語ではなくて、「大阪弁の移り変わり」と題する講演である。
しかし、舞台の上には高座が設けられ、落語のように笑いがいっぱいありで、しかも知的で楽しい講演であった。(タダというのが信じられない。)
話の内容は、ほとんど忘れた。
けれども、桂小米朝さんがいかに「言葉にこだわっている」かが、よく伝わってきた。さすが、プロの落語家である。
今の時代、文明が発達することによって、落語がやりにくくなった、と小米朝さんは言う。
例えば、テレビ。すわったままでチャンネルが変えられる。だから、3秒見て面白くなければチャンネルを変えられるのである。
また、落語の会場に、当たり前のようにカメラやビデオが持ち込まれる。まるで、ディズニーランドでの撮影のようである。(「今から、写真タイムです。」とおっしゃって、小米朝さんはいろんなポーズをしてくれた。そばを食べる真似とか、扇子をあおぐ仕草とかである。そして、落語中のフラッシュが困ることを話されていた。)そして、いつ何時でもなる携帯電話である。
それでも、落語家は、そういう困った文明の利器も、ネタにして、笑いにかえてしまう。このへんのところに、私は強さ・したたかさを感じてしまう。
教師の多くは、学級で問題が起こると、「どうしてそんなことをしたんだ!」と責める。もちろん、きちんと叱ってやるべきなのだが、その過ちから学級として何かを学ぶという視点が抜けている。
これが落語家なら、たとえスリや泥棒に遭っても、それに落ち込むだけでなく、それをネタに変えてしまえるのである。
教師もプロなら、困った問題が起こったら、それを教材に変えてしまえるぐらいでないと、いけない。
さて、いくつか聞いた面白い話を紹介しよう。
江戸時代の頃は、大阪は環状線の中側だけが、栄えていた。
その頃、梅田や難波は、田圃だったらしい。
そして、新しく開発しようということで、梅田は北の新地、難波は南の新地として、誕生したのである。田圃をうめたから、「梅田」である。
「北新地」という書き方は、新地の北にあるという意味になってしまう。実際の意味は「北にできた新地」であるから、「北の新地」もしくは「キタシンチ」と呼ぶべきなのだそうだ。
大阪には、江戸時代からの地名が、そうとう残っているらしい。そういう地名をなくさないでほしい、と桂小米朝さんは語っていた。
話芸の落語から学べることは、いっぱいありそうだ。
(1998.10.25)