目標のある指示

 知的学級集団づくり研究会の青坂信司氏が、教務として出した文書の中に、次のような記述がある。

「6年生、静かに立ちなさい」凛とした声で指示する。(中略:荒井)
 私から出された指示、それは子どもからすると目標である。その目標達成のために子どもたちは動くことになるのである。
 子どもの動きは、目的的行動となるのである。
 6年生が一斉に静かに立つ。
 それは他から見たら整然とした動きであり、6年生としてまとまりのある行動である。
 それができていたら、私は6年生の子ども達を「素晴らしい。さすが東小の6年生です」と端的に褒める。

 指示が目標になるかどうか、ちと疑問を持った。ただ、「静かに」という言葉があるだけで、立つという行為にちょっとだけ目標がついたとも言える。
 さて、子ども達が静かに立てなかった場合、どうするかも青坂氏は書いている。

 つまり、やり直しをさせ、今一度評価するのである。
 この「やり直し」の時、くどくど説明してはならない。
 「やり直し」と、凛として言えばそれですむ。
 くどくど説明してしまえば、その場のリズムが壊れ、暗い雰囲気になっていく。

 卒業式の練習でも、運動会の練習でも、教師が子ども達に「やり直し」を命じる時は、くどくど、なぜやり直しかについて、説明してることが多い。
 これは、一種の言い訳で、教師の言葉に大義名分をつけようとしているようなものだ。
「やり直しするのは、おまえらのせいだよ。」という教師の思いが、そこに込められている。だから、くどくどした説明は、暗い雰囲気を生むのである。
 では、「やり直し」と言うだけでいいのか。
 向山洋一氏の言う「趣意説明の原則」を使わなくていいのか。
「静かに立ちなさい」という指示の場合、趣意をつけて「やり直し」という必要はないかもしれない。なぜなら、「静かに」という目標があって、それが達成出来てなかったのは、子ども自身もわかるからである。
 教師が「立ちなさい」と言っただけなら、話も違ってくる。
「話し声が聞こえました。やり直し。」
「立ち方がバラバラです。やり直し。」
 どう立つかを教師が言ってないのだから、やり直しをさせる場合も、どこを直せばいいか、わかるように、やり直させなければならないのだ。
 少し、これまでのことをまとめてみよう。

(1) 目標をつけた指示の場合は、褒めるか「やり直し」とだけ言う。
(2) 行動だけの指示の場合、趣意をつけた評価か「やり直し」を言う。

「呼ばれたら、大きな声で返事をしなさい。」
 できていれば、「すばらしい。さすが3年生です。」
 小さい声なら、「やり直し」。
「呼ばれたら、返事をしなさい。」
 大きな声の返事なら、「大きな声でできましたね。さすが3年生です。」
 声が小さければ、「声が小さいです。やり直し。」
 「は~い」という間延びした返事ならば、「返事はハイと、はっきり言います。やり直し。」
 こうやって考えてみると、目標を示した指示の方が、親切である。しかも、テンポがいい。これから、いろいろ試してみよう。

(1998.5.5)