ロジカル・シンキング

 出口汪(ひろし)『きのうと違う自分になりたい~ロジカル・シンキング入門~』(中経出版)を読みました。別に、きのうと違う自分になりたいわけではありません。出口汪(ひろし)氏の著作だから借りて読んだのです。
 ロジカル・シンキングというのは、論理的な思考という意味です。
 この本を読むと、論理的な思考をもつことの大切さや、いかにすれば、論理的思考を身に付けることができるかが分かります。

 筋道を立てて話したり、文章を書いたりするときのことを考えてみよう。
 まず、私が他人に伝えたいことがあるとする。それを文章にしようとするとき、読み手がどんな人かわからないので、筋道を立てて説明しようとする。
 仮に、私が伝えたいことを「A」としよう。それを相手に正確にわかってもらうために、私はなるべく相手が納得するような例を挙げようとする。
 要は、相手に有無をいわせないよう、証拠を挙げていくのだ。

 自分の主張は言い放しではいけないということです。何か主張をしたなら、その主張の正しさを立証しなくてはいけないのです。
 簡単にいえば、趣意説明がいるということです。
 例えば、私が「テープ学習ほど有効な学習はない。」と主張したならば、テープ学習がなぜ有効なのかを語る義務が生じるわけです。

 今度は、筋道を立てて文章を読むときのことを考えてみよう。
 たとえどんなに難解な、長い文章であっても、たった一つのことが繰り返されているだけなのだ。筆者は「A」ということをわかってもらいたくて、その証拠を挙げたのであって、いろいろな話が並べられていても、それらはすべてロジックという観点に立てば、「A」の繰り返しにすぎない。それを見抜けるかどうかである。

 論理的な文章であれば、筆者は主張したいことを手をかえ品をかえて主張しているわけです。
 これは授業にしても同じです。
 一番教えたいことをいろいろ事柄やいろいろな例示をいろいろな方法を駆使して、子どもたちが理解できるように、くり返し教えていきます。
 同じことをくり返している文章なのに、なぜ、難しいと感じることがあるのでしょうか。

 私たちが文章を読んで難しく感じるのは、言葉の意味を追っていこうとするからである。言葉にはその数だけ意味がある。それを短時間に読みとり、しかもその意味の連関を考えるのは至難の業である。だから、途中でぼおっとする。
 ところが、どんな長い文章でも、論理という観点からすると、すべてはたった一つのことの繰り返しなのだから、決して難しくない。文章が長ければ長いほど、たくさんの繰り返しているのだから、間違えるはずがない。

 ロジカル・シンキングを学んでみたくなりましたか。

(2007.11.17)