藤田英典『教育改革のゆくえ~格差社会か共生社会か~』(岩波書店2006.11.2)を読みました。藤田氏は、12月22日の学力研・冬の学習会で、講師としてお話ししてくださる方です。
今の教育改革が改革のための改革になっているだけだと、藤田氏は主張します。
校内暴力・いじめ・不登校・少年犯罪などは、一九八〇年代以降、「日本の教育の危機」を象徴する問題だ、根本的な改革が必要な理由だと、言われ続けてきました。(中略:荒井)なぜ改革は成功しなかったのでしょうか。それは、こうした問題の捉え方に二つの点で重大な誤りがあったからであり、その誤った捉え方に基づいて歪んだ改革を進めてきたからです。
第一の誤りは、これらの問題を、教育のあり方、それも日本の教育のあり方に原因のある「教育病理」と捉えてきたことです。そして、第二の誤りは、教職員の努力と実践、教職員と家庭や地域住民との連携・協力によってこそ緩和・改善される可能性が開けるものであるのに、それを教育の制度やシステムを変えれば解決・改善されると考えてきたことです。(中略:荒井)
校内暴力・いじめ・不登校・学級崩壊や少年犯罪の主な原因は、家族の変化や刺激と誘惑にみちた情報消費社会・都市化社会の進展にあります。むろん、学校にも一端の責任はありますが、主な原因は社会にあるという意味で、「社会病理」と見るべきものです。それだからこそ、日本だけでなく、多くの先進諸国が共通に抱える問題になっているのです。
長く引用しましたが、まさに、今の改革の歪んだ点を言い当てています。
15年学校現場にいて、これまでの改革のおかげで、子どもたちがよくなった、学校がよくなった、という実感は全くありません。むしろ、ゆとり教育の導入や、生活科、総合的な学習の導入など、これらの改革が、より学級崩壊や学力低下を助長したように思えてなりません。
風邪ではない患者に、風邪薬を飲ませるようなものです。
改革によって、散々学校現場を混乱させたあげく、次は「教師に問題がある」と指摘し、評価制度や免許更新制を導入してきました。責任転嫁の最たるものです。これまでの改革の責任を誰もとらない、それがこの国の教育政策です。
学校五日制とセットになった「ゆとり教育」の最大の特徴は、「時間もかけず努力もせずに力がつく」という考えを具体化した点にあるからです。しかし、時間もかけず努力もせずに力がつくなどということは、ぜったいにありません。
教育現場を知らない人たちが作った絵空事によって、教育改革は進められてきました。もちろん、教師自身の責任もあります。社会の流れをしっかり見つめ、自分の頭で、この教育改革が子どもたちのためになるのかどうかを真剣に考えてこなかったツケともいえます。
藤田英典氏の講演を心して聴きたいと思います。
(2007.12.1)