セレクト発問の必要性

 5年理科「てんびんとてこ」でも、昨年はしてないようなセレクト発問を入れています。
 例えば、上皿てんびんで決めた重さをはかりとる前に、次の発問をしました。
「食塩1gと砂糖1gでは、どちらが多いですか。」
 クラスによって、食塩の方が多いと考える方が多かったり、砂糖の方が多かったりしました。
 理由は、言える人だけに言わせました。内部情報が足りないと思ったからです。
「砂糖の方が水によくとけるから。」
「砂糖の方が甘いから。」
という理由があるクラスで出たのには、感心しました。
「ものの重さがちがっても、つり合わせることができるか」の実験前にも、次のセレクト発問をしました。選択肢は3つです。
「絶対できる」「できる時とできない時がある」「絶対できない」
 できる・できないでは、「できる」しか手をあげないと思ったので、絶対できるという表現にしてみたのです。(おかげで意見がわれました。)
 何か実験をさせる時、セレクト発問を考えさせてからさせる方が、実験に対する関心が高まるのではないかと、思います。

【今日学んだこと】
・今日は、また実けんをしました。わたしは、ものの重さがちがうと、できるときとできないときがあると思っていたけど、全部つり合ったのですごいなぁと思いました。そして、重い方より軽い方が、支点からはなれているということも学びました。(中村)
・今日は決めた重さをはかりとることを学んだ。食塩1gと、さとう1gでは、さとう1gの方が多いようだ。物の重さがちがっても、つり合わせることができるのか。と、いうことも学んだ。気づいたことは、ゆらしても、元にもどる。と、絶対にはばちがうということだ。物の重さがちがっても、つり合わせることができるんだなぁ。と思った。(廣田)

 最近の研究授業を観ていて思うことは、今の教育はマルチ的展開がもてはやされているということです。
 子どもの意見を否定してはいけない。
 どんな意見でもほめなければいけない。
 といような呪縛が、教育界を蔓延してるのではないと思います。
 でも、それでは学力はついていきません。
 もっともっとセレクト的な展開が必要なのです。
 セレクト発問の必要性について、深く掘り下げてみようと思います。

(2006.11.10)