エジソンからの学び

 桜井信夫『エジソン』(ポプラ社1998.9)より、私が付箋をつけたところを抜き書きします。
 そして、なぜそこに付箋を付けたのかを考察します。

①「わたしは目に見えない大きな力によってうごかされて、数多くの発明をなしとげることができたにすぎません。」(P.3)
②「自分でたしかめてみたかったのね、アル。失敗でもいいのよ。うまくいかなくても、しかたがないことなの。アルは自分でたしかめてみて、だめだっておしえられて、ひとつ勉強したんだものね。」(P.25)
③「本だなのいちばん下の本から一さつずつ読んでいって、つぎにその上へすすむ。いつかは図書館のぜんぶの本を読みきるんだ。」(P.46)

 ①大きな力とは、天とも神とも考えることができます。これは、神田昌典氏が文章講座で語った、「天は私という媒体を通して、世の中に何を伝えようとしているのか」に通じるところがあります。
 ②失敗とは、学びなのです。失敗から何かを学ぶことができる人にとって、失敗することが成功への道程ということになります。
 ③とてつもない読書量が、エジソンの発明を支えているのです。

(2004.12.6)

 引き続き引用します。

④「これからは、十日にひとつ、小さなあたらしい発明をしよう。そして半年にひとつ、大きな発明をしよう。」(p.92)
⑤一八七九年十月二十一日のことでした。もめん糸のフィラメントの電球に、スイッチがいれられました。(p.104)
⑥そこで、一九一三年に、エジソンが、高熱になるのをふせぐために、タングステンのフィラメントをコイル状にすることをかんがえつきました。さらに真空にした電球内に水銀や窒素ガスをいれて、千時間ともる電球をつくりあげました。(P.111)

 ④エジソンは、小さな目標と大きな目標を同時に立てています。実に賢いやり方です。さらに、「十日にひとつ」や「半年にひとつ」と期限を切っているところも、重要です。そして、そのことを明言しています。さすがです。
 ⑤この時、電球は最初13時間半、次のは40時間灯りました。それゆえ、このは、記念すべき日なのです。
 ⑥⑤から24年後です。エジソンは常に改良の努力をしていたわけです。

(2004.12.6)

 引き続き引用します。(10月21日の意味がよく分かるところです。)

⑦ 一九二二年、エジソンが七十五さいのとき、『ニューヨーク・タイムズ』 が読者投票をつのりました。
 「いま生きているもっとも偉大なアメリカ人はだれか?」
  エジソンが第一位にえらばれました。
  このときから七年前、エジソンのノーベル賞がまぼろしにおわったのですが、アメリカはエジソンをたたえて、はじめて電球をながい時間ともすことに成功した“十月二十一日”を「エジソンの日」とさだめました。
⑧ それからまもない十月十八日、夜明けまえの午前三時なかばごろ、ついにエジソンはなくなりました。
  十月二十一日の「エジソンの日」に、おそうしきがおこなわれました。
  この日の夜の十時、ニューヨークの市街はもとよりアメリカ全土で、いっせいに電灯のあかりがきえました。鉄道の列車も、電車もとまりました。こうして人びとは、エジソンのやすらかなねむりをいのって、一分間のもくとうをささげたのでした。(P.127)

(2004.12.8)