授業化への迷い

 小澤勲『痴呆を生きるということ』(岩波新書)2003.718を読んでいます。

 老(おい)不気味 わがははそはが人間(ひと)(ひと)以下のえたいの知れぬものとなりゆく

 斎藤史氏の歌です。この本に紹介されてました。
 痴呆になるということが、介護するものにとって、どれだけ大変なのかを詠んだ歌ともいえます。
 痴呆について知れば知るほど、自分が授業化していいのかどうか、迷いが産まれます。
 私は、痴呆について、あまりにも知りません。
 痴呆の方の介護をした経験もありません。
 そんな輩が、痴呆について授業化するなんて、とても畏れ多いことです。
 ただ、「読み・書き・計算が痴呆にとっての福音となりうる」ということをいろんな人に知ってほしい、という思いはあります。
 私の母は、70歳を過ぎたので、そろそろ痴呆やボケについても、私も考えておかないといけません。
 でもまだ、差し迫った思いが私にはないのです。

(2003.11.10)