齋藤孝氏の『段取り力~「うまくいく人」はここがちがう~』(筑摩書房2003.11.10)から、引用します。(書くことが思いつかない時は、この手です。)
普通は、何か失敗したとき、自分には才能がないとか、能力がないとか言ってしまう。しかし才能や育ち、環境のせいにしてしまうと改善のしようがない。改善のしようがないから、努力もしない。だが「段取りが悪かったからうまくいかないんだ」と考えることで、対処法が違ってくる。(P.9)
段取りをうまく立てられるということは、その仕事について、ある程度の経験と知識と技を持っているということです。
例えば、今、6年生には、卒業文集を書かせています。
今、書かせるから、段取りが悪いのです。
1年間通して、卒業文集用の作文を何回も書かせればよかったのです。
去年のアルバムを見れば、卒業文集に載せる作文の字数は分かります。
それから、卒業文集用の原稿用紙を印刷しておき、ことあるごとに、そこに作文を書かせるのです。
そうすれば、卒業文集の作成は、選ぶだけの作業になるのです。
(2003.12.14)
前述の『段取り力』からの引用を続けます。
マニュアルを作った人間は素晴らしい。手順や段取りを普遍化させていくわけだから、素晴らしい「段取り力」の持ち主である。(P.14)
向山洋一氏の『授業の腕をあげる法則』は、いわゆるマニュアル本です。ということは、向山先生は素晴らしい「段取り力」の持ち主だということです。
さらに、向山先生のすごいところは、別のところにあります。
世の中にはたくさんのハウツー本が出ているが、その通りにやっているだけでは「段取り力」はつかない。(中略:荒井)ハウツー本を読む側になるか、書く側になるかは決定的な違いだ。(P.15)
向山先生は、法則化論文というものによって、ハウツー本を書く側の教師を育成しようとしました。
法則化論文を書くことで、教師の中で、段取り力が鍛えられ、教師の腕があがていくのです。
(2003.12.14)
引用を続けます。
世界を代表する自動車会社トヨタが、原価を2分の1にすることを目標に、改善を重ねた過程が『トヨタ式改善力』に描かれている。トヨタの生産方式は、現場に行くたびに発見される無駄を省いて、段取り替えをするやり方だ。無駄をなくして流れがよくなった後に、また現場に行ってみると違う無駄が見えてくる。行くたびに新たに基準を設けて、無駄を省くのがトヨタの「改善」のやり方である。(P.20)
これは、授業の中で、教師の無駄な言葉を削るのに、通じています。
「10分の1に削れ。」
と、向山洋一氏は、言われます。
無駄を省く、言葉を削ることが、授業の改善につながるわけです。
ただたんに言葉を削るだけでも、まだいいのかもしれませんが、言葉を削ったことによって、段取り替えもしないといけないのです。
短い指示・発問だけで、子どもに通じるというのは、その前の段階で、通じるようになるシステムが段取られているからなのです。
(2003.12.16)
引用を続けます。
区別すべきは働いているかどうかではなく、稼いでいるかどうか、付加価値や利潤を生んでいるかどうかである、(P.25)
これが教育なら、活動しているかどうかではなく、子どもに学力がついているかどうかが、大切だということです。
野口芳宏氏が、言っています。
「ただ読ませてるのは活動です。」
そして、読みが向上するように読ませることを学習活動というのです。
企業では、自分の年収の3倍の利益をあげなければ、雇っている意味がないと言われる。
教師の仕事と比べるのは難しいのですが、年収の3倍にあたる教育効果を子ども達に与えているかどうかは、考えておく必要があります。
(2003.12.17)
疲れてます。引用して、コメントを打つのはまだできるのです。
毎日同じものを大量に作っていると、働いている気になるが、在庫として残っていくだけだから、稼いでいることにならない。それどころか原料費を使って、倉庫を占拠していることを考えると、むしろマイナスかもしれない。(P.26)
毎日、毎時間、授業を続けていると、教育というものをしている気にはなります。それによって、子どもの学力がついていってるのでは、という幻想も生まれます。
しかし、実際には、学力があまりつかず、勉強への意欲を失わしていったりしているかもしれません。原料費にあたるものとしては、人生の貴重な時間を使っているということになります。
次のページの端に、私は次のようなことを書き込んでいました。
この本を読んでるだけでは何も生まれない。
読んだ瞬間に価値を生むアクションを起こしていく。
やってみましょう。
(2003.12.18)