改革とは

 次の本は、読み応え十分でした。

塩野七生『痛快!ローマ学』(集英社インターナショナル)2002.12.10

 塩野氏の『ローマ人の物語』を10巻まで読んでいるので、書いてあることは今まで読んだことと、重複しています。
 でも、それが良いのです。知っていることを再確認するのが、楽しいのです。 最近の脳科学の研究で、「学び直しをすると脳が活性化する」という報告がされているらしいです。(知っていることをいろんな本で学び直すというのも、いい手かもしれません。)

改革とはけっして会議で決まるものではない。一人の指導者が現われ、みずからの信じるところに従って改革を断行しない限り、永遠に体制は変わらないのです。
 なぜなら、どんな改革であれ、それによって損をする人たちがかならず現われる。いわゆる既得権益層の存在です。
 この人たちを言葉によって、つまり理性によって説得しようとするのは絶望的と言っていい。「話せば分かる」というのは民主主義の理想ではあっても、それが実現することはめったにありません。

 ここでは、政治家が行う改革のことを言っているのですが、これは教師の学級指導にも当てはまると思います。
 今までの学級体制を変えようと思えば、それに反発する子が出てくるのは、当然です。それを子ども達との話し合いで決める、という方法をとれば、何も変えられません。
 教師が今何を求めていて、どうすることが正しいのかを考え、そして、その信じた通り、やり通していくしかないのです。

 改革とは自分たちの苦境を認めることから始まる以上、反省や自己批判といった後ろ向きの話になりがちです。しかし、それをやっていたのでは、かえって改革をやる意欲は生まれてこない。

 ローマ史の話でありながら、これはもう学級問題の解決の仕方にも通じています。改革する、というのは、前向きな行動なんだから、今まで何が悪かったのかということばかりを見つめる必要はないのです。一歩でも前進するために、とにかく何かをやっていく、それでいいのです。 

(2001.12.16)