『新しい国語六下』(東京書籍)にある伝記「宮沢賢治」の授業です。
範読の後、全員起立で5分音読。
何年と書いてある所を見つけて、鉛筆で囲みなさい。
全部で7つあります。
子どもに発表させて、載ってるページとその年を板書しました。
P43 一八九六年
P44 一九一五年
P45 一九二一年
P47 一九二六年
P51 一九二八年
P52 一九三一年
P54 一九三三年
次に、一八九六年のところを指名し、一人の子に読ませました。
賢治は、一八九六年(明治二十九年)、岩手県の花巻に生まれた。宮沢家は、祖父の時代から、この町で質屋と古着商を営んでいて、賢治は、このゆう福な家のあととりとして育てられた。父は熱心な仏教の信者で、賢治も幼いときからお経を唱えることができたという。
一八九六年に何がありました。ノートに書きなさい。
「賢治が、岩手県花巻に生まれた」となります。
次に、一九三三年のところを読ませ、同じように問いました。
「三十七才で帰らぬ人となった」となります。
『生まれてから、帰らぬ人、死ぬまでが一生です。賢治の一生について、この伝 記は書かれているのですね。』
次の時間からは、他の年も同じように書かせていきました。
最終的に、次のようになりました。
P43 一八九六年 賢治が、岩手県花巻に生まれた。
P44 一九一五年 盛岡高等農林学校へ進学した。
P45 一九二一年 教師になった。
P47 一九二六年 教師をやめ、農民として生きることを決心した。
P51 一九二八年 胸の病気になった。
P52 一九三一年 石灰を作る工場の技師になるが、また病にたおれた。
P54 一九三三年 三十七才で帰らぬ人となった。
二回目の板書の時、上記のように、年によって、行の開け方を変えました。
『この間を見て、何か気付きましたか。』
ページ数によって、間をあけたわけです。
こうすることで、一九二六年から一九二八年までのことが、一番詳しく書かれてることがわかります。
この間わずか二年なのに、5ページ分書かれているのです。
作者が一番書きたかったことが、ここだということです。
この後、一九二六年から一九二八年までのことを一時間扱い、最後に「雨ニモマケズ」の詩を扱って、授業を終えようと思います。
全4,5時間です。
(2000.12.15)